「ねぇ、でもあいつはいいの?」 「あいつ?」 「スザク。本当はあいつに騎士になってほしかったんじゃないの?」 「……騎士になってほしいと思ったことはない」 これは本当だった。彼に騎士になってほしいと思ったことは一度も無い。 傍にいたい、とは思うが騎士にはなってほしくないのだ。彼をブリタニアのあの暗い場所へと連れて行きたくない。出来るのならば戻りたくないとさえ思うあの場所へ、スザクを連れていくなど。 彼は、スザクはルルーシュの光だ。 太陽のように眩しい存在。そんな彼を、あの澱んだ闇の世界へ連れていくなど。 ルルーシュが皇女じゃなかったら良かったのだろうか。彼が日本人じゃなくてブリタニア人だったら。こんな身分などない世界だったら。仮定の世界を何度も想像し、その度に叶わぬ願いに身を焦がす。少し疲れたというのも本音だ。でも、それ以上に――傍に、いたい。 『一緒に歩いていきたい人はいるの?』 馬鹿スザク。 そんなの、もうずっと昔から。 たった一人しかいないのに。 何か言いたげなカレンの視線を半ば無視するように、ルルーシュは腕時計で時間を確認する。二時間の制限時間はあと少しとなっている。それに少々安堵しつつ、ルルーシュは呟いた。 「あと三十分もないな。他は一体どうなって……」 『はーい速報よーっ!』 言った瞬間、まるで謀ったかのようなタイミングでスピーカーからミレイの声が聞こえてきた。その声に滲む喜色に嫌な予感が盛大に襲い掛かる。 『只今馬術部がリヴァル・カルデモンド捕獲の連絡をして来たわ! これでお姫さまはあと三人ね! ちなみにシャーリー姫は現在校舎の特別棟側を疾走中! 報告にあった不埒な輩は後で覚悟しておきなさい』 「何て愚かな……」 『さてさて、我らが副会長の皇女様と紅の騎士の行方がぱったり途切れてるわね。残り二十分ちょっとしか無いからこのまま隠れてるつもりなんでしょうけど――そんなの面白くないわよね?』 ぞくりと背筋を走った悪寒に二人は震え上がった。悪魔の微笑みが見える気がする。 ヤバイ、絶対ヤバイ。とりあえず机の下から抜け出て立ち上がった瞬間、ミレイの声が大音声でスピーカーから飛び出した。 『魅惑の主従ペアは礼拝堂の中よーっ! さぁあと二十分頑張ってちょうだーいっっ!』 「「鬼ぃぃぃ――っっ!!」」 どうして知っている! と絶叫を上げて二人は礼拝堂を飛び出した。たちまち集まってきた生徒達に追いかけられながらルルーシュは叫ぶ。 「何であいつは知っているんだっ! 誰にも見られてはいなかったはずだぞ!」 『やぁねぇルルちゃん。私を誰だと思ってるのよー。アッシュフォード学園の麗しき生徒会長、ミレイ・アッシュフォードよ?』 「というか何で聞こえているんですかっ!」 「……まさか盗聴機……っ!」 『それは秘密です』 「ゼロスか!」 「ああもう、あとちょっとだったのに!」 先程迄のように迫る生徒達をなぎ倒して、カレンは苛立ち混じりの声をあげた。 もう残り時間も少ないためか、投げても投げても、まるでゾンビのように追ってくる男達が邪魔過ぎる。ああ、ロケットランチャーが欲しい。 ここでルルーシュを守りきらなければ、折角認めてもらえたのが台無しだ。いっそのこと手加減するのをやめて潰していってしまおうか。面倒のあまりに物騒なことを考え始めるカレンであったが、またしても聞こえてきた悪魔の声に彼女は盛大に顔をひきつらせた。 『さーてーとっ! ここで生徒会への助っ人を投入します! この人物に限り、生徒会役員を守るためならある程度は何してもオッケーって言ってあるから皆気を付けてね? あと、未だリヴァルしか捕まってないのでここで更に追加イベント! 制限時間残り十分未満の間に――ルルーシュにキス出来た人には、彼女との一日デート権あげちゃうわーっ!』 一瞬遅れて、学園が大歓声と共に縦に揺れた。 「……っ……」 ルルーシュはもはや声も出ない。あまりにあまりの事態に思考回路はショート寸前。ああ、確かに今すぐ会いたくなるわこれ。んで泣きたくもなる、うん。生憎昼間だから月は出てないけど。 「「「「「ルルーシュ様っ! この愛をどうか受け止めてください――っっ!」」」」」 「……っ、いいわ! ルルーシュにキスしたければこのカレン・紅月・シュタットフェルトが相手になってやる! 遊んであげるわ、おいで野獣ども!」 勇ましい雄叫びを上げてカレンが腰に佩いていた剣をすらりと抜き放った。容赦は一切しない構えである。に、してもあの男は何をしているのだろうか。ルルーシュの一大事だというのに、どこで油を売って―― 「っ!」 「捕まえましたよルルーシュ様っ!」 不意に後ろから伸びてきた手に腕をとられ、ルルーシュはびくりと固まった。まさか窓から飛び出してくるとは考えていなかったのだ。それに気付いたカレンがすぐさま駆け寄ろうとするも、生徒達が邪魔をする。 「ルルーシュッ!」 カレンがあげた悲鳴のような声に名前を呼ばれ、我に返ってもがきだすも、相手はびくともしなかった。 「じゃ、じゃあキスを……っ!」 「させるか! まだしたこともないのにっ!」 咄嗟に叫んだ一言で周りの生徒が 「「「「「「うおおおお――っっっっ!?」」」」」」 と歓声を上げた。まずい、もしかして火に油を注いだか。 そうルルーシュが思っても事態は既に切迫している。誰だか知らないやつの唇が近づいてくるのに必死に逃げようと暴れながら、ルルーシュは心の中で名前を呼ぶ。 ――スザク。 スザク! スザクッ、スザクスザクスザクッ! 「……ッ、スザク――ッ!!」 「――ルルーシュッ!」 悲鳴のように名前を叫んだ瞬間、目の前の男が潰れて聞きたかった声がルルーシュの名を呼んだ。 「大丈夫? ルルーシュ」 「……スザ、ク……?」 上から落ちてきて男を踏み潰したらしいスザクはルルーシュが無事だったらしいことを確かめると、ホッとしたように微笑んだ。しかし当のルルーシュはといえば現れたスザクの姿に呆然としている。 白い胴着と紺色の袴。手には細身の日本刀。さすがにレプリカであろうそれは、違和感もなくスザクの手の中にある。少し息を乱して、真っ直ぐにこちらを見つめるスザクの姿に不意に泣きたくなった。 ――――ルルーシュの前に立っていたのは、初めて出会ったあの夏の日のスザクだった。 嫌というほど思い知る。 ルルーシュが、恋をしていると。引き返せないところまでもう育ってしまっているのだと。 そんな風に感情がぐちゃぐちゃになって固まってしまっているルルーシュを、暫く首を傾げてスザクは見つめていたがふと眉を寄せる。 スザクがいきなり上から落ちてきたことに固まっていた生徒達が、衝撃から立ち直りじりじりと近づいてきていたのだ。カレンもスザクが来たのを見て、少しだけ悔しそうな表情を浮かべたもののまた周りの生徒を蹴散らしにかかる。 それを横目に見ながらスザクは未だ呆然としたままのルルーシュへ手をかけた。 「ごめんね、ルルーシュッ!」 「は? ちょ、ほわぁっ!?」 がばっ! と突然横抱きに抱き抱えられて、ルルーシュはすっとんきょうな声をあげた。そのまま人一人抱えていると全く感じさせぬ早さでスザクは走り出す。 追ってくる男をかわし、横から飛び出てくる人影を刀の柄で弾き飛ばす。 容赦なく蹴撃を浴びせ馬術部の馬からも逃れて、拳を後ろ手に飛び掛ってきていた男めがけてぶつけた。両側から挟みこんでこようとする者たちを踏み台にして前方へと飛ぶ。 着物を着ているのはハンデらしいが、どう考えてもスザクにはハンデにすらなっていない。 振動に思わず相手の首へと縋りつきながら、ルルーシュは怒号をあげた。 「ちょ、馬鹿スザク! 降ろせっ!」 「いやだ!」 「なっ!?」 「もう、決めたんだ。ルルーシュが逃げ続けるなら捕まえる。君だって本当は逃げたいわけじゃないんだから!」 「何言って……っ」 逃げている? 逃げたくない? スザクは何を言っているのだろうか。さっぱり解らない。でも、何かとても大切なことを言っているのだとは解っていた。 『おー! ここで生徒会お助け人、枢木スザクがお姫様を抱いて走り出したーっ! 残り時間はあと二分! さぁ、誰がお姫様の唇を奪うのかーっ!』 ミレイの煽りが聞こえる。あと二分。それさえのりきればこんなイベントは終わる。――そしてきっと、この恋も。 もはや騎士は選ばれたのだ。ルルーシュは本国に戻ることになる。唇を噛み締めながらせめてとばかりに抱きついていると、名前を呼ばれ顔を上げた。 「ルルーシュ」 「なん、だっ」 「俺はもう躊躇わないから。君が怖がる全てに真正面からぶつかっていくよ。だから、ルルーシュも諦めないで」 一人称が昔のものに変わったことに驚くも、それ以上にスザクの言葉に眼を見開いた。震える声で言葉を紡ぐ。 「……な、にを」 「だから」 ごめんね、と囁かれたあと――柔らかいものがルルーシュの赤い唇を塞いだ。 『……ありゃりゃ』 しん、と全ての時が止まったような静けさの中で、マイクから漏れたミレイの呟きだけが空中に漂った。 『……5、4、3、2、1、ゼロッ! ゲームしゅーりょーっっ! 勝者っ! 枢木スザクーッ!』 カウントダウンののちにミレイが叫んだ名に学校中で悲鳴が飛び交う。離れた唇にも思考停止したまま、ルルーシュは目を見開き、スザクを呆然と見つめた。 「…………」 「……え? え、え?」 暫くして漸くされたことを理解したのか、ルルーシュが一瞬で顔から首筋までを真っ赤に染め上げる。 可愛らしい反応にくすりと微笑みながら、こつりと額を重ね合わせてスザクは七年間言えなかった言葉を口にした。 「――――好きだよ、ルルーシュ。ずっとずっと、初めて会った時から君だけを愛してる」 とうとう告げられてしまったその言葉に、ルルーシュは目を見開いてからその美しい顔をくしゃりと泣きそうに歪めた。 なんで、なんで言うんだ、と瞳に涙を溜めて言うルルーシュをそっとスザクは抱きしめる。腕の中でしゃくりあげる彼女が愛おしくてたまらなかった。 「……お前は、この国の、首相の息子だろうっ!」 「日本は世襲制じゃないよ」 「でも、お前は玄武さんを尊敬して、」 「うん。同じ仕事には就けたらいいなって思ってる」 「だったらっ!」 「ねぇルルーシュ。僕は君の騎士にはなれないんだ」 激昂しかけるルルーシュの言葉を遮ったスザクに、ルルーシュはびくりと肩を震わせた。 「しって、る」 「君のことを命を賭けて守り、忠誠を誓って、後ろに控える。時にはこの身を投げ出して全てを主に捧げる。僕はそんな風には、騎士にはなれない。――そんな風に傍にはいられない」 「だからっ」 「――――僕は君の王子様になりたいんだ」 「…………え?」 暴れていた腕が足が、動きを止める。常盤色の瞳を見つめてルルーシュは息を呑んだ。 スザクは白い頬へと手を滑らせて万感の想いをこめて微笑む。 「君に忠誠を誓うわけでも、盾にも剣にもならない。僕は君の隣に立てるものになりたいんだ。一歩下がるわけでも前に出るのでもなく、隣に。精神的にも対外的にも対等で、堂々と一生傍にいられるものになりたいんだ」 だから、ね? とスザクは笑ってルルーシュの耳元に囁きを落とす。 "僕のたった一人のお姫様になってください" それは、遠い日にされた約束の言葉だった。 「……っ! でも、私は、皇女で、日本にとったら」 「もう父さんにも母さんにも言ってあるよ。僕はルルーシュとしか結婚する気はありませんって。だから世継ぎが欲しけりゃ認めてくださいってね」 「な……っ!」 にっこりと底知れぬ笑みを浮かべてとんでもないことを言い放ったスザクに、ルルーシュは頭痛がしてきたような気がして頭を押さえる。 ――――本当に約束を守ったのかこの男! ここまでされてしまったら断ったほうが厄介だ。枢木家がブリタニアの皇女を娶ることを認めるわけがないと思っていたのに、スザクはそれをクリアしてしまった。 ルルーシュは皇女であるとはいえ皇帝を目指す気はなかったし、日本へ永住しても問題はない。シュナイゼルが何を言うかは解らないが、あの人は一度決まりかけたものを破綻させるようなことはしないだろう。だとすると、ルルーシュの怖れていたものはほとんど無くなってしまうのだ。 ふと視線を感じて顔を上げれば、屋上からミレイがこちらを見ているのが見えた。浮かべられている笑みに、謀られた、と思わず思う。きっと彼女はこうなることを見越してルルーシュに皇族服を着せたのだ。 これじゃあもう、逃げられない。 「で、ルルーシュ。お返事は?」 そんなこと言わなくても解っているだろうに、顔を緩ませながら問いかけてくるスザクを睨みつける。 しかし幸せそうに緩んだその顔に続くわけがなく、ルルーシュは白磁の肌をうっすらと朱に染めながら噛み締めていた唇をほどいた。ああ、もうどうにでもなれっ! 「返品不可だからなっ!」 そんなもったいないことするわけないよ、とスザクが笑って。 そしてゲームは幕を閉じる。 「……これで良かったのよね、ナナリー?」 「ええ。シュナイゼルお兄様の言う通り騎士は一人見つけ出しましたし、これで日本を離れる理由はなくなりました。私とお姉様がブリタニアに真の意味で戻ることは無くなったと思います」 ミレイの言葉にナナリーは微笑みながら頷いた。最初からこうなることを疑ってもいなかった様子に、彼女は苦笑を浮かべる。 「ほーんとナナリーったら策士よね。ルルーシュも大概だけど、ナナちゃんはそう見せてないからこそっていうか」 「私は、お姉さまの妹ですもの」 そのことが宝物であるかのように大切に言うナナリーの頭を撫でて、ミレイは眼下を見やる。 カレンがスザクのことを殴り飛ばしたそうな目で睨んでいて、校舎から出てきたシャーリーがルルーシュたちを見つけて走り寄る。リヴァルもそろそろ戻ってくる頃だろうし、これからイベントの後片づけだ。けれど皆がいるのだから、きっと直ぐに終るだろう。頭上には青空が広がっていて。 幸せそうな恋人たちがその下で微笑んでいる。 「…………お幸せに!」 皆の姫君はその日からただ一人の姫君となり、そして数年後、日本では盛大な結婚式が行われ青いガーターベルトが宙を舞うことになる。 その未来を、今はまだ盲目の、けれどもその頃には目が開くだろう少女だけが知っている。 “王子様も、ただひとり!”
|