──さて、バレンタインデー当日。
 前日に作った手作りチョコの入った袋を下げ昌浩とリョーマが登校して見たものは、校舎内や校庭などを駆け回っている大勢の人々だった。


「……何アレ」
 怒号や悲鳴の中で変な熱気がムンムンしている。今は冬だというのに立ち上る湯気と空気はまるで夏のようだ。駆けずり回っている人々の中に、見慣れた金色の髪が舞っているのが見えた。呆然としてその光景を見つめていると、後ろから肩を叩かれたのにリョーマと昌浩は振り返った。
「おはよう。昌浩、リョーマ」
「おはよっ、二人とも」
「あ、リナリー先輩、ウィンリィ先輩。おはようございます」
「っス」
「何見てるの……って。あら、今年もやってるのね」
「あたしはもう見慣れちゃいましたけどねー」
 またか、といったように苦笑する二人に???と昌浩とリョーマは不思議そうに目で問いかける。その視線にリナリーは楽しそうに笑って金色を――つまりはエドワードを指さした。
「エドって男の子にはもちろんだけど、女の子にも人気あるの。何せ科学部とバスケ部と陸上部と柔道部のかけもちでしょう? そのせいでファンが増えて増えて」
「しかもアイツ女の子に優しーでしょ? カッコイイタイプだから、あーやって毎年のよーに女の子とかに追いかけられてるってワケ。普通のチョコならあいつも受け取るんだけど、この時期になると薬学部(部活動)とかから媚薬だとか惚れ薬だとか怪しげなモンが出回るからねー」
「なるほど……」
 確かに、聞こえてくる声には「せんぱーい!」だとか「エドくーん!」とか「受け取らないと呪ってやるわよー!」などなど少々過激なものも含まれている。それらから逃げ回るエドは大変そうだ。というかそんなもん部活で作っていいのか薬学部。

「だから気持ちは嬉しーけど受け取れねーから! ホント! 諦め……ぐわぁぁぁっっ!!」

「あ、捕まったわね」
「今年は何個だと思う? ウィンリィちゃん」
「恐らく150個ぐらいは。一年が入ってきてますし。男子からもあるみたいですからねー」
「じゃあ私は150から下で。今年は賭けの対象何にしようかしら」
「そうですねー……」
 ってゆーか助けに行かなくていいんですか?
 迷う昌浩とリョーマの前ではリナリー達が賭けの対象を決めている。その話の内容に目を逸らした先に、ふとこちらを見ている女子30人ほどの軍団を見とめ、リョーマの背筋に冷や汗が滑り落ちた。
「ヤーな予感……」
「え?」

「「「「越前さーんっ!」」」」
「やっぱりぃっ!!」
 あがったハートマークつきの黄色い声に、本能的に危険を感じ取ってリョーマは脱兎の勢いで駆けだした。その後ろを少女達がきゃー! と叫びながら追いかけていく。ばたばたと走り去るそれらを見送って、昌浩は呆然と呟いた。
「さすが全米オープン出場者……」
 リョーマが今のエドの後窯になりそうな予感がするのを胸に、昌浩は教室へ歩きだしたのであった。








「おはようエド。大丈夫?」
「大丈夫…………じゃ、ない」

 げっそりとした様子で机に突っ伏すエドにアレンは苦笑した。エドの机の脇にはあふれんばかりのチョコが入った紙袋が三つほど下げられている。恐らく朝の騒ぎで受け取ったものなのだろう。これらの中から異物が混入したものがないか、またロイが騒ぐのだろう。その光景を思い浮かべて笑うアレンとは対照的に、うんざりした顔でエドは呟いた。
「いい加減にしてくれ……」
「チョコは貰うものじゃなかったの?」
「限度ってもんがあるだろーが」
 お返しが大変だし、薬学部のせいで安全かいちいち確かめるのも面倒だ……とぼやくエドの頭を、アレンはよしよし、と撫でてやる。去年もスゴイと思ったが、今年もまた一段と派手だ。朝だけでこの量なのだから、放課後になるまでにはどれだけ増えていることやら。
「さっきアル君に会ったけど、アル君もたくさん貰ってたよ。一年生なのに凄いね」
「アイツは年上キラーだからな」
 ホストクラブなら間違いなくオバサマ受けしそうなタイプだ。
 よし、今年からはチョコの消費にウィンリィも手伝わせよう。一家四人じゃ多分ムリだ。甘いものは皆好きといってもさすがに健康上に問題が出る。特に親父。糖尿病にでもなったら目も当てられない。
 そう考えたついでにアレンも巻き込もうとして彼女の方を見やり──エドは固まった。
「……何だおまえ、ソレ」
「え? あぁ、うん。何だかたくさん貰っちゃったんだよね。お金ないからお返し出来ないって言ったんだけど」
『それでもいいですから!』って言ってくれたから貰ったんだー、と言うアレンの机の脇にはエドと同じような紙袋。
 ……そうだった、コイツ生徒会でしかも首席でマジシャン部所属だ……っ!

 行事ごとに派手な大道芸やマジックを披露することで、マジシャン部は有名だ。ついでにアレンは二年で中等部生徒会会計。更に今まで一度も首席から落ちたことがない。
 ……甘かった。こーゆーヤツほど本気になる輩が多いのに……!
 後でアレンの持ち物検査をしなくてはならない。男共からの怪しい物体が紛れ込んでいたら、ソイツに数倍のお返し(報復)をしてやるつもりでエドはため息と共に笑みを浮かべたのであった。








「……何してんだ、あんたは」
「あ、おはよー歩」
「おはよう……って違う」
 ひらひらーと手を振るキラにため息をついて、歩はキラ──すなわち音楽室の窓の外の木──に近寄った。
「そんなとこで何してるんだ?」
「いや、今日朝からラクスとかカガリとかに教室連れ出されまくっててね? 全然アスランと一緒にいられないから逃げ出してたんだけど……」
 ちょーっと足滑らせたら……ね? とへらりと笑いキラは己に絡まった葉を指差す。その様子に歩は眉を潜めてから呆れたようにため息をついた。
「……キラ、あんたは『風』だろ。それくらい何もしなくてもとれるんじゃないか?」
「……あ」
 ぽん、と手を叩いてキラはそっかーと感心したように呟く。どうやら忘れていたらしい。普段気にせずに使っていることが多いのに、なぜこういう時だけ忘れるのだろうか。
 あまりのボケっぷりに深くため息をついてから、歩はキラへと腕を伸ばした。
「? なぁに?」
「それ取ったあと。こんなところで“アレ”発動させるわけにもいかないだろ。こっち飛び移れ」
「え、でも……」
「俺よりキラの方が身長低いし、軽いから大丈夫だ」
「……うん」
 戸惑う自分に対してぶっきらぼうに紡がれる言葉に苦笑し、キラはそっと目を閉じる。
 その瞬間、目には見えない何かが渦を巻き、キラと絡まった葉をほどく。そして軽くジャンプをすると、キラは歩の腕の中にふわり、と降りたった。
「ありがとう」
「いつものことだろ」
 口調はそっけないながらも、その目と腕は優しい。二年のつきあいは伊達ではないのだ。一番の友達、とは呼べなくとも一番の『パートナー』であるとは自負している。

 だから。

「……歩こそ、どうしたの? こんなところで。……浅月君は?」
 そこで僅かに反応した歩に気づかないキラではない。先ほどの歩同様ため息をつき、やれやれといったように苦笑した。
「僕と同じみたいだね?」
「……そんなところ、だな」
「アテはないの?」
「今のトコロは」
 さらりと表面上は平然とした様子で応える歩に、ふむとキラは何かを考える様子で顎に手をやる。少しして思いついたように顔を上げるとにんまり、と何かを企むように唇に指を立てた。
「……ねぇ歩、一ヶ月早いホワイトデー。欲しくない?」
「……は?」
 突然の言葉に目を瞬かせる歩に、キラはとてもとても楽しそうに微笑んだのであった。