『お前達、そろそろ復学してきたらどうだ? 中途半端に終わらせたりしないで卒業くらいちゃんとして来い』



 バジュラ――いや、ギャラクシー率いるグレイス・オコナーとの戦いから約半年。一段落はしたけれど事後処理はまだまだ残っている、そんな時、学生組に向かって大人達は口々にそう言いだした。

 その言葉にアルトもミシェルもルカも、目を丸くせずにはいられなかった。大量の仕事に忙殺されて、学校のことなどすっかり忘れていたからだ。この先、少なくともミシェルやアルトはS.M.Sを職場にするつもりだったし、ルカもまだまだこの場所で学ぶことを決めていた。
 そもそも緊急事態、戦時下であったとはいえ軍事会社に所属し、かなりの功績を挙げている三人ともがこのままここに残ろうと決意こそすれ、また学業に勤しもうとは考えてもいなかったのだ。
 だからこそオズマやカナリア、キャサリンとボビー、更にはワイルダーまでもがわざわざ呼び出してまで告げてくるそれらに三人は戸惑うしかなかった。
 無事にフロンティアが星へと移住できたにせよ、S.M.Sにはまだまだ仕事は山積みである。現状だって猫の手も借りたいほどに忙しいというのに、ここで三人が復学してしまえば更に忙しくなるのは誰が見ても明らかだ。
 だというにも関わらず、その一番の弊害を蒙るだろう人達がそう薦めてくるのにはどうしたものか。こんな状態のS.M.Sを捨て置けるわけにはいかないのだから、学校はもういいのだと言ってもその言葉が三人に告げられない日は無かった。

 『確かに忙しくなるかもしれないが、学校で学ぶことは勉強だけじゃない。こっちのことは気にせずにもっと青春を謳歌してこい』と彼らは言って譲らない。
 それはきっと、先の戦いで子供から大人にならざるを得なかった三人への遠回しな労いなのだろう。シェリルやランカも、新たにマネージャーとなったエルモと実兄であるブレラに毎日のように似たことを言われていると聞いた。最も、ブレラにはエルモがせっかくだから学校に通えばいいと薦めているらしいが。
 また、戦いのあとブレラは事実を知ったオズマに熱烈に歓迎されブレラ・リーへと名を改めた。今ではオズマ・ランカ・ブレラの三人で暮らしている。そのため、帰宅するとランカだけではなくブレラもオズマからそう諭されているのだと、ランカはこっそりと楽しげに教えてくれた。
 人の温もりを、情を与えられるやり取りに戸惑いつつも、小さな笑みを浮かべる『お兄ちゃん』はかわいい、とランカは笑う。そんな幸せそうな微笑みにアルト達も笑った。
 小さな幸せを嬉しく思う。こんな風に皆で過ごせる優しい時間を愛おしく思う。例えどんなに短い期間であろうとも、確かに学校での時間もまた大切なものなのだ。
 戦いのお陰でそのことに気が付いたアルトは何度も迷った末に、オズマ達の労わりに甘えることにした。そしてミシェルやルカもまたそれに賛同したのだ。

 そんなわけでアルトとミシェル、ルカ、ランカとシェリルは復学したの、だが。

「正直パイロットコース行ったって、既にパイロットなわけだからなぁ……」
「まぁ、確かにやっていることはそこまで変わりませんよねぇ」
「要するに、遊んでこいってことだろ。だったら目一杯遊んでおこうぜ。そのほうが隊長達も喜ぶさ」
「そうですね」
 ミシェルの言葉にどこか安堵したような、嬉しそうなルカにアルトはこっそりと笑った。
 怪我が治り、無事に退院したナナセがルカのアタックの末にその告白を受け入れたのは周知の事実だった。漸く意中だったナナセへの恋が実り、更に復学して傍にいられることが嬉しいのだろう。大人っぽくなりつつも無邪気に喜ぶその姿にアルトとミシェルは顔を合わせてこっそり微笑んだ。

 リニアカタパルトを飛び出した先に広がるのは一面の、蒼。
 浮かぶ白い雲も無く、その色は僅かにも邪魔されることなく美しく澄み渡る。セレスティア・ブルーの空はまさしく天上の彩色でもって飛び交う命を見つめていた。
 そんな、何処まで飛んでも果てのない蒼穹は飽きることなくアルトを魅了する。造り物などでは無く、生命の息吹を感じさせる空は一分一秒として同じということはなくその姿を変えた。
 人の意図などいとも容易く撥ね付ける広大な自然――それがもたらす厄と恵み。今までバイオマス型宇宙船で暮らしていたとはいえ、ある程度調整が出来たフロンティアとは違うそれと人とが上手く付き合おうと試行錯誤するなか、アルトはそんな思索を歯牙にもかけず空を飛び回る。
 そしてそんな美しく気高い青のヴルキュリアに、ミシェルはただただ魅了され続けていた。
 本当に、放っておけば何処まででも飛んでいってしまいそうだ。あれだけバルキリーでもって宙を飛んでいるというのに、EXギアを纏い広大な空を飛ぶアルトは何時でも嬉しそうな顔をしている。
 毎日毎日ひたすら空を飛んでいれば飽きそうなものだが、アルトは雨などの天候不調で飛べないのを厭いこそすれ飽きることなど到底やってきそうにない。
 そんなアルトにシェリルは呆れランカやルカは苦笑し、そしてミシェルはといえば、空ばかりで自分を省みようとしない恋人にため息をつくしかなかった。

 クランを庇ったときに重傷を負ってしまい、昏睡状態にいたミシェルは最後の戦いには間に合わなかった。
 クランを庇い宇宙に吸い出された時にはもう意識はなく、自分は死んだものだと考えていた。が、しかしその宙域を偶然通っていた軍に拾われてミシェルは一命を取り留めたのだ。起きた時には病院にいて暫し呆然としたものである。
 しかも集中治療室にいた頃、S.M.Sはフロンティアから離反していたために連絡がいくこともなかったので、自分が生存していることを誰も知らなかったのだ。その後、軍からS.M.Sに連絡が行き、漸く感動のご対面となったわけである。
 目が覚めた時には知らせを聞いて駆けつけてきたクランに大泣きされ、オズマからも泣かれルカもまた笑いながら涙を零した。そんな中、アルトだけは一人泣くこともなくミシェルを見つめていた。
 皆が帰り二人きりになると、アルトはゆっくりとミシェルに触れてきた。頬、髪、肩、腕、指、とひとつずつ確かめるように触れられる手は優しく、最後にそっと唇に触れてきたアルトはふわりと美しく微笑み、一筋だけ涙を零した。
 その微笑みは今でも忘れられない。
 少し大人びた、けれどもどこか無垢な子供のような笑み。
 アルトからは以前まで感じていた焦燥のようなものが消えていた。
 虚勢を張って自我を、アイデンティティを形作ろうとしていたその焦りが消えていたのだ。そしてそれはクランから戦いの最中、アルトが化粧をしていたと聞いたことで納得した。
 アルトは受け入れたのだ。あの南の島で美しく泣いていた『有人』を。自分が昔舞台の上に見たあの少女を。ミシェルの想うたった一人の穢れなき真白の姫を。
 男の自分も女の自分も受け入れて、アルトは強くなった。自分が見ないうちに成長してしまった彼を見ると、ほんの少し悔しくなる。
 本当ならばその成長を傍で見ていたかった。例えその成長が自分によるものでないとしても、アルトの開花を近くで見たかったのだ。
 そんな彼を支えた歌姫二人を、心底羨ましく思う。アルトを強く、美しく成長させたのは彼女達なのだろうから。
 そんなことをつらつらと考えながら、ミシェルは相変わらず空に夢中なお姫様を見上げて何度目かになるため息をついた。
 一度地上を飛び立つと、アルトはなかなか地上に降りようとはしない。ミシェルもそれに時折付き合うものの、余りの長さに先に降下することがしばしばだ。
 ミシェルだって飛ぶことは楽しいと思えどもアルトのそれには到底及びつかない。どう考えても、自分への恋情と空への執着とでは、後者のほうが上なのではないかとしか思えなかった。
「俺と空、どちらか一つ選べって聞いたら、何て答えんだかな……」
 思わずふと浮かんだ考えを口にしてしまい、その内容の馬鹿馬鹿しさにミシェルは頭を抱えた。
 これでは女性が口にする「仕事と私、どちらが大切なの?」という問いと変わらないではないか。女々しいにもほどがある。
 自分はいつからこんなことを考えるようになってしまったのだろうか。情けなさに少し泣けてくる。だが、それでも間違いなく選ばれないであろう自分に空笑いを浮かべるしかなかった。

 そうと解っていても、好きなのだけれども。

 『女』である自分を受け入れたアルトは尚一層その美しさを増した。元よりそこらの女性とは比べるまでもないほど美人であった彼の艶は老若男女問わず人々を魅了し、更に情に篤く義理堅い『漢』らしさ、成長した内面に惹かれる者も多くなった。
 つまるところそれだけライバルが多くなったということでもある。
 別次元でアルトと共感してしまった銀河の歌姫二人はともかくとしても、S.M.S内に密やかに出来た早乙女有人ファンクラブなるものの存在は如何ともしがたい。
 ただでさえ男ばかりの軍事会社。そんな中に芸能人よりも華やかな者がいれば自然にアイドル的存在となってしまうのは別段おかしなことでもないが、それが自分の最愛の恋人であれば話は別だ。
 ミシェルには、人よりも強い独占欲を持っている自覚がある。
 今まで特に何にも執着してこなかったからこそ、一度手に入れたものは絶対に離しなどしない。誰の手にも触れさせたくないし、本当ならばカケラたりとも見せたくはない。宝物のように閉じ込めて、自分だけしか見ないようにしてしまいたいという欲も存在するのだ。
 もちろん、空を舞うアルトは美しく華麗で閉じ込めておくには勿体無さ過ぎるし、何よりそんな誰からも愛でられるお姫様が自分のもの、ということがミシェルの心を宥めているのでそんなことをしたりはしないが。
 だがそんな最愛のお姫様は今、地上へ恋人を置いて空中飛行の真っ最中だ。地上にいる恋人のことなんて忘れてしまっているのではないかと思うほど楽しげなそれを見上げて、ミシェルは深く深く、今日何度目になるか解らぬため息をつくしかなかった。