「……は?」

 今、何て。

 告げられた言葉が理解できずにレッドは呆然と目の前の二人を見つめた。そんなレッドの様子をブルーは呆れたように見やり、グリーンは眉を潜める。え? え? と呟くレッドは自分の手にあるカップがひっくり返っているのに気が付いていないらしい。ぼたぼたと零れた紅茶がテーブルに広がっていく。
 どうも頭に染みこまないらしく――いや恐らくは理解したくないだけなのだろうけれども――混乱しきっているレッドにブルーは頬杖をつきつつ先ほども言った言葉を繰り返した。

「だから、一昨日だったって言ってるのよ。誕生日」
「知らなかったのか?」
「…………マジ、で?」
「こんなこと冗談で言うワケないでしょ? 大体、何であんた知らな――――」
「悪い俺帰る!」

 ガシャンッ! とけたたましい音を立ててカップをソーサーに置くと、レッドは勢いよく椅子から立ち上がった。椅子がふらふらと揺れてそのまま倒れそうなのも気にせずに、レッドは扉へと走っていく。物凄い剣幕の少年に、店のウェイトレスも呆気にとられたように無言で見送った。
 ガランガラン、と扉についていたベルが暫くして鳴り止む。それまでじっとレッドが消えた扉を見送っていた二人は、ようやく息をついてテーブルへと顔を戻した。

「…………」
「…………」
「……グリーン」
「何だ」
「今アンタ、教えなければ良かったってちょっと思ってるでしょ」
「…………少しどころじゃ、ない」

 何処か憮然とした表情で言うグリーンにブルーは苦笑する。とうに決着はついているのだけれども、それでも諦められないらしい彼に少し同情する。はたから見ている分には面白いのだけれど、確かに気持ちも解らなくはない。
 自分だって、懐いてきてくれる可愛い後輩がとられたのは少し寂しいのだ。彼女の幸せを思えば喜ばしいことだし、初々しいカップルをからかうのは楽しい。けれどもそれとは別のところで、全く違う何かがむくむくと沸きあがってくる。まるで妹のように可愛がっていた子が、他の誰かのものになった。それは自分達の関係には関わりないけれど、それでも違ってくることが幾つもある。
 ブルーの可愛い可愛い後輩は、実った恋に夢中のはずで。
 そしてその彼氏となった親友は、実は独占欲が強いほうで。
 だから、きっと手に入れた可愛い彼女を手放さないはずで。
 つまり。
 付き合っていない頃に比べると、ブルーが後輩の彼女と一緒にいる時間はぐん、と少なくなってしまったのだ。

 そしてそのことに苛立っているのは、目の前の少年も一緒で。

「……まぁ、アレね。今回は貸し一つってとこで」
「随分大きな貸しだがな……」
「いいわ。今度アタシとあなたとイエローとで遊びに行きましょ。レッドは抜きね」
「了解した」

 だから、可愛い後輩には悪いのだけれども邪魔させてもらおう、とブルーは心のスケジュールにしっかりと書き込んだ。











 さっき来た道を急いで駆け戻る。自分の馬鹿さ加減に眩暈がした。

 自分の誕生日は伝えたのだ。
 だから去年は彼女が家まで来てくれて、夕方まで祝いに来てくれた皆と騒ぎつつも夜は二人きりで過ごした。まだ付き合っていない頃だったけれど、ピカを口実にして時間を引き延ばして。それが何でなのかもあの時は解らなかったけれど、今なら解る。もっともっと、一緒にいたかったのだ。それは芽生えた感情がさせたことで。それが花咲いたからこそ、今の自分と彼女の関係がある。

 何でその時に聞いておかなかったのだろう。
 大切な、少女。
 世界で一番愛しくて、掛け替えのない人なのに。


『そういえばレッド。プレゼントは何を渡したの?』
『……は?』
『変なものを渡してないだろうな』
『え?』
『感謝しなさいよね。当日は二人きりで過ごすだろうって思ったから、アタシ達前日に渡しに行ったのよ? ああ、なんて優しくて空気が読めるのかしらアタシ――――』
『ちょ、ちょっと待てよ! プレゼントってなんのことだよ。誰か誕生日か何かだったりしたのか?』
『は? だって一昨日だったでしょ? あの子の誕生日』
『……………………え』


 幾ら自分を罵っても足りやしない。
 謝罪なんてしたら呆れられるだろうか。
 嫌いになられたら、たぶん生きていけない。


 走る、走る。


 彼女と出会ったあの森まで全速力で走っていく。
 プテラを使えばいいだとか、そんなことは考えられずに、ただ、ひたすらに走った。



 汗だくになって息をきらしながら森についた。ピカをだして一緒に彼女を探してもらう。一人でも見つけられる自信はあるけれど、それよりも今はとにかく早く会いたかった。
 暫らく森の中をさ迷い歩いて、大体彼女がいつもいる場所に辿りつく。そこには太陽の光に照らされキラキラと輝く金色が見えた。
 木の根元に腰掛けて、スケッチブックへ一心不乱に何か描いている。その傍らには花飾りをつけたピカチュウがいてスケッチブックを覗き込んでいた。いつも被っていた麦わら帽子はもう無い。彼女はもう、麦わら帽子をかぶらなくても大丈夫なのだ。帽子の中に隠していた秘密も、もう秘密ではない。
 直ぐに近づきがたくてその場に立っていると、葉の擦れる音に気が付いたのか彼女は紙から顔を上げてこちらを向いて。


「レッドさん!」


 嬉しそうに、花咲くような満面の笑みを浮かべた。


「っ!! イエロー……ッ!」
「えっ? え、うわっ!?」


 嫌悪も非難も淋しさも滲まない、ただただ嬉しそうな顔に更にいたたまれなくなった。彼女は純粋に自分と会えることを喜んでいてくれるのだ。
 いっそ怒ってくれたらまだ楽なのにと、思いつつもそれは逃げだと自覚している。
 引き寄せられるように走って、名を呼んで抱きしめた。驚いて声を上げるイエローの頬がうっすらと朱に染まる。慣れない行為が照れくさいのか、困ったような笑みを浮かべる少女が愛おしくて、更に強く抱きしめた。

 きっと何度も傷つけてきた。麦わら帽子の秘密を知らないで、まるで弟のように扱ってきた自分。夢のきっかけになったはずの人なのに、全く気付かないで。『イエロー』の中の少女を見つけることが出来なくて。
 変なことばかり言ってしまったから、ますます言い出せなくなってしまったのだろう。もう少し自分が聡ければ、感じていたほんの少しの違和感を突き止めようと努力していれば。イエローは罪悪感に苦しまずにすんだのに。
 今もまだ、言い出せなかったことを悔やんでいる彼女の気持ちを知っている。命がけで助けに来てくれたのは『少年』じゃなくって『少女』だったことを、それがどれだけ勇気のいる行動だったことかを知っている。
 彼女の優しさに、慈しみに、温もりに触れて。距離がどんどん近づいて。向けられる笑みが可愛くて愛おしくて幸せで。
 傍にいたいと。彼女の笑顔を守れる者に、一番近くにいられる者になりたいと、心から思ったのだ。

 きっとこれからも何度も失敗するのだろう。その度にきっと彼女は笑って許してくれる。でもそんな情けない男にはなりたくない。何時だって頼ってもらえる存在になりたい。その笑顔を独占できるようになりたい。本当は、親友たちにだって後輩たちにだって彼女の笑顔は見せたくないのだ。そんな格好悪い嫉妬も独占欲も、見せたくないから隠しているけれど。
 ああ、溺れている。この暖かな陽だまりに。心底溺れている。

「あの、れ、レッドさん……?」
 あたふたとする彼女の髪から香るのは日向の匂い。綺麗なものと優しいものと、甘いもので出来たような彼女だってこんな気持ちを抱えているのだろうか? いや、抱えていたのだということを少し前に知ったけれど。それでも彼女は少しも陰っちゃいないから。いつだってその暖かな微笑みをくれるから。

 今度は、自分が彼女に幸せをあげていくのだ。
 たくさん、たくさん。花降るような、幸せを。

 だからまずは、彼女を腕の中へと閉じ込めたまま万感の想いを込めて告げた。


「……遅くなって、ごめん。誕生日おめでとう――――」


 そう告げると、腕の中の彼女が目を丸くして瞬かせて。
 驚いたような表情を浮かべた後、こちらを見上げて本当に幸せそうに、笑み崩れた。

「ありがとう、ございます」
「ごめん、知らなくって……!」
「いえ、僕も言っていませんでしたし。気にしないで下さい」
「でも……!」
「いいんです。今こうやって言ってもらえたんですから」

 そう言って嬉しそうに微笑む彼女が愛しくて仕方がない。
 優しすぎるとか、もっとワガママ言っていいんだとか色々言いたいこともたくさんあるのだけれど、まず今は。


「……来年は二人っきりで、しっかり一日祝うから」
「はい!」


 可愛らしすぎる彼女に、そっと顔を近付けた。




“ひだまりに優しく咲いたのは、最高の笑顔一つ”