僕の好きなひとは一見すると頼りない。腰が低くて気弱でひょろくて、それだけ聞くとちょっと情けないひとだ。 でも、本当は芯が強くて。

『まだ負けてない』

 ときに冷静にもなれる。そしてギリギリまで諦めようとしない。たとえギリギリを過ぎたって、彼は一人諦めたりしなかった。
 出会った時には解らなかった彼の強さ。それが今は亡き尊敬する曾祖母から触発されたものであったとしても、彼は驚くほどに強かった。
 勝ちに拘ってきた佳主馬が勝てないと思った、二人目のひと。
 その強さがどこから来るのか佳主馬は知らない。
 たった二日過ごしただけの人間を、命をかけて守ろうとしたその強さ。強さと優しさは似ているのだろうか、と彼を見ていると思う。
 彼は優しい。優しくて強い。
 立ち向かう姿は格好良くて、普段の笑顔は可愛らしくて。
 そして――彼はとても、怖がりな人だった。




 ゴールデン・ウィークとだけあって人が多い。
 ごった返す駅のホームに少しばかり辟易しつつ、佳主馬は携帯を取り出すと電話帳を呼び出した。
 メールにしようかとも思ったのだが電話のほうが早い。液晶のなか佇むキング・カズマには悪いのだが、目当ての番号を呼び出すと通話ボタンを押して耳に当てた。
『――もしもし佳主馬くんっ!?』
「そんな慌てて出なくてもいいのに」
 勢いよく飛び出してきた声に佳主馬は笑った。
 まだ2コール目なのだが、きっと彼は電話が来るのを今か今かと待っていたのだろう。そう思うと嬉しくて、佳主馬は案内板を見ながら鞄を抱えなおした。
「とりあえず着いたよ。健二さんどこにいるんだっけ」
『僕は……あっ』
 不意に途切れた言葉を不思議に思うのと同時、数メートル先の改札の前に焦がれた姿がいるのを見つけた。
 携帯を耳につけたまま笑顔で手を振ってくる、まるで子供のような仕草の彼が可愛らしい。
 通話を止め改札を出て、近付いてきた彼をほんの少しだけ見上げると佳主馬は微笑んだ。
「久しぶり佳主馬くん!」
「……久しぶりだね、健二さん」
 やっと会えた、と歓喜で震える心を押し隠して。


『あんまり東京って行ったことないんだよね』
 チャット中、そう呟いた佳主馬に「ならうちにおいでよ!」と言い出したのは健二だった。幾度かはスポンサーとの関係で行ったけれども、観光などの理由で行ったことはない。
 別段東京に心惹かれるものは無かったのだが、その言葉に佳主馬は「いいの?」と返した。笑顔で頷く健二が眩しくてくらくらしたのは内緒だ。
 東京に興味は無い。
 けれども、東京に住むかの人――小磯健二に興味はあった。興味というには語弊があるかもしれない。正しくは興味ではなく、好意だ。

 池沢佳主馬は、小磯健二に恋をしていた。

 ――――茨道だということはとっくに自覚している。
 四つ年上で又従姉妹の想い人で、何より同じ性別。男同士だ。どう考えても勝ち目があるとは思えない。
それでも捨てることは出来ない想いを抱えて、佳主馬は東京にきた。
 健二と佳主馬の間には簡単には会いに行けない距離がある。その距離を越えられる機会を見逃せるわけがなかった。
「でも、モニター越しじゃ気付かなかったけど随分背が伸びたね佳主馬くん」
 ぽん、と頭に手が乗せられる。そのまま優しく撫でられることを内心悔しく思った。
 まだ、彼に届かない。
「……もう少ししたら健二さんも追い越せるかもね」
「本当に、どんどんカッコ良くなっていくね」
 ニコニコしながら言う健二の笑みに浮かぶのは、まるっきり親戚の成長を喜ぶそれだ。
 どう贔屓目に見ても、健二の目は佳主馬を弟のようにしか見ていない。それを突きつけられたような気がして少しだけ凹んだ。
 解ってはいてもやはり苦しい。
 健二との身長差はあと数センチ、十センチあるかないか。来年にはその倍ぐらいあると嬉しいのだけれども。
 そうすれば、もう少しくらい佳主馬のことを意識してくれるだろうか――そんな埒もないことを考えながら歩いていると、階段に差し掛かる。
 横を見ながら喋る健二に声をかけようとした時、かくん、と健二が足を滑らしたのに呆れた。
「う、わっ!」
「……やっぱりやった」
 予想通りすぎてため息しかでない。
 目を眇めて転びそうになった彼の腕を掴むと、佳主馬は軽々と階段の上まで健二を引っ張り上げた。
 驚いて萎縮したのだろう、健二は呆然としたように目を丸くさせている。その背を宥めるように数回叩くとハッとしたように彼は佳主馬に向き直って苦笑した。
「あ、ありがとう佳主馬くん……」
 びっくりした、と自分の不注意にため息をつく健二に、しかし佳主馬は少しばかり喜んでもいた。
 健二が話すことに夢中になっていて転んだというのなら、それほど佳主馬のことで頭がいっぱいだったということだ。
 そう考えれば逆に嬉しい。それは健二が佳主馬にどんな形であれ、好意を持ってくれているということなのだから。
「……まぁ、健二さんだし?」
「ぼ、僕だしってなに!?」
「お約束ってコト」
 ニヤと笑いながら言えば健二はうう、と情けなさそうに肩を落とした。それから少しむくれたようにそっぽを向く。
 情けないところなんてたくさん見ているのに、彼はまだ恥ずかしいらしい。そんな仕草も好きで、佳主馬はくすくすと笑いながら――そっと視線を落とした。


 ……頬を赤らめて拗ねるこの人は気付かないのだ。
 一瞬躊躇いながら掴んだ腕に、佳主馬が何を思ったのか。
 そのまま強く、固く抱きしめてしまいたい、と思ったことも知らないままで。

 触れた手のひらをぐっと握りしめ、佳主馬は健二の隣に並ぶ。
 直ぐそばにある指先に触れたい衝動を、胸の内に押し込めて。


「佳主馬くん、お湯沸いたから先にお風呂入って?」
 観光というには小規模な散策をしたあと、健二の家にやってきて夕食をご馳走になった。
 そんなに凝ったものは出来ないんだけど、と言いながら彼が作ったオムライスは美味しくて、その出来具合にこっそり笑う。
 夏に来たときに、健二が女性陣から料理を教わっていたのを佳主馬は知っている。その成果がここに出ているのだと思うと、こそばゆい気持ちになった。
 夕食を食べてからは軽くゲームやパソコンを繋いでいたが、気がつけば九時を回っている。
 健二の言葉に頷き、佳主馬は着替えを鞄から取り出すと風呂場へと向かった。

「……無防備すぎるよ、あのひと……」
 ぼやきながらシャツを脱ぐと、佳主馬は軽くため息をつきつつ壁にもたれかかった。
 いっそのこと泊まりにくるんじゃなかった、とすら考えてしまう。
 それほど健二は無防備で、そして可愛らしかった。佳主馬の理性をぐらぐらと揺さぶるほどに。
 スキンシップが得意そうな人ではないというのに、健二は驚くほど自然に佳主馬へと触れてくる。頭を撫でてきたり、後ろから覗き込んできたり。
 もちろん嫌なわけはないが、ここは親戚の集まる上田ではなく健二の家なのだ。普段からあまり帰ってこないという両親は今日もおらず、佳主馬の滞在中に帰ってくることはまずないらしい。
 ――――つまり、二人きり。
 それを家についてから聞かされたのには、思わず回れ右をしたくなった。
 最初はまだ良かったのだ。基本的に二人ならば座るのは向かい合わせであるし、食事中も当然触れる機会などない。
 けれども健二の部屋に移ってからというものの、勉強を見てもらう時に彼が隣に座り、パソコンをしている時も夏の間もそうであったように隣に座られ、佳主馬の心臓は常に全力疾走中であった。
 それだけならいいのだけれども、ふとした瞬間に肩がぶつかったり腕や指が触れ合ったり。
 果てにはふわりと何かの香りが漂ってきたり――と休まることがなく。
 気を抜くと本能のままに抱きしめてしまいそうになる腕を必死で制していたために、佳主馬は少し疲れ気味だった。
 本当に、危ない。駄目だ駄目だと思っているのに触れたくなってしまう。近付いてきた身長や体格にそそのかされて抱きしめたくなる。
「……夏希姉ちゃんは来たことあるのかな」
 ふと、風呂場を見回しながらそんなことを思った。
 そういえば夏希とはどうなったのだろう。怖くて今まで聞いていなかったが、付き合い始めたのだろうか。
 もう、健二の家に遊びに来たりしているのだろうか。
 もし付き合っているならどこまで進んだのか。あの夏希だからそんなに早くはないだろうけれど、ここまで入ったことが――――。
「さすがにそれはないか」
 あの健二さんと夏希姉ちゃんだし。
 そう思いつつも胸中からはどろどろと暗く煮えたぎる何かが吹き出してきてしまいそうで、佳主馬は頭を振ると洗面台に手をつく。
 顔を上げて鏡に映った自分の顔に苦笑した。
「……酷い顔、」
 嫉妬に染まった、醜い顔。
 唇を噛み締めてその場で俯いていると、不意にガチャリと扉が開いた。
「佳主馬くん、これバスタオ……うわぁっ!?」
「……なんでそんなことしてんの」
 入ってきた途端に悲鳴を上げて方向転換した健二に、佳主馬は呆れたように問いかけた。
「ご、ごごごごめんっ! っていうか、まだ入ってなかったんだ」
「何がごめんなの」
「え、えっと……着替え中、みたいだから」
「……ああ」
 確かにまだシャツを脱いだだけだった。上半身だけ裸のままでいればそりゃ確かに驚くかもしれない。しかしこの反応は少しおかしいだろう。
「女の子じゃないんだから、わざわざ後ろ向かなくてもいいでしょ」
「う、うん……」
 後ろを向いたままの健二の耳が真っ赤になっている。それを見て、どれだけ初心なのかとさらに呆れる。
 この分ならば夏希と進展するなんて当分あり得ない。
 思わぬところで得た確信と健二の可愛らしい反応に気分が上昇した佳主馬は、背後から健二の腕のバスタオルを抜き取ると肩を叩いて促す。
「バスタオルありがとう。お風呂出たら健二さんの部屋戻ればいい?」
「う、うん」
「解った」
 言い置いて扉を閉めると、さっさと服を脱いで今度こそ浴室へと入る。湯気のたつ浴室を見ながら、はたと気がついた事実に今度は佳主馬が赤面する。
「……ふだん、健二さんが入ってるわけ、だよね……」
 気づかなければ良かった事実に気がついてしまい、佳主馬は悶々とする気分を抱えたまま入浴をすませた。