それは、窓から差し込む夕陽にキラキラと照らされていた。

 銀の蓋が橙の光に照らされて、まるで黄金のように輝く。その美しさに見惚れて声が出せずにいる子供を、父親はそっと抱き上げた。
 力強い腕はいとも軽く幼子の体を抱きこむ。その温もりに子供ははっと、まるで夢から覚めたような面持ちで父親を見上げた。優しい眼差しが子供をじっと見つめている。
 向けられる眼差しに少し照れたように子供はそっぽを向く。それでも己を抱く父の服を握り締めて離そうとしない姿に、父親が笑みを零す。そう、そこは子供が世界で一番安心出来る場所だった。

「……ねぇとうさん。これはなに?」
「これは懐中時計というんだよ。ここを押すと蓋が開いて、時間が解るんだ」
「へぇー……すっごく綺麗だね!」
「だろう? ……父さんの宝物なんだよ」

 とても大切な、ね。

 そう言う父親から視線を外し、子供は時計をじっと見つめた。
 父の掌よりも幾分小さなそれは一見しても値の張る品であることが解る。純銀で作られたそれには、蓋の中央にはまるで座すように大きな薔薇の細工があり、その周りを蔦が取り囲んでいる。裏にも、そして側面に至るまで美しい細工が彫られており、子供はほうっと小さなため息を吐き出した。
 子供の家では美しい彫刻や絵画、細工品などの美術品は珍しいものではない。当主を務める父やその妻である母の審美眼は高く、自然と子供は一級と呼べる芸術品の中で暮らしてきている。そんな中で生まれ育った子供がその美しさにほれぼれとして息をつくというのだから、その時計の価値は相当なものだろう。
 懐中時計の美しさに目を奪われる子供をそっと見やり、父親はふっと目を細めた。

 誰かの持っているものが欲しくなる、というのは子供にありがちなわがままだろう。
 しかもそれがこの世に二つと無さそうな代物であるならば尚更だ。子供であるが故の幼く、そして純粋な欲望というものはあって当然だ。
 それでも、この年頃の子供にしては色々と悟っていたはずの子供も、このときばかりは違うこととなった。

「……父さん。俺、これ欲しい」
 大切な品だというのは子供には解っていた。父親が自分で言うくらいなのだから本当に大切なものなのだろうとも。

 それでも、あの時欲しがってしまったのは何故なのだろうか。
 今でも思い出せない。……思い出したくないのかも、しれない。

 そして父は少しだけ困った顔をしてから――苦笑して、子供の頭を撫でた。
「……解った。これはお前にやろう」
「ほんと!?」
「ああ。ただし、まだ渡すことは出来ないんだ。お前がもう少し大きくなったらあげようか」
「ぜったい、ぜったいだよ!」
「解っているよ。……お前が大きくなったら、な……」

 ――――今思えば。
 父は寂しそうな、悲しそうな。とても複雑な表情を浮かべていた。
 あの頃の子供は、自分は気づかずにはしゃいでいただけだったけれど、今になってそれが解る。父は渡したくなかったのだ。もし何も無かったらきっと、自分はその時計の存在を忘れていただろうから。
 父は自分に背負わせたくなかったのだ。指名も責任も重圧も、運命も何もかも。

 もし、時計を自分に渡すときがくるとするならば。
 それは父がこの世からいなくなる時だと知っていたから。――連綿と続く呪いを、運命の鎖を自分へと継がせる時だと。父はそれを回避しようとしてくれていたのだ。
 幸せを願ってくれていた。最期まで、ずっと。
 それでも、この時計を受け取らなければ良かったなんて思わない。この時計を自分が受け取ることを、父が望んでいなかったことは痛いほどに解るけれど。
 でも。



『……契約を望めば、貴方もただじゃすみませんよ?』



 夜空の下、天に向かい舞い上がる炎の灯りで照らされた寂しげな紫に囚われてしまったから。

 出会わなければ良かったなんて、思わない。
 今も、これからも、ずっと。





そして、業に結ばれた絆は巡り会った