もはやシェリルが差し出せるものはこの身一つだけだ。

 保っていた地位はこの場では存在せず、金など幾ら出したってどうしようもない。利益や取引に使えるものは、もはやこの身体しかない。そう思って、しかしそれは自分だけではないのだと突然気が付いた。
 みな、この身一つで闘うしかないのだ。空を目指す少年だって、今はここにいない優しさの歌姫だって。誰もが自分に価値を求めている。怯えることなどなに一つないのだとシェリルは笑んだ。
 体中の細胞が悲鳴を上げている。解っている。もう終わりが近いということはとっくのとうに理解していた。
 それでもシェリルはマイクを手に取った。アルト達がその手に武器を持つのならばシェリルが持つべきものはたった一つだった。彼女の武器はこの声のみなのだから。
 あのリン・ミンメイのようにはなれなくても、ランカのように特別な力を持てなくても、シェリルの武器はこれだけで、だからこそシェリルは絶望から這い上がることができた。アルトの手を離すことができた。
 それは意地やプライドというものよりも尚深く刻み込まれた、ヒトとしての本能。
 希望という名の人たちを生かすために、この声がある。

 虚空に光が走る。星の瞬きよりも尚眩く軌跡を描くそれは、まるで祈りだ。
 誰もが大切なものを守りたいと祈るその心が、シェリルは愛おしくてたまらない。用意されたのは一人きりのステージ。観客は襲い来る――――あるいは自分達が襲うバジュラのみだ。
 パイロットにも歌は聴こえるのかもしれないけれど、戦闘の最中に聞き惚れるものなどいやしない。それに最大の目的はバジュラの足止めなのだから、パイロット達が止まっても意味はない。だから今、初めて自分の歌がどこまで通じるかを試している気がした。それは、切なさすらも凌駕してシェリルの肢体を包む。

 遠くに青の球体が見えてきた。その美しさに息を呑む。初めてフロンティアを見下ろした時感じた感動よりも深く、胸を打つ。命の躍動を感じる青と緑と白に、魂が揺さぶられるような感覚を覚えた。

 ああ、あれがマザー・プラネット。
 命が育まれる母なる大地。

 命尽きようとしている自分が、未来のために殉じようとしている。アルトは本当のことを知ったら止めるだろうか。ランカは泣くだろうか。優しい子達。彼らの未来の礎になれるならば、シェリルは幾らだって強くなれる。
 それに、ただの殉教者ではないのだ。
 シェリルは、自分のために歌うのだから。
 歌うことがシェリルの人生の全てで、それしか持っていない。どこから見ても美しく、華麗に舞台を舞うしなやかで豊満な肢体と長いステージを休憩なしでも歌える体力。そして魅力的に見える笑顔と歌声。
 それが、シェリル・ノーム。銀河の妖精と唄われた歌姫。
 そして今、初めてシェリルは自らの願いだけで歌うのではなく。

 胸の中に生まれた、強く輝く愛のために歌うのだ。


「みんな、行くわよ!」


 ここには希望がある、願いがある、未来がある。もうシェリルに残された時間は少ないけれど、それでも最期までシェリルは自分に殉じたい。

 さぁ、闘おう。闘い続けよう。星の煌めきにも満たない命がどれほど尊く、強く輝くのか銀河に見せつけてやる。
 この歌が、シェリル・ノームに宿る愛の化身だ。

 だからどうか、今はまだこの戦場の戦乙女は。
 私だけでいて。



“君を尽きるまで愛して死にたいよ”




 ノーザンクロスは正しくシェリルの歌だと思う。
 戦乙女=バルキリーだけど、シェリルはワルキューレの意で。戦死者を受け入れるもの。