「――――まぁ、騎士を?」

 驚きが混じった声に、ルルーシュは肩を竦めた。

「面倒極まりないけどな。私は騎士を持つ気はないと前に言ったんだが」
「ふふ。シュナイゼルお兄様はお姉様がお気に入りですから、きっと心配なんですよ」
「だからって卒業まで時間があるのに……まったく」
「でも決めなきゃいけないんだろう?」
「……兄上のことだ。選ばなければ勝手に決めようとするだろう。それならば自分で決めたほうがマシだ」

 カチャカチャと食器の音が響く中、うんざりした様子のルルーシュにナナリーはくすくすと微笑む。
 そんな二人をスザクは何か言いたげな目で見つめていた。訴えかけるようなその視線に気付いているはずなのに、ルルーシュは無視を決め込んでいる。そうしていると、ふとナナリーが「そういえば」と言うのにそちらを見やった。

「カレンさんは何か言ってらっしゃいました?」
「……立候補すると、言っていた」
「やっぱり。リストの中にはジノさんのお名前もありませんか?」
「……ある。ついでにアーニャもだ」
「まぁ。いよいよ本格的に対決ですね、カレンさんとジノさん」
「ジノ?」
「ジノ・ヴァインベルグ卿。現在はナイトオブラウンズのナンバー3で、アイツがラウンズになる前からの知り合いだ。何故か昔から私の騎士になりたいと言っていた中の一人で、良くカレンと一緒に二人でどっちが騎士になるか争っていたな」
「ユフィ姉様も時折その中に入っていたんですよ。アーニャさんもですね」
「だけどアーニャは本当はお前の騎士になりたかったんだと思うけどな。あれはただ、ジノやカレンに対抗していただけで」
「そうですか? アリスちゃんもそんなことを言うんですよ。私の騎士になりたいって」
「…………それ、結構本気じゃないのか」

 首を傾げるナナリーにルルーシュは少しばかり複雑そうなため息をついた。
 アリスというのはこの学園でのナナリーの友人兼護衛だ。
 体が不自由なナナリーをサポートしてくれる彼女はルルーシュも信頼しており、騎士になったら良い働きをしてくれることだろう。
 しかしアーニャも昔からナナリーを気に入っていることをふまえると、本当に騎士を選ぶことになった時に一騒動起こりそうな予感がする。そんなことをつらつらと考える傍で、スザクが不意にぽつりと問いかけを落とした。

「ナナリー、騎士ってどんな人のことを言うんだっけ?」
「ええと……これは私の考えなんですけれど、傍にいて、守って、でもちゃんと自分のことも大事にして、一緒に生きてくれるような人だと思います。守ってもらうだけじゃなくて、忠誠だけじゃなくて、もっと優しい関係になれればいいなって思っているんです」

 少し恥ずかしそうに微笑みながら語られるナナリーの言葉にルルーシュは小さな笑みを浮かべた。
 優しいナナリーらしい考えだと思う。いつかナナリーに騎士が出来るならば、きっと相手はその願いを叶えてくれることだろう。
 ただ、今は。
 今考えるべきことは、スザクがそれを訊いた意味だ。
 ナナリーの言葉に頷きながら笑うスザクを見て、ルルーシュはそっとため息をついた。胸の奥深くに凝るものの名前を彼女は知っていた。

 …………本当に、騎士なんていらないのに。



「ごちそうさま、凄く美味しかったよ。ありがとう」
「そうか、それは良かった。そのうちに蕎麦かうどんを打ってみたいと思うんだ。楽しみにしていてくれ」
「無理はしないでね?」

 クラブハウスの玄関まで見送りのために出ると、スザクは苦笑交じりに微笑んだ。
 日本料理を日々習得しているルルーシュはとうとう職人芸までマスターしようとしているらしい。一国の皇女様が麺を打つなど考えられることではないが、本人は楽しそうなのだからいいのだろう。
 その日が来るのは楽しみであるが――その前に片付けなくてはいけない問題がある。
 帰ろうとしていた足を止めてルルーシュに向き直ると、真剣な表情に気が付いたのか彼女は浮かべていた笑みを消す。そこに畳み掛けるように、スザクは問いを発した。

「ルルーシュ。君は、騎士が欲しい?」
「……言っているだろう。私に騎士はいらない、部下ならいいが、騎士という存在はいらないんだ」
「何故?」
「……私のために命なんてかけてほしくない」

 騎士というのは本来ならば絶対の忠誠を誓い、盾となり剣となり、主のことを命を賭して守り戦う存在だ。
 ルルーシュには守るべき存在はいるが、自分を守る存在というのは不要な存在だった。いつか本国に戻りシュナイゼルの補佐をすることになった時は護衛のために必要になるかもしれないが、少なくとも今はいらない。
 そう告げるルルーシュをじっと見つめてから、スザクは静かな声でルルーシュを呼んだ。

「そう。……なら、ルルーシュ――一緒に歩いていきたい人はいるの?」
「っ!?」

 思いがけないスザクの問いにルルーシュは一瞬呼吸を止めた。
 けたたましい警鐘が頭の中で鳴り響く。これ以上スザクの言葉を聞いてはいけないと何かが知らせていた。
 動揺するルルーシュを見て、スザクは意を決したように口を開く。紡がれるだろう言葉を彼女は知っていた。

「ルルーシュ。僕は、君のことが――」
「お前は、この国の首相の息子だろう」
「っ!?」

 皆まで言わせずに言葉を遮ったルルーシュにスザクははっとしたように息を呑んだ。そんな彼に、畳み掛けるようにルルーシュは微笑みすら浮かべながら告げる。

「いずれ良いところのお嬢様でも貰って、お前は枢木家の当主になるんだ。結婚式には呼んでくれよ? ナナリーと一緒に駆けつけるから」
「ルルーシュッ!」
「大声を出すな、ナナリーが驚くだろう。じゃあ、お休みスザク。また明日な」

 早口にそう言って、ルルーシュは素早くクラブハウスの扉を閉めた。
「っ! ルルッ! ルルーシュッ!」

 外で何度も彼女の名を必死に呼ぶ声が聞こえるが、ルルーシュはじっと扉を背に動かなかった。
 やがてその声が止み、気配が扉の前から消えるとルルーシュはずるずるとその場に座り込む。抱えた膝頭に額を乗せて小さくなるように体を縮めて、彼女は自嘲気味に微笑んだ。

「……ごめん、スザク」

 スザクの言いたいことなんてとうの昔から知っている。
 日本に来て彼と出会って、ルルーシュは生まれて初めて恋をした。
 淡かったはずのその恋心は、冷めることなく今でもこの身を焦がす。そしてそれはきっとスザクも同じだ。
 解っている。ずっと傍にいたのだから。真綿に包むように守られていることも、彼が本当にルルーシュを心底愛してくれていることも全部知っているのだ。

 だけれども、ルルーシュはその手をとることは出来ない。

 彼はこの国の首相の息子で、いつか名家の主となる人物で。
 いずれ日本を背負うことになるだろう彼の相手が、ブリタニアの皇女という身分に縛られたルルーシュでは駄目なのだ。彼にはもっと相応しい人がいるはずなのだから。

「……ごめん、な……」

 騎士を選んだら学園にはいられなくなる。これは恐らく遠まわしな帰国命令なのだ。ルルーシュはそれに逆らえない。後見となってくれている兄や姉にこれ以上の我侭は言えないのだから。

 でも、解っていても――胸の痛みは消えてくれなくて。
 一人蹲るルルーシュを、窓から降り注ぐ月明かりだけが見ていた。