愛は惜しみなく、

「いくよ、夏希姉ちゃん」
「本気でいくから、覚悟しなさい」
 スラリと向けられた竹刀に佳主馬が構えをとった。
 夏本番の暑い陽射しが照りつけるなか、ピリリとした緊張が孕んだ空間を二人が作り出す。陣内家の広い広い庭の真ん中で、二人はじっと睨みすえるようにお互いに視線を向けた。

「ちょ、あ、あの夏希先輩、佳主馬くん……?」
「おや、どうしたんだい健二くん?」
「あ、理一さん。夏希先輩と佳主馬くんが……!」

 ちょうどそこへ通りがかった理一は、オロオロと縁側で慌てる健二に首を傾げた。
 彼の指差す先を見やるとなるほど、温厚な健二が慌てるわけだ。どう考えても一触即発といっていい雰囲気の二人は剣呑なオーラを身に纏っている。さすがこれも武家の血というヤツだろうか。
「あ、あの理一さん? なんでそんな感心してるような顔なんですか」
「うん? いやぁ、さすがはうちの血だと思ってね。二人とも侍みたいだなぁと」
「そんなのん気なこと言ってないで止めてくださいよ!!」
 にこやかに笑う理一に焦れた様子で健二が叫ぶ。しかし理一は止める気など全く無いため彼の隣に腰を降ろすと、傍観の体をとった。
「大丈夫だよ。二人とも武道の心得があるんだし、そうそう大事にはならないさ」
「で、でも喧嘩は良くないですし、というか何で喧嘩してるのかもさっぱり……!!」
(そりゃあ)

 君を取りあってるんだよ、とはさすがに言えなかった。
 そんな勿体無い、とと本人たちに悪いことは出来ない。目の前の相手に拳を、竹刀を向けていても彼らの意識が向かっているところは明らかだというのに。
 ああほら、今だって健二の隣に座っている自分に気が気でない。じりじりと、集中が削がれていくのが傍目から見ても解る。
 勝負を放棄しては相手に勝ちを与えてしまうことになるし、かといってこちらの状態を放っておくわけにもいかない――と、いうところだろうか。
 若いというのはいい。解りやすくて実に面白い。

「あんな炎天下に何時までもいたら、二人とも熱射病になっちゃうし……! 僕が言ってもやめてくれないんですよ。理一さんも言ってくれませんか?」
 困ったようにこちらを見上げてくる彼は、彼自身のアバターに似て小動物のようだ。愛らしい顔を心配に歪めて必死で助けを求めてくる。可愛らしいな、と思わず笑みが零れた。
「な、なんで笑ってるんですか!」
「いやぁ、可愛いなと思って」
「は?」
「――――何言ってんだお前は」
 その時ガコン、と頭上に何かが振り落とされた。
「っ……」
「わわわわ理一さん!?」
「その手、今どこにやろうとしてた?」
 後ろから聞こえる声にふと己の手を見下ろすと、確かに右の手が不自然に上げられていた。驚いた、無意識だったらしい。しかし、可愛いものは愛でたくなるのが本能というものではないか。仕方が無い。
「まったく、お前もちったあ気づいたらどうだ?」
「え? え?」
 後ろからやってきた侘助に頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜられた健二は、不思議そうに目を白黒させた。今自分の身に何が起きようとしていたか解っていないらしい。だが、そんなところもまたいい。
「…………ロクなこと考えてねぇな?」
「お前に言われたくないね」
 侘助の手に持っているもの――恐らく先ほど殴られたブツ――にちら、と目をやり理一は微笑む。
 わざわざこんなところまでやってきて、そんなものを持っているのなら目的はただひとつ。
「ほら、これが前言ってたヤツだろ?」
「わぁ、ありがとうございます侘助さん!」
 日本じゃ簡単に手に入らないらしい数学書。受け取ってうれしそうに微笑む健二を見て、頬が緩んでいるのに果たして気づいているのだろうか?
 ああ、この家では誰も彼もがこの少年に構いたくて仕方が無いのだ。
 それはもちろん、自分もだけれど。

「健二くん!!」
「健二さん!!」
「はいぃっ!?」
 ユニゾンされた名前に健二が反射で体を跳ねさせた。振り向けばそこには、竹刀を放った夏希と構えを解いた佳主馬がいて健二はホッとする。
「あ、二人とも喧嘩終わって……」
「健二くん、私まだ課題終わってないの。一緒にやりましょ?」
「へ?」
「夏希姉ちゃんは後で。僕の宿題見てくれるって、さっき健二さんと約束したし」
「え?」
「お子様二人で課題でも何でもやってろよ。こいつはこれから俺とこの本の問題解くんだからな」
「え? え? え?」
「おじさん今来たばっかりなんでしょ? もうちょっと休んでたほうがいいんじゃない?」
「夏希姉ちゃんだっておばあちゃんに呼ばれてるんじゃないの?」
「お前も確か妹出来たんだろ? 面倒見なくていいのかよ?」

 面白い。実に面白い。

 三すくみ、というのは正にこれのことだ。オロオロしている健二には申し訳ないが理一は楽しくて仕方が無い。こんな光景を見られるとは思わなかった。とくに、この場に侘助がいるということが一年前までは考えられなかったことで。
 渦中の少年こそがこの光景を実現させた張本人だ。
 親戚以外の男に触れられなかった夏希が、他人と距離を置く佳主馬が、斜に構えている侘助が、ひとりの少年に夢中になっている。ほんとうに、考えられなかった光景で。
 もうここにいないあの人は、健二を最初に認めた時点でこうなることを予想していたのだろうか。
 今となっては、誰も解らないことだけれども。

 あの人とこの光景を見られなかったことがほんの少し寂しい、と思いつつも笑顔を崩さないでいると三人の輪から抜け出した健二がこちらにやってきた。またもオロオロとした顔でこちらを見上げてくる。
 ああ、駄目だよそんな顔をしたら。

 攫ってしまいたく、なるだろう?

「り、理一さん! ど、どうしたら止められるんですか!?」
「好きなだけやらせておけばいいんじゃないかな」
「えええええ!?」
 チリチリチリ、と風鈴の音。彼方から聞こえてくるのは、万助おじさんのトラックのエンジン音。
 そしてどやどやと、続々と到着する親戚たちの喧騒がこちらまで響いてくる。子供たちの甲高い声がそここで上がって、廊下を駆ける音。
「ユカイハンはー!?」
「ユカイハンどこー!?」
「こらっ! そんな言い方しないでちゃんと健二お兄ちゃんって言いなさい!!」
「あああ皆来ちゃった……!」
「せっかく来る前に、と思ったのに……」
「あーあ」
「え、ちょ……?」
「健二くん」
「は、はい?」
 子供たちの声と、三人の呟きにパンクしそうになっている健二に声をかける。引き攣った声で忙しなく手をばたばたさせる彼に、今日一番の微笑みを向けた。


「僕と一緒に、逃避行でもする?」


 その台詞を健二が理解する前に、夏希や佳主馬の怒号があがって。
 結果、皆が縁側に集まり健二が更に慌てることになるまで、あと一秒。



勝ち取るものだ!