「―――─ねぇ、一人なの?」 後ろから聞こえた声は優しく穏やかで、何故か酷く心に響いた。 夏の幻 「何でこんな所にいるの? パーティー嫌い?」 それは自分よりも幾分幼い少女だった。 ベビーブルーのミニドレスに、背の半分ぐらいまでの美しく黒い髪。雪の様に白い肌。そして、まるで黒曜石の様に輝く瞳。思わずはっと息を飲む程美しい少女だった。 しかし、その美しさに目を瞠るも直ぐに六合は平静を取り戻した。パーティーで声をかけてくる女性が自分に望むものは一つしか考えられないからだ。この少女も同じとはあまり思えないものの、警戒はしておくに限る。幾分低い声を意図的に作って六合はその問いに答えた。 「……人が多い所が苦手なだけだ」 「そうなの?」 小首を傾げ少女は六合から少し離れた柵に寄りかかる。パーティーの広間から出た場所にあるテラスには二人だけだった。満月が紺碧の海を照らし、静かに波の打ちつける音が耳に届く。潮風が二人の間をすり抜け、そこは喧騒から遠く時が緩やかに流れる空間だった。 「飲む?」 ぼうっと海を眺めていると横からカクテルグラスが差し出された。少女の両手にあるグラスはブルーとピンク。断ろうとしてから不意に気が変わる。礼を言いブルーのグラスを受け取った。 口をつけた液体は甘く、少しだけ涼しげな味が舌に残る。 「ねぇ、どうして広間へ行かないの? 貴方のお父さまが探していたけれど」 「……俺を、知っているのか?」 「もちろん。有名だよ、貴方のことは。誰からの誘いも断る、樹将家の寡黙な六合様?」 くすくすと少女は楽しげに笑いながらグラスに口をつけた。 「どんなに家柄や見目がよくても、貴方のお眼鏡にかなう方はいないって評判だよ? なのに今度アベノ家の令嬢と婚約が決まってご機嫌斜めってトコかな」 「……詳しいな」 「有名だよ。とうとうお嬢様方の羨望の的、六合様が結婚されるって」 「俺は賞賛を受けるような人間じゃない」 そう言ってこちらを向く少女に六合は居心地悪そうに顔を背けた。するとぷっと小さく吹き出す音が聞こえて六合は振り返る。見ると少女が僅かに体を丸めて可笑しそうに笑っていた。 「ご、ごめ……っ馬鹿にしたわけじゃなくって……あれだけ寡黙って言われてる六合様が反応したから……」 「……六合でいい」 憮然とした表情を浮かべて六合は柵に寄りかかる。普段相手にする令嬢とはどこか違う少女に、六合の気分もほぐれてきた。ここ最近、異性といて少しでも安らげたことがあっただろうか。軽く目を伏せてさざなみに耳を澄ましていると、少女が近づき顔を覗き込んできた。 「そんなに無理矢理婚約したのが嫌?」 「……嫌という訳じゃない」 「じゃあ、何で?」 光を弾く黒曜石の瞳に自分が映っている。 吸い込まれそうな気分になってくる瞳。 それをじっと見つめていると何故か、言葉がすらすらと出てきた。 「……会ったことも無い者と結婚しろと言われても困る」 「へぇ? 恋愛は自分でしたいタイプ?」 「そうじゃなくて…………相手に悪いだろう」 「え?」 その言葉に少女は驚いた様に瞳を瞬かせた。 「……俺はこの通りの性格だからな。結婚したとしても、きっとつまらない。だからこんな男では相手の女性に悪いだろう」 「……優しいんだね」 「優しい訳じゃない。…………もし大切に出来なかったら、辛いだろう?」 相手が。 「…………やっぱり、優しいよ。六合って」 そう言って少女はどこか嬉しそうに微笑んだ。手に持ったカクテルグラスのブルーに映る微笑みを、満月の光が照らす。その微笑みに、六合は何かが胸の奥で胎動し始めるのを感じ取った。 「大丈夫!きっと六合は相手の人を幸せに出来るよ、俺が保証する!」 普段なら、気にも止めないその言葉に。 酷く甘い何かを覚えて。 ――──まるで、少女がそのまま消えてしまうんじゃないかなんて、馬鹿なことを考えた。 「六合?」 かけられた声にハッとして沈んでいた意識を引き戻す。首を傾げる少女に何でもないと首を振ると、少女はふっと微笑み六合の頬に口づけた。 「っ!?」 「俺、もうそろそろ行かなきゃ。じゃあね、六合。また!」 そして少女はあっというまにドレスを翻し、テラスから駆けていった。 “また”? 会えるだろうか。 まるで、蜃気楼のように。 満月と、海がみせた。 幻じゃなかったのだろうか。 そう思ってしまう程、少女の姿が頭から離れない。 これから婚約者と初顔会わせをするのに、これではまずい。 何故ならこの状態はまるで──――。 「恋患い、みたいだな」 「騰蛇……」 よっ、と片手を挙げて笑う親友の姿にため息をついた。 「何だ」 「俺の妹が到着だ。くれぐれも冷たくしたり泣かしたりするなよ?」 「…………シスコン」 「何とでも言え」 書類を軽く片付け立ち上がり、部屋を後にする。横に騰蛇が並び、親友のシスコン度合いを思い出して六合はまたため息をついた。 「俺などにお前の大切な妹を預けて大丈夫なのか?」 「俺だって本当は嫁になんて出したくなかったさ。だけどアイツが行くって言い出したんじゃ……」 いい加減妹離れしろってどやされたんだよ、と言う友の姿に微かに笑い、六合は広間の扉の前に立った。 あの少女の事が、忘れられたらいいのだが。 このままでは本当に最低な男になってしまう。 いざとなったら婚約は破棄に――と、そう思いながら扉を開けて中に入り。 六合は呆然と固まった。 「おぉ、六合様。これが儂の孫娘です。ふつつかな孫ですが、どうか宜しくお願い致しますな」 「…………“初めまして”アベノ昌浩です。どうか、末永くお願い致しますね?」 にっこり。 と、清々しいまでの微笑みで優雅にドレスの裾を摘みお辞儀をするのは、あの夜に出会った少女だった。 「なっ!?」 「どうした? 六合」 隣で怪訝そうな顔をする騰蛇に構わず、六合は信じられぬ気持ちで昌浩に近寄る。すると昌浩は悪戯っぽく片目を瞑り、口元に人差し指をやって微笑んだ。 「…………“また”って言ったでしょう?」 その言葉に彼は目を見張って――――降参、とでもいう様に苦笑した。 それは、夏が見せた幻なんかじゃなくて。 ちゃんと実在するひと。 そしてこれからも続いていく、物語。 “まだまだこれは、キセキの途中。”
いめーじ的には中世っぽい感じで。社交界。 |