恋の蕾

 きらきらのアクセサリー、ふわふわのワンピース。
 かわいいぬいぐるみ、甘いお菓子にピンクにホワイトにパステルカラーの小物たち。
 甘い甘い、砂糖菓子のような、女の子の好きなもの。
 そのどれ一つにも縁が無くて――――ましてや、女の子らしい服装なんて考えたこともなかった。



「ほーんとに男の子みたいなのしか持ってこなかったのね……」
「万が一見つかったらマズいと思って……まぁ、元から持ってませんでしたけど」
 リュックから広げられた数着の衣服たちに、夏希は思わずため息をついた。
 確かにバレたらマズイとは言ったが、まさか下着まで女性用とはいえどトランクス型を持ってきているとは思わなかった。
 そこまで準備をしてきてくれていたことには感謝するが、今こうして女だということがバレて、さらにあと数日滞在期間を延ばすとなると少々いただけない。家の人間にはもうバレているわけだし、健二が男の格好をしていては皆も落ち着かないだろう。
 何より――健二の女の子らしい姿を見てみたい、と夏希は思うのだ。
 学校でも、普段彼女は校則で許されているスラックスを着用している。男女好きなものをといえど、冬でもないのにスラックスを履いている女子などそうそういない。夏希だって初めて会った時は線が細い男の子だな、としか思わなかったぐらいだ。
 顔は十分に可愛いといえる範疇にあるというのに、健二には女性特有のまろみだとか柔らかさだとかが欠けている。良く言えば痩せている、悪く言えば貧相なのだ。肉付きが良くなく骨っぽい。
 しかし、健二だってけして女の子らしくない、ということではないのだ。
 胸こそスポーツブラでも済ませられる慎ましさだが、腰は細いし脚もすらりとしているので、姿勢さえ正せばプロポーションはなかなかのものだろう。髪だって伸ばせば充分に可愛らしくなるはずだ。
 もったいない、と思ってしまうのは仕方がない。
「うーん……。でも、やっぱ下着は……と、いうかこれじゃあやっぱりいくら何でも……」
「な、夏希先輩?」
 ブツブツと呟く夏希に健二は首を傾げる。
 別に健二自身はさっぱり気にしていない(というか普段からこんなもの)のだが、やはり頼んできた手前そう思うのも難しいのだろうか。
 広げられた服は、確かに男物やラフな服装ばかりだ。けれど健二には元からこれが普段着であるし、それを寂しく思ったこともない。
 昔から女の子特有のふわふわきらきらには興味も無かった。母親がもっと家にいた頃は違った気もするけれど、物心つく頃には男の子っぽい服装が普通になっていたのだ。
 可愛い服装をどんなにしたって、別に見てもらいたい人や誉めてもらいたい人がいるわけじゃない。
 両親にも、友達にも、誰かに女の子らしく見せる必要なんてない。無理に女の子にこだわる必要なんてない。
 自分には数学だけがあればいい――――ずっと、それで良かったのだから。

「……よし、決めた!」
「え?」

 思考の縁に沈んでいた健二を夏希の声が引き戻した。ぱん、と手が打ち合わされる音に首を傾げる健二へ夏希はにんまりと笑うと服を片付け始めた。
「買い物行こ! 少し出れば結構綺麗なデパートとかビルとかあるし。せっかくだから健二くんの服見立ててあげる」
「え!? いいいいいいですよ!! 別に服なんて!」
「だーめ! あ、お金は気にしないでね。バイト代も渡してないからそのぶん―――」
「いえ、お金なんて貰う気最初から無かったですし!!」
「なーに騒いでんの、二人とも?」
「あ、直美さん!」
 ぎゃいぎゃいと騒いでいた二人のもとへ、呆れた顔をした直美がひょい、と顔を覗かせる。直美は部屋の惨状を見渡すと眉を寄せて、訝しげに畳に座る二人を見下ろした。
「……本当になにしてんの?」
「健二くんの服を確認中」
「…………女の服がまったく無いわね」
「男として来ましたから……」
 目を眇めて散らばった服を見やる直美に健二は苦笑する。直美は健二に目をやると、品定めをするように上から下までをじっと眺めた。
「……あの……?」
「…………もったいないわよねぇ」
「へ?」
「でしょう!?」
 どこか哀愁めいた直美の言葉に、途端に目を輝かせた夏希が食いついた。
「もったいないよね!」
「せっかくなんだし、もっと可愛いカッコすればいいのに」
「だからね、今から健二くんの服買いに行こうと思って!」
「え、いやだから先輩……」
「いいわねそれ!」
「ええぇぇぇぇ!?」
 パチン! と指を弾いて賛同する直美に健二はぎょっとする。夏希は賛同が得られたことが嬉しいのか、楽しげに頷きながら、あ! と何かを思いついたように声をあげた。
「そうだ、直美さんも行かない? 一緒に健二くんの服選んでよ」
「うわ、面白そうじゃない! 行く行く!」
「え、え、え?」
「じゃあアタシ支度してくる」
「うん、あたしたちも支度するね!」
「ほ、本気で行くんですか!?」
「当たり前じゃない! ほらほら支度!」
 バタバタと健二の部屋を出て行く夏希や直美に、万里子や聖美が首を傾げて声をかける。二人の言葉を聞いた女性陣たちの顔が輝いて――――

「行ってきまーす!」
「留守番頼んだわよー」
「お昼は作っといたから適当にねー!」

「…………どうしたんだ、あれ」
「買い物行くんだってさ」
「はぁ……楽しそうなこって」
「女性っていうのは幾つになっても人形遊びが好きなのさ」
「……なんだ、それ?」

 縁側に座り込んだ侘助の訝しげな視線に、理一は楽しげな笑みを返した。






 ふと、静かだった家が騒がしくなったような気がして佳主馬はヘッドホンをとった。
 耳を澄ませなくても女性陣のかしましい声が聞こえてくる。何をやっているのだかと思いつつ、その中に聞き覚えのある声があるのに気付くと眉を寄せた。

 ……何時まで経っても来ないと思っていたら、捕まっていたわけか。

 ため息をつきつつ一度OZからログアウトすると、ノートパソコンを閉じて立ち上がる。そして納戸を出ると、喧騒の聞こえてくるほうへと向かった。
 何時もだったら昼も過ぎたこの時間ぐらいに、あの年上の少女はここへとやってくる。それが今日はまったく来る気配がなかったせいで、集中も途切れがちになっていた。

 ――――別に、約束をしていたわけでもない。
 ただ、もう習慣になってしまっていたから気になっただけだ。パタパタと歩いてきたかと思えば、入り口の辺りで一度立ち止まって少し躊躇う。何時まで経っても低姿勢を崩さないことに呆れもするが、それ以上にそんな彼女を見ると何かが胸の奥からこみ上げてくる気がするのだ。
 今まで他人にこんな気持ちになったことはない。そもそも身内、親戚にだって言い表せられないような気持ちを抱いたことはなかった。初めてなのだ、こんなことは。
 解らない感情にもやもやする時もある。だけれども、彼女が傍に来たときに感じるのは不快とはほど遠いもので。
 ほわん、とした笑みを見ていると自然に口元が緩む気がするのはどうしてだろうか。

 …………ほんとう、は。
 知って、いる気がするのだ。
 ああそうだ、その感情をなんと呼ぶのか、きっと自分は知っている。気づきかけている。でも、まだ――――。

 当て所ない思考をぐるぐると巡らせながら、それでも足は進んでいく。廊下を適当に歩いていればだんだん声にも近付いてきた。

『あ、これもこれも!』
『やだアンタ腰ほっそ……! ここまでだと逆に心配ね。こっちも小さいし』
『わ、わ、さ、さわ……!』
『女同士で何が恥ずかしいのよ。ほら今度はこっち!』
『わー、とっても可愛いわよ!』
『あとで私の娘時代の着物があるから、着てみない?』
『い、いやいやそんな悪いです……!』
『えー、私見てみたいな』
『夏希先輩……!』

 ……何をやっているのだろうか。
 時折ドタバタと暴れるような、いや、抵抗するような物音も聞こえてくる。万里子や聖美の声もあるのに首を傾げながら、辿り着いた部屋の襖を無造作に開けて――――佳主馬は音をたてて固まった。

「あれ、佳主馬?」
「コラ佳主馬! 部屋に入る時はちゃんと聞かなくっちゃ駄目でしょ」
「まぁ、もう着替えも終わってたし大丈夫でしょ」
「ほんとに可愛いですねぇ……」
「ええええ佳主馬くん……っ!?」
「どーお佳主馬? 健二くん可愛いでしょう!」

 部屋には直美に夏希、万里子や聖美、理佳、由美、奈々……と陣内家の女性陣が勢揃いしていた。周りにはショップの紙袋やビニール、服が散乱している。
 そして、その、中心に――――


「…………けん、じ、さん……?」


 ブルーの、ふわりとしたキャミソールワンピース。膝を少し隠すくらいの長さで、裾には白いレースが縁取られている。
 そしてそれに負けないくらい白い、剥き出しの肩と腕と脚。
 いつも無造作な髪も弄られたのか整えられ、花のピンが止まっていて。

「こんなの、僕には似合わないよね……」

 解ってるんだけど、と桜色の唇が動いて。
 照れたように、うっすらと朱に染まった頬が――――。

「そ……っ!」
「おー可愛いじゃねぇか。やっぱそういうカッコすると女なんだな」
「そんな言い方失礼だろう、侘助。良く似合ってるよ健二くん、とっても可愛らしい。さすがうちの女性たちは見立て上手だなぁ」
「でっしょー!? この子には清楚な感じのが似合うと思ったのよー」
「他にも買ってきたの! ブラウスとかスカートとか。健二くんスカート全然持ってないって言うんだもの」
「それは勿体無いね、こんなに可愛いのに」
「あ、あう……」
「俺はもう少し派手なのが好み――」
「アンタの好みなんて誰も聞いてないっての」

 後ろから入ってきた男二人に台詞をかっ浚われ、佳主馬はパクパクと口を開閉させた。ついで肩を落としてふるふると震えだす。

(絶対、わざとだ……!!)

 佳主馬が言おうとした瞬間に割り込む、タイミングが良すぎた。睨みつけるように視線を向ければ、こちらに顔は向けないでも二人の口元がニヤと笑う。
 大人気ないのもほどがあるだろう! と佳主馬は悔しげに唇を噛んだ。
「……佳主馬くん?」
「っ!?」
「あ、ごめん驚かせた?」
 気がつくと思いのほか近くに健二がいて、佳主馬はびくりと肩を跳ねさせる。それにすまなさそうに健二が苦笑したのを見て、ようやく佳主馬は健二を見上げることが出来た。
「……買い物行ってきたんだ」
「うん。夏希先輩が女の子らしい服も買わなきゃだめよ、って言うから……。直美さんたちに遊ばれちゃったけど」
 困ったように笑うその顔には、言葉とは裏腹に照れと嬉しさが滲んでいる。
 しかし佳主馬には、その笑顔の裏の寂しさが透けて見えた気がした。
(……、っ)
 ここから帰れば、彼女はまた一人になる。家で一人、家族の帰りを待つことになる。
 それがどれだけ寂しいことなのか、佳主馬は知らない。佳主馬が帰れば聖美は家にいるし、父だって帰ってくる。もう少しすれば新しい家族も増える。親戚だってこんなに大勢いる。だから佳主馬には、健二の抱える寂しさや痛みが解らない。
 解らない、けれど。
 ――――知りたいと、思うのだ。

 ああまた、胸の奥が熱い。
 湧き上がる衝動、これは、この感情をなんと呼べば。

「でもそろそろ脱ごうかな。侘助さんとか理一さんはああ言ってくれたけど、僕がこんな服着ても――」
「っ、健二さんっ!!」
「えっ?」

 瞬間、跳ね上がるように声が飛び出した。
 目を瞬かせる健二の手を掴む。驚いた声に何も返さず、その手を掴んだまま部屋を飛び出る。後ろから健二の声や、夏希や直美、聖美の声も聞こえてくるが音として言葉は聞こえてこない。
 ただ、握り締めた手は細くて少し冷たくて。
 対照的に自分の手が熱いことに、気がついた。
 廊下を走って走って、いつもの納戸に飛び込む。閉じたままのノートパソコン、薄暗い部屋、いつもの、佳主馬のテリトリー。そこに彼女を連れてきた。いつもとは違う、彼女を。
 着くまで一度も振り返らなかった彼女を見やれば、ほんの少しの距離だったというのにもう息切れをしていた。吐き出される息がどこか艶かしく見えて、頬に血が昇る。
「っ、は、ぁ……か、ぁ……か、かずま、くん?」
 途切れ途切れに呼ばれる名前に、更に体温は急上昇。際限がないんじゃないか、ってくらいに上がっていく。どうか頬の赤みには気づかれないことを祈って。

「…………っ、てる」
「え?」
「、っ似合ってる! って言ってんの! どうせだったら、今日はずっとそれ着てればいいじゃん」
「で、でも……」
「本当は嬉しいんでしょ」
「!」
「本当に、似合ってるから。……さっきは、びっくりしただけ。健二さんのこんな格好初めてみたから」
「……うん、僕もこんなの着たの、たぶん生まれて初めて」
 フォローするように付け加えた言葉に、健二はふわりと笑みを零した。その笑顔に苦しくなる。嬉しそうなのに、どこか切ないその笑顔は何を思っているのだろう。もどかしくてたまらない。
 握り締めたままの手に力をこめる。そうすれば健二はくすくすと笑った。
「……言っておくけどお世辞じゃないからね」
「解ってるよ。佳主馬君は優しいけど、そんな嘘は言わないから」
 ぶっきらぼうに放った言葉にまた健二が笑う。その笑顔には曇りも翳りも見えなくて、すとん、とその笑みが胸の奥に落ちてくる。

「……すっごく可愛い。本当に似合ってる」
「うん、ありがとう」

 意を決して言った一言もあっさりと返されてしまって。
 自覚し始めた感情には、彼女が自分を見る目が少々不満だった。

 握り締めたままの指は自分の手よりも少しだけ大きくて。
 それが悔しくて、ぎゅっともう一度握り締めた。



それはまだ、始まったばかりの