最期の記憶を、覚えている。 優しい狼を抱いて、土の中で眠りについたことを。 どうか、どうか、あの子がこれから幸せになれることを、祈って――――。 「……もゆら?」 「あ、真鉄」 「……比古は、どうしたんだ?」 「まだ学校。ちょっと遅くなるみたいだから先帰ってきた」 「そうか……」 「何かあった?」 「いや、何でもない」 買ってきた食材を冷蔵庫に仕舞おうとテーブルの上に布バッグを下ろした。 最近はエコバッグというのが主流らしく、何故か比古が面白がって買ってきたらしい黒と白のバッグを使っている。 たまに比古が買い物に出かけるときもこれを使っているようで、結構慣れた感じがするバッグになってきていた。 現在、大学に通う真鉄の家には比古が同居している状態だ。 最初に真鉄が学園の高校に入学し、その後比古が追うような形でこちらへとやってきたのだ。出雲からこの学園まではどうやっても通えるわけがない。よって真鉄は高校から大学に進学した今に至るまでをこの部屋で過ごしている。 溺愛する弟の希望を自分が跳ね除けるわけも無く、家事は分担制で仲良く分けた。 ただ一つ、不満というかあまり好ましくなく思うのは。 『異能者』を集めることで有名な学園ではあったが、まさかここで思いも寄らぬ再会をすることになるなど考えても居なかったことだろうか。 「……なぁもゆら。比古は……」 「思い出してないよ。全然」 「…………そうか」 「昌浩も何も言わないし。記憶あるみたいだけど、比古には無さそうだから言わないでおいてくれてるみたい」 「……そうか」 自分は、前世の記憶を持っている。 愚かなことをした自分を、知っていた。 雷鳴と激しい雨、大蛇の咆哮。 今も未だ昨日のことのように思い出せる。そのことを、もゆらとたゆらも知っているのだ。 ただ、比古だけがその記憶を持たない。 それが果たしていいことなのか悪いことなのかは解らない。 今はただ、自分が比古の実の兄で、昌浩が比古の同学年の女子ということだけが比古にとっての二人だ。 かつて死闘を演じた幼い少年の面影はそのままだが、正直初めて会わされた時に絶句したのを覚えている。 その近くに神将がいたけれど現代に解け込んでいることに驚いたものだ。 「ねぇ、真鉄」 「ん?」 「真鉄は、比古に思い出して欲しくないんだよね?」 「……ああ」 「じゃあ、何で昌浩と一緒にいるの止めないの?」 「確かにそれは気になっていた。どうしてだ? 真鉄」 「それは……」 確かに比古には遠い過去の記憶など思い出して欲しくない。 あんな記憶は邪魔なだけだ。辛い思いをした記憶など持っていてもしょうがない。それが前世のものであるならば尚更だ。 確かに、思い出させたくないのならば昌浩といさせるのは止めさせるべきだろう。 昔関わった人間といれば何時どんな拍子で思い出すか解らないからだ。 でも、真鉄は出来るのならばそうしたくはなかった。 「……比古が、欲しがっているからだろうな」 彼女を。 昌浩を、欲しがっているから。 過去がどうであれ、今の『比古』は昌浩を恋愛感情で好いている。 ならばそれを応援するのは『兄』である自分の役目だろう。 たゆらは過去の記憶がある。 しかし、それも最期までとはいえない。自分達がいなくなって、少しのところで途切れている。 だから比古があのあと幸せになれたかは定かではないのだ。 あの時祈った願いが叶ったかどうかは誰も知らない。 ならば今、ここで生きている比古が幸せになるのを見てみたいと思ってもいいのではないだろうか。 『真鉄――――っ!』 泣きながら自分の名を呼ぶ声が、今も忘れられない。 本当はもっと傍にいたかったけれど。でもあの時出来た選択はあれだけだった。 だから今の生活が幸せで仕方が無い。 近くで。何の憂いも無く傍で、見守り、共に生きていくことが出来るこの時が。 泣きたくなるほど、愛おしい。 今度こそ、最期まで。 大切な子供を、守るのだ。 「ただいまー!!」 「あ、比古だ! お帰りー!」 「お帰り、比古」 「只今もゆら、たゆら。あ、真鉄も帰ってたんだ」 「お帰り比古。もう少しで出来るからな」 「俺も何かやるよ」 「ならば俺と一緒に洗濯物を。生憎ながら俺には取り込めない」 「解った。じゃあ俺たゆらと洗濯物取り込んでくるー」 「任せた」 緩やかに、穏やかに。 過ぎ行く日常が、今の自分の幸せだ。 そして願わくばこの幸せがいつもでも続くことを、祈っている。 |