いつからか、だなんて覚えてない。 それはするりと心の隙間から滑り込んできて。 いつの間にか、大きな位置を占めていたから。 君よ、どうか笑顔のままで 「あ、こんにちはグリーンさん!」 「……ああ」 「グリーンさんもお買い物ですか?」 「そんなところだ」 自分の言葉はよく素っ気無いだとか冷たいとか言われる。怖いや、足りないとも。 けれどそれは別に怒っているわけではなくて、口下手なだけなのだ。何を話せばいいのかも解らないし、特に無理矢理話すような話題もない。そういう態度が人に自分をそう見せているのだろうけれど、目の前の少女はそれを知ってか知らずか自然に接してくれる。その空気はとても好ましいと感じるのだ。 「そういえば今、ここに来るときにポッポが巣を作っているのを見たんです。カモネギが作っているところは前に見たことがあるんですけど……」 日常の何でもないことを、とても楽しそうに語る彼女が可愛らしくて愛おしい。頭の後ろで歩く度に飛び跳ねるポニーテールもまるで彼女の気分を示すバロメータのようだ。気の利いた言葉一つ言ってやれないけれども、ただ聞いているだけで嬉しそうなイエローを見ていると心が安らいだ。 「あ、レッドさん……」 しかし、そんな空気が不意に消えてぴたりと歩調が止まった。隣の少女が見つめる先には自分のライバルであり親友とも呼べる少年の姿がある。その親友は見知らぬ少女達に囲まれて照れた様子で何かを話していた。 ……大方、ポケモンリーグ優勝者としてファンに騒がれているのだろうけれども。 友人としての年月からか、隠してはいるものの彼が困っているのは直ぐに解った。上手くかわせないらしいレッドを見てそっとため息をつく。ふと隣の少女に視線をやると、彼女が無表情でそちらを見ているのに気が付いた。黒曜石のような澄んだ黒い瞳には僅かな翳りが浮かんでいる。 「イエロー?」 「……行きましょう、グリーンさん。挨拶したいですけどレッドさんお忙しそうですし」 名を呼ぶと彼女はハッとした表情でこちらを見て、直ぐに常と変わらぬ笑みを浮かべて見せた。それでもどこか強張ったような笑顔に一瞬躊躇うも、少し強めに腕を引っ張られて歩き出す。まるでその場を逃げるように離れて最後に見たものは、こちらに気付かないレッドの姿だった。 「…………」 「…………」 二人で夕暮れの道を歩く。先ほどの場所から時折言葉は交わすものの、会話は直ぐに途切れてしまっていた。イエローは懸命に話題を探して笑顔で話を振ってくるのだが、先ほどの光景がちらつくのか俯きがちだった。少し前にグリーンがイエローの荷物を持ち「送っていく」と言ってからは無言の状態が続いている。家までの道中、やはり少女の表情は晴れないままだった。 「あ、ありがとうございました!」 暫くしてイエローの家に着くと少女はぱっと明るい笑みを浮かべてみせた。もう外は暗くなりぽつぽつと電灯が点いている。そのお陰で彼女のその笑顔が無理して作られたものだと簡単に解ってしまった。 「言わないのか?」 「……何を、ですか?」 返される声は固い。顔こそ笑顔のままだがぎこちないことなど丸解りだ。彼女の本当の笑顔がもっと綺麗で暖かなものだということは良く知っているのだから。 「お前の気持ちをアイツに、だ」 「……言えませんよ。言ったら」 この関係が崩れ落ちてしまう。 「…………」 「レッドさんを好きな人はたくさんいて……僕なんてその内の一人にすぎないんですもん。だから、想うだけでいいんです。それでも他の人よりもずっと近くにいられるんですから」 そう言って微笑む彼女がとても小さく見えて。切なくて痛々しくて愛しくて――思わず、抱きしめた。 「――っ!? あ、あのグリーンさ」 「俺にしないか?」 「……え」 「俺だったらアイツよりもお前の傍にいられる。寂しくも悲しくも、そんな辛い思いもさせやしない。……お前だけ、見ていてやれる」 だから 「俺にしておけよ」 「……!!……」 告げられた言葉の意味にイエローはただただ驚き目を見開いていた。落ちた買い物袋もそのままに彼女は緩やかに自分に抱きしめられている。呆然としたその様子にグリーンは苦く笑った。 突然過ぎた自覚はある。彼女がどんなにレッドを想っているのかも知っている。だけど、それでもその笑顔が曇るのを黙ってみていることなんてできやしなかったのだ。 この想いの結末が、目に見えていたとしても。 「――――あれ、グリーン? イエロー?」 瞬間、かけられた声に二人は素早くその身を離した。 「れ、レッドさん……」 「おうこんばんは! 二人とも、何してたんだ?」 ちゃんとは見えていなかったのか、不思議そうな顔で邪気なく聞いてきたレッドにイエローは言葉を詰まらせる。そんなイエローをちらりと見下ろして、グリーンは金色の頭をぽんぽんと叩いた。 「突然ビードルが茂みから出てきてな。驚いたこいつがこけそうになったのを支えただけだ」 「そうなのか? イエローは結構どじっこだもんなぁ、まぁでも怪我しなくてよかったぜ。男の鑑だな、グリーン!」 「当然だろうが」 「あ、あの……」 「……じゃあ、俺はこれで」 落ちた買い物袋をイエローに持たせてグリーンはその場に背を向ける。イエローが今のことで何か言いたげなのは解っていたけれど、レッドが来た理由に気付いてしまったのだから仕方があるまい。これ以上ここにいたらお邪魔虫だ。 ちらりと見えたレッドの後ろ手に、綺麗にラッピングされた何かが見えた。 恐らく、きっと――――。 「ぐ、グリーンさん!!」 リザードンを出そうとしたグリーンをイエローが呼び止めた。思わず振り返り彼女を見る。イエローは少し視線をさ迷わせてからきゅっと唇を引き結び、意を決したように強い瞳でこちらを見上げて――微笑んだ。 「あの、その、……ごめんなさい。でも……っ! っ、ありがとうございます!」 “ありがとうございます“ 「…………ああ」 その笑顔だけで、十分だ。 リザードンを出してその背に飛び乗った。地上からは直ぐに遠ざかっていって二人の姿も見えなくなる。頭上を見上げれば満点の星が輝いていて、何だかやけに眩しく見える気がした。 明日もこれからも。君の中で僕のポジションは変わらないのだろうけれども。 せめて君のその笑顔が翳らぬように見守り続けるから。 君よ、どうか笑顔のままで。
“その微笑のためならば、僕は” |