初めて見たのは、入学式。 演壇に向かう凛とした姿と、前を見据える真っ直ぐな瞳。 紫がかった黒髪が白い肌に映えて。 生まれて初めての一目惚れをした――――。 Baby,Baby,I love you! 「セーンーパーイー!」 「うるさい叫ぶな馬鹿者!」 すぱんっ! と頭上に振り下ろされたプリントの束に、額を勢いよく机にぶつける。 ごんっ、となかなかいい音が鳴ったものの、その場の人間は皆気にした様子もなく作業を続けていた。もはや恒例行事となりかけている習慣に、ルルーシュは呆れたように蹲るジノを見下ろす。 「……いい加減学習したらどうだ? それともお前はマゾなのか?」 「そりゃもちろん先輩に構ってもらえるのは嬉しいですけど、生憎ながらマゾじゃないです」 飄々と笑みを浮かべながら言うジノに、ルルーシュの眉間に皺が寄った。 「そうか。ならお前はやはりただの馬鹿ということだな? いいだろう。これからは徹底的に無視してやる。私は馬鹿は好かない」 「あらあらルルちゃんったら。そんなこと言ってスザクくんの面倒ちゃんと見てあげてるじゃない?」 「あの、会長それって僕が馬鹿ってこと……」 「これは確かに馬鹿ですが馬鹿じゃない部分もちゃんとあるので、まぁなんとか」 「馬鹿馬鹿そんなに言わなくても……」 ちょっと涙目なスザクに構うことなく、ルルーシュは必要な書類を手に取るとさっさと生徒会室を出て行く。 それを見てジノも「手伝ってきまーす!」と元気よくその後を追いかけて行った。 「せーんぱーい」 「…………」 「ルルーシュせんぱーい」 「…………」 「わが愛しのルルーシュせんぱーい!!」 「…………」 「……ルルーシュ」 「っ!!」 距離を詰めて囁くように名を呼べば、ルルーシュはびくっと肩を引き攣らせた。 その反応に気を良くして、ジノはにんまりと笑みを浮かべる。暫し待てば、ルルーシュはその白い頬を薔薇色に染めてジノを睨むように見上げた。 「……名を呼ぶな」 「なんで?」 「……学校の中では呼ぶなと言っただろう」 「今は誰もいないじゃん」 生徒会室を出て部室塔に向かう道には誰もいない。今は放課後で、皆部活に励んでいるからだ。だからここを誰かが通ることはないと解っていても――それでもルルーシュは是とは言わない。 「とにかく離れろ。誰かに見られたら……」 「それが納得いかないんだってば」 トン、と軽く肩を押して小柄な体を壁に押し付けた。そのまま両腕で閉じ込めるように手をつけば、ルルーシュは困惑した様子でジノを見上げる。 「ジノ?」 「ねぇルルーシュ。どうしてバラしちゃいけないの?」 私達が付き合ってるって。 「――――」 「…………今日もだんまり?」 その言葉に顔を俯かせて口を噤んだルルーシュに、ジノはそっとため息をついた。 入学式に一目惚れをして、そのまま生徒会室に赴き、一世一代の告白をかました。 『惚れました!! 付き合ってください!!』 『馬鹿か?』 当然の如く返されたのは、冷ややかな視線と辛辣な言葉。 それにめげることなく生徒会に仲間入りし、毎日のようにアタックを続けて口説き拝み告白し続けて。 『お前には、負けたよ』 そう言って、彼女が微笑んで腕の中に入ってきてくれたのが約半年後のこと。 それから一ヶ月経ったけれども、未だ特に進展はしておらずその上――――。 「『付き合っていることを吹聴しないことを条件とする』かぁ……」 そのため誰も二人が付き合っていることを知らないのである。 おかげでルルーシュへの告白はおさまることも無く、またジノへの告白も後をたたない。 ジノとしてはさっさと宣言でもして悪い虫を追い払いたいし、女の子は好きだが最愛の人を手に入れた以上他の女子などどうでもよい。むしろ煩わしいくらいだ。 しかしルルーシュは頑としてその言葉を翻すことなく、学校ではあくまでも先輩後輩を義務付けられている。 それが何のためなのか、ジノは知らない。ルルーシュも教えようとはしない。ただそれが、羞恥や照れからくるものではないということには気付いていた。 半年間アタックし続けたのだ。その間に彼女が凛々しいけれども意外と天然でドジだとか、クールに見えて情に篤いだとか内面も知っている。 外見はもちろん、中身も知れば知るほど好きになっていって。一生でこんな恋をするのは一度だけだろう、というくらいルルーシュを愛している。 でも、不安にならないわけじゃないのだ。 「ねぇルルーシュ。まだルルーシュの家にも行かせてもらえないの?」 「……っ、駄目、だ」 「何で?」 「……それは」 「学校では内緒にしてるからデートも出来なくて、一緒にいられるのは私の家だけで。……キスも、まだだめ?」 「っ!!」 顔を真っ赤に染め上げるルルーシュに苦笑する。 クールに見えて意外と感情表現が豊かだと気付いたのは何時だっただろうか。 プライドが高くて高飛車だと、そう言われている彼女が本当はとても優しいことに気がついたのは。 そして、人から与えられる好意に臆病で、素直にそれを受け取れないのだと知ったのは。 知れば知るほど好きになる。どんどんハマッていって抜け出せなくなる。 本当に、好きなのだ。 だから。 「……本当に、俺のこと、好き?」 弱気になっても、仕方ないじゃないか。 「ッ!? ふざけるな!! 本当は私が……!!」 「え?」 『ピンポーンパンポーン!!』 「……ん?」 思わず飛び出た弱音にルルーシュが怒りに顔を染め上げた。どこか悲しげに見える、そんな顔で。続く言葉に目を瞬かせるも、それを校内に響いた聞き覚えのある女性の声が遮る。 嫌な予感が、した。 「……会長?」 『ハーイ部活動中失礼するわね、親愛なる生徒諸君! 突然だけどこれから三十分間、部費争奪バトルロイヤル鬼ごっこを開催しまーす!!』 「またあの人は余計なことを……!!」 苦々しく吐き捨てたルルーシュは急いで携帯を取り出す。先ほどの続きを聞ける空気ではなく、学内が騒ぎ出すのを感じて苦笑する。 ――――しかしその苦笑も直ぐに凍りついた。 『今現在この学校のどこかにいる鬼……ルルーシュ・ランペルージを見つけ出して何でもいいから持ち物を奪ってくること!! なんでもいいわよー。ハンカチでも財布でもキーホルダーでも! ――ああ、奪うっていうならキスもありかしら?』 その瞬間、学内が黄色と野太い悲鳴に包まれる。 対照的にルルーシュとジノはピキリと氷漬けにされたかのように固まった。 「……かいちょおおおおおおおお……!!!!」 メラメラとルルーシュの体から炎が昇っていく。携帯で呼び出してもミレイは出やしない。 ルルーシュが抗議の電話を掛けている間にスタートは出され、そして廊下の端で声があがった。 「ランペルージがいたぞー!!」 ぎょっとしてそちらを見やれば男子生徒がこちらを指差している。早すぎだろう!? と慌てるルルーシュの手を掴んでジノは反対へと走り出した。 「こっちだ!」 「ジノ!」 「ミレイ先輩は助けちゃいけないとも何とも言ってなかっただろ!? というか自分の恋人が何かされるの黙って見てられるかっての!」 私だってまだしてないのに!! と嘆きながら走るジノの後ろで、ルルーシュは繋がれた手を見つめる。 しっかりと握られたその手にうっすらと頬を染めて――――嬉しそうにはにかんだルルーシュの顔を、ジノは知らない。 「ランペルージー!!」 「先輩ー!!」 「ルルーシュー!!」 「ルルーシュせんぱぁーい!!」 男女問わず追ってくる生徒達に、ジノとルルーシュはげっそりとため息をつく。 隠れようとしてもその暇さえ与えてくれない生徒達に、誰か入れ知恵でもしていないか? と勘繰ってしまう。しかし放送でルルーシュの現在位置をバラしているということもないので、単純に間が悪いのだろう。最悪だが。 「しーつーこ−いー!!」 「あと何分だ……っ!?」 「えーと……あと、十分ぐらいっ!?」 向かいから飛び出してきた男子生徒を避けて、ジノはルルーシュを庇うように腕を回す。そしてそのまま生徒を体で弾くように避けると、まどろっこしいと言わんばかりに彼女の体を抱え上げた。 「ジノッ!?」 「先輩そろそろ限界でしょ! いいから掴まってて!!」 横抱きにしたまま言って駆け出す。ルルーシュの細い腕が縋りつくように体に回る。思えば、こんなに顔が近いのは初めてかもしれない、とジノは思った。 ふわりと薫るのは香水のような甘ったるさではなく、ルルーシュの香り。 抱きついてくる腕が愛しい。 あと一年早く生まれていれば、と思わないでもなかった。そうしたら生徒会室だけではなくもっと近くにいられたのかもしれない。彼女が何故学校では隠し通すのか、その理由も解ったかもしれない。 ルルーシュが年上じゃなければ、もっと頼ってくれたかもしれない。 追いかけてくる生徒達から逃げながら、そんな埒も無いことを考える。こんな風に真剣に誰かを想ったことなんてなくて、少し疲れるけれどそれが嬉しい。好きな人のことを考えるだけで、こんなに幸せになれるだなんて知らなかった。 だから余計に思う。本当にルルーシュはジノのことが好きなのだろうか。 面倒だったから付き合うということにしたのか、本当は他に好きな人が――例えばスザクが好きだとか、そんなことはないのだろうか。 隠しておきたいのは、知らせたくない人がいるからだ。そんな人物、ルルーシュの幼馴染の枢木スザクくらいしか思いつかない。 でも。それでも。 「先輩っ!」 「なん、だっ!」 「私は、本当に先輩が好きだ!」 「っ!? こんな時に何を……!」 「誰にも負けないくらい、好きだ! 好きで好きでどうしようもないくらい、ルルーシュが好きだ! だから、もう手放さないから!」 「……え?」 「何が何でも、本当は誰かのことが好きでも、それでも絶対別れないから! 一回でもオーケーした先輩が悪いんですからね!!」 それなりに小声なので、周りには聞こえていないだろう。本当は聞かせたいけれど、それだとルルーシュが嫌がる。だから小さな声で囁く。 「っ、……! 私、だって……!」 「え? なんですか?」 「――――っ、もう知らないからな!!」 言葉に詰まったルルーシュが、何か投げやりに怒鳴る。それに首を傾げていると、ルルーシュが何かを胸元から引っ張り出して追いかけてくる集団へと放った。 「ぶっ!?」 「うわっ!?」 「生徒手帳?」 誰かの顔面にぶつかったのか、潰れた様な声が後方から聞こえた。それに目を丸くしつつ思わぬ事態に立ち止まる。腕の中でルルーシュが面倒そうに言い放った。 「それを会長のところまで持っていったやつが勝ちだ! それでいいだろう!?」 そう言ってルルーシュはジノの腕から地面へと降りた。生徒達はルルーシュの手帳に群がりつつもチラチラとこちらを伺ってくる。それでも、これでひと段落かと思い――しかし相変わらず楽しげな声がそれを邪魔する。 『ちょっとちょっとルルちゃん! 自分からあげちゃうのはルール違反でしょう!』 「どこから見ているんだか知りませんけれど、ルール違反も何も無いでしょう。そもそも私はこのゲームを聞いていません」 『でもー、面白くないじゃない!』 「面白くなくて結構。大体、まだ今日終わらせなきゃいけない書類があったはずでしょう。そっちはもう終わったんですか?」 『つまんないつまんないー!! あ、あとまだ三分ぐらいあるからルルちゃんにキス出来た人のところも部費ちょこっとアップしてあげるわよー!』 「げっ!?」 また走らなきゃいけないか!? とミレイの言葉にジノは顔を引き攣らせる。しかし、周りの生徒の反応に慌ててルルーシュを再度抱え上げようとして――――ぐい、と胸倉を掴まれた。 「…………せんぱい?」 「キスで、いいんだろう?」 そう言うと一瞬で顔の間の距離が埋まり――――柔らかなものが、唇に触れた。 「「「「「「…………………」」」」」」 「…………え?」 「う、そ」 「ルルーシュ先輩……?」 「「「「ランペルージぃぃぃぃぃ!!!!????」」」」 その場が、一瞬にして地獄絵図へと化した。 「……せんぱい……」 暫しして唇が離される。呆けたように目の前の彼女を見れば、ルルーシュは顔を赤くさせながらもどこか誇らしげだった。 「…………お前が悪いんだからな」 「え?」 「だいたい、私が同情なんかで付き合うわけがないだろう」 「それ、は」 「それから、もう先輩って無理して呼ばなくてもいい。……私とお前は、恋人同士なんだから」 「……っ!!」 そっと手が細い指に包まれて握り締められる。こちらを見上げる彼女は可愛らしくはにかんでいて。 あまりの可愛さに、この状況じゃなければ押し倒していたところだった。 「…………それで、だな」 「は、はい?」 「こうなった以上仕方が無い。本当は私がちゃんと説得するまで隠しておきたかったが――――お前ならきっと大丈夫だろう」 「……はい?」 「今まで恐らく知らなかっただろうが、私には姉弟がいてな」 突然脈絡のない話をし始めたルルーシュに、ジノの頭にはクエスチョンマークが浮かぶ。それと今までとがどう繋がるのだろうと首を傾げていると――――顔の数ミリ近くを何かが通った。 「…………え?」 「来たか……」 ルルーシュがどこか緊張した面持ちで振り返る。その方向に目を向ければ、そこには可愛らしい顔をした少年と少女が二人、薄ら寒い笑顔を浮かべて立っていた。 「姉さん、本当なの?」 「お姉さま、ご冗談ですよね?」 「……ロロ、ナナリー」 「まさかその、どこの馬の骨ともしれないような男が、姉さんと付き合ってるだなんて、そんなこと」 「フェミニストを通り越して女性にキャーキャー騒がれて喜んでいるような人がお姉さまと付き合っているだなんて、そんなことないですよね?」 にこにこにこと、と浮かべられている笑顔に何故か鳥肌がたつ。笑顔がここまで怖いと思ったのは生まれて初めてだ。 「……その通りだ。私とこいつは付き合っている」 ビシリ、とその笑顔が固まった。 「…………こんな、こんなただデカくて体力が有り余っててテンション高い男と……?」 「お姉様が、付き合ってる……?」 ゴゴゴゴゴゴゴゴと地響きが聞こえてきそうだ。 真っ黒いオーラが噴出してくるのが見える。ゆらゆらと怒りのオーラが二人を包み、こちらを睨む紫色の瞳は殺気で輝いていた。 咄嗟に隣のルルーシュを見やると、彼女はどこか遠い目をしてぼやく。 「…………ちょっとばかし、過保護なんだ。私の姉弟たちは」 「……もしかして、まだいたりする?」 「勘がいいな。あと兄が二人、姉が一人、妹が一人いる」 「……全員あんな感じ?」 「察しがいいと助かるよ」 爽やかに笑みを浮かべるルルーシュにジノは顔を引き攣らせる。目の前の二人だけでも手強そうなのに、あと四人もいるというのか。 「姉さんから離れろこの泥棒猫ーっ!!」 「八つ裂きにしてあげますーっ!!」 「わぁぁぁぁーっ!?」 何処から出したのか、明らかに刃物だと思われる類を取り出して迫ってくる二人に、ルルーシュの腕を掴んで逃げ出した。 追いかけられながら彼女を見やり叫ぶ。 「もしかして隠してたのってアレのため!?」 「そうだ!!」 「説得って、姉妹たちをってこと!?」 「そうだ!! ついでにうちの父親は親馬鹿だ!!」 「うわー……」 「それでもいいのか!?」 「え?」 「面倒な、家だぞ! 私といると、あれに、追いかけ、られるが、いいのかっ!?」 途切れ途切れの言葉を聞き取って、ジノは嬉しそうに破顔する。併走するルルーシュの腰を攫い再度抱き上げると、近づいた顔を見つめ額にキスをした。 「言ったでしょう、もう手放さないって!!」 その言葉に、ルルーシュは幸せそうに微笑んで。 あとは二人何処までも逃避行。
“眩暈がするほど、君に夢中” |