それでもまだ、変わることなく世界は進み
煌びやかなイルミネーションが目を引き、笑いさざめく人波の中を泳ぐように進む。弾ける笑い声、明るいメロディ、手を繋ぐ恋人達。優しい時間、楽しい時間、明るい光がそこには満ち溢れ、隠れるように隅に寄った影にこの時ばかりは見えないフリをするのだろう。心中はどうであれ、今この時は。 待ち合わせまではあと三十分。駅の広場で教えられた服装を探しださなきゃいけないことを思うと、ほんの少しだけ面倒だった。決められた人じゃなくてもいいのだ。誰であっても何も変わらない。今宵だけの関係。 それに縋りついているのも、また事実なのだけれど。 今日の人はノーマルな嗜好をもつ人間なようで良かった。昨日はSM好きだったらしく、ホテルに持ち込まれた道具に思わず引いてしまった。別にMではないから痛いのはごめんだ。 わざわざ高級ホテルを予約してあるらしい。と、なると金銭面に不自由はしていなさそうだ。別に金額にこだわってはいないけれど、どうせならば良い場所、いい金額のほうが良いに決まっている。 ふわふわと、漂うように進んでいく。周りの景色も、自分がしていることすら現実味が沸かなくてどうでも良くなる。一種の酩酊状態だろうか。ああ、どうせならばワインの一つでもルームサービスでねだってみようか。きっと相手も喜ぶだろう。 カチカチカチ、と携帯のボタンを押す。 一つ押すごとに込み上げる感情に蓋をした。いや、蓋なんて可愛いものじゃない。簡単だ。キーボードならば一つのキーで済んでしまう。デスクトップの一つにマウスでそれを放り込んで、消去完了。 そうやって、ずっと消してきたのだ。今更何を思うというのか。これはただの感傷で、そしてそれはとっくの昔に捨てたもので。 ……ああ、知らなければ良かったのかもしれない。触れて、聞いて、見て、知ってしまったから。忘れたはずのものが綻んで顔を出す。それは酷く面倒で。 だからこそ、気持ちが悪い。 もう要らないのに。 要らないって決めたのに、でもまだ手放しがたがってる子供。胸の奥、がんじがらめに縛った小箱の中に閉じ込めている子供の声がする。それでも、もう全て始まってしまったから。 ――――終わりになんて、できないのだろうか。 パチン、と携帯を閉じてポケットに突っ込んだ途端に震えだす。誰だこんな時に、と眉を潜めた。 今日はクリスマス。聖なる日。 そんな日に、ほとんど知らない人間のもとへ向かい一夜を過ごそうという自分に、誰が何の用なのか。 一瞬、見ないフリをしようとして。……独り身を嘆いていた親友だったら、と携帯を引っ張り出した。まぁ、少しぐらいメールをしていてもいい。 携帯を開いてメール画面に移る。 “Merry Christmas!!” 光が、零れた。 「……え」 画面に踊る赤白緑のリボン。キラキラと散りばめられ舞う光。 ゆらゆら揺れて点滅する、特別な意味が込められた金色のメッセージ。 添付されていた、幼い子供が描いただろう絵。 ……恐らくは、自分が描いてある絵。 何の冗談だろうか。 不意に意識がクリアになる。 雑踏のなか一人、駅へ進む足が止まった。人にぶつかってしまい舌打ちされる。慌てて少し脇にそれて、改めてメールを見た。 画面の中で、サンタの帽子を被った白いウサギが黄色いリスを抱えている。リスは楽しそうにウサギの帽子を見やり、ウサギも心なしか楽しそうだ。メッセンジャーのせいで頭が真っ白くなる。 なんで、どうして、なんで。 気が遠くなりかけた。 リスは受け取ったキラキラする光や赤白緑のリボン、そして添付されていた絵に感激している。 優しい絵だ。拙いけれど、棒人間にしか見えなくても、これを描いた“彼女”が自分を好いてくれているのだと、解る。 解ってしまうから、苦しくなる。 そんな、自分は。こんな暖かくて優しいものに触れていいものじゃ。 ああ、そんな自嘲すらもずっと忘れていたはずなのに! うなだれかけたその時。 携帯が震えてウサギがこちらを向いた。 ……一瞬、ためらって。 通話ボタンを、押した。 「……もしもし?」 『――健二さん? ごめん、今大丈夫?』 「うん、少しなら大丈夫だよ」 『もしかして外?』 「そう」 『……ああごめん、クリスマスだしね。デート?』 「うん。でもまだ待ち合わせまで時間あるから大丈夫だよ。」 『そっか』 ほんの少しの間に彼は何を思ったのだろう。少しぐらいは想像もつくけれど、どうすることもできやしない。 『佳喃がさ、クリスマスプレゼントだって』 「添付されてるやつだよね? 凄く嬉しいよ、ありがとうって伝えておいて」 『あの絵、健二さんらしいんだけど……』 「うん、ちゃんと解ったよ。佳喃ちゃんと僕と、ケンジとキング・カズマと……あと佳主馬くんでしょう?」 『俺は全然解らなかったんだけどね』 きっと今、彼は肩を竦めた。小さな笑みが零れる。 「今度何かお礼しなきゃな」 『いいよ別にそんなの』 「僕がしたいんだ。最高のクリスマスプレゼントだよ」 『……そう。良かった』 トーンが少しだけ、下がる。彼はきっと葛藤している。 聞きたいけれど聞けないもどかしさ。それを聞いたら自分を傷つけるだけで、そんな自虐趣味をきっと彼は持っていない。自分よりもよほど大人な彼だから、彼はここで一歩下がれる強さを持っている。 でも。 「あ、そろそろ時間だから、ごめんね」 自分は、そんなに強くないから。 『ああ……ごめんね。待ち合わせしてたのにありがとう』 「ううん。じゃあまたね」 『うん。……健二さん』 「うん?」 『――Merry Christmas to you』 「……うん、メリークリスマス! おやすみなさい」 ピッ、と高い電子音。 ツーツー、と繋がりが途切れた音。 ああ、マリア様。祝福の言葉など受ける資格はないというのに、あなたがほんの少し羨ましくて妬ましい。 この身はもはや清らかではなく無垢でもない。魂も何もかも、綺麗なものなど何一つ残っていやしない。 それでも、今少しの時間だけは。 貴女の愛に、縋らせて。 Even though my body is dirty, I still seek the light. |