雨の日は、嫌なコトと良いコトを思い出す。 幸せが壊れた日と……………幸せが、動きだした日。 「…………キラ」 ぼんやりと降り頻る雨を眺めていると、そっと名を呼ばれた。 ゆっくりと背中にかかる重み。ペラ、と薄い紙を捲る音。 少し目を後ろに向ければ目に入るのは自分よりも幾分濃い茶色。 あぁ、彼女の家に来ていたのだと思い出した。 「…………なに?」 「あと少しでレモンパイが焼けるんだが、紅茶とハーブティーどっちがいいか?」 「………紅茶。砂糖は二杯」 「了解、お姫様」 くすりと小さく笑ったのを空気の揺れで感じた。 甘やかされているな、と思う。それは少しだけこそばゆくて、でもとても嬉しい。 ベランダの前のラグに背中合わせ。 突然インターホンのまえに立った僕を、彼女は何も言わずに家へ入れてくれた。 理由を知っているから。 雨の日が苦手なコト。 「アスランのところに行けばいいのに」と言いながら、それ以上は何も聞かない。 アスランのトコロに行くと、僕が彼を傷つけてしまいそうで怖いことを解っているから。 何気ない仕草に大切にされていることを知る。 彼女が僕にくれたモノはたくさんありすぎて。時々どう返したらいいのか解らなくなる。 けれど彼女はかなりのお人好しで。 そんな僕の感情も解ってくれて、その上でわざと頼みごとをしてくるから。 だから、困って。でも嬉しくて嬉しくて。 どうしようもなく好きだと思う。 アスランを思う気持ちでも、カガリやカナード兄さんを思うような気持ちでもなく。 もっと別の感情。 『………守りたいなら、叫べばいい。手なら幾らだって貸してやる。だから―――――』 あの日くれた言葉は、僕の大切な大切な宝物だ。 「………なに笑ってるんだ?」 「別にー? 気にしないで」 「気にするに決まってるだろう……」 そう言いながらも、彼女の目は雑誌の料理ページから離れていない。 気にしていないのだろう。いつものことだから。 けれど何となく淋しいような気がして、くるりと体を反転させると後ろから圧し掛かるように抱き付いてみた。 「重い」と簡潔な答えが返ってくるものの、外そうとも嫌がりもしない彼女にまた笑う。 また少し空気が揺れた。 しばらくそうしてくっついていると漂ってくるのは甘い匂い。 あぁ、焼けてきたのだなと思う。レモンパイは彼女の作るお菓子の中でも最高ランクの美味しさだ。 理由を昔聞いてみたら「好きな人の好物だったから」と言われた。最近その理由が解ったのだが今でもあの変貌ぶりには驚く。 心酔する気持ちも解らなくはない。確かにキレイで、それでいて人間らしい強いヒト。 かくいう僕も結構好きだ。 その理由は彼女とはかなり違って…………どこか天然なトコロが見えるからなのだけれど。 あのヒトのギャップもある意味凄い。カッコ良いと思えばいきなり天然ボケをかましてくれる。 てっきり黒だと思っていたのに実はかなり白に近かった。 まぁでもそのギャップがいいんだよね……と思うのだが口にはしない。背後の彼女がちょっぴり可愛く拗ねるから。 それも人に言わせると「無表情じゃねぇの?」と言われるのだけれど。 結局、自分達が今のところ一番分かり合えているのだと思う。 僕は大切な『世界』を壊されて。 彼女もまた『世界』を壊されたから。 それは決して後ろ向きではなく、むしろ尊ぶべきモノ。 傷の舐め合いをしているわけではなく、むしろ修復して補っているのだから。 過去に囚われるのは止めることにした。 そのきっかけをくれたのは、彼女。 閉ざされた僕の世界を優しく開いて、導いてくれた。 ねぇ知ってる? 本当に助けられたのは、君じゃなくて僕なんだ。 君は否定するだろうけど。 僕の“大切なもの”を取り戻させてくれたのは確かに君だから。 「……キラ、ちょっと離せ。焼けたみたいだ」 「ん。じゃあテーブル座ってるー」 「あぁ」 ほら、今も。 『ちょっと』って言ってる。 それはまた後から抱きついても。傍にいてもいいという証。 ………………あぁもう大好きだよ、ホント。 「ほら、どうぞ召し上がれ」 「わーいvいっただっきまーす!」 ほら。 欲しかったものは、今ここにある。 |