「………………………………はい?」

 今、何を言ったこの男。

『だから、そろそろ君にも騎士が必要な頃なんじゃないかと思ってね。リストを送っておいたから目を通しておきなさい』
 ニコニコと胡散臭さたっぷりの笑みがモニターに映っている。
 世の女性が見たらとろけてしまいそうなその笑みも、異母妹であり彼の本性を知るルルーシュには何の効果も無かった。敢えて言うならば気持ち悪い、というのが感想だろうか。よって、その瞬間にルルーシュが思ったことは唯一つ。

 ――――この性悪魔人がぁぁっ!!

 さすがに周りに他の人間もいるので口にこそ出さなかったが、恐らくシュナイゼルは気付いているだろう。モニターからは見えないものの握られた拳がぷるぷると震える。心中で罵詈雑言を吐き出しつつルルーシュは怒鳴りつけたい気持ちを必死で抑え、ニッコリと勝るとも劣らない笑みを向けて見せた。

「……お言葉ですが兄上、私はこれでも皇位継承権を一度破棄しようとした身。そんな人間が騎士などもっても仕方の無いことでしょう。何より、私ごときに従う者など――」
『ちなみにこの話を軍内部に少し流してみたらロイドが真っ先に私のところに来たよ。 "特派の主任辞めるか兼任させてくれます?"ってね。喜々として志願しようとしていたな。ヴァインベルグ卿とアールストレイム卿も父上のところに、ラウンズを辞めてもいいか聞きに行ったようだし。他にもグラストンナイツの中で志願しようとしている者もいるみたいだし、いや、モテモテだねルルーシュ』
「どいつもこいつも何を考えているんだぁぁっっ!!」

 思わずそこが何処かも頭からすっ飛ばし、力いっぱいルルーシュは叫んだ。
 ちなみに此処は日本のブリタニア大使館内、通信用モニタールームである。その様子を傍から見ていた家臣達は表面上では静かに、心中では『可哀相にルルーシュ様……またシュナイゼル殿下のおもちゃになって……』と同情していた。
 この場にいた者たちは皆、シュナイゼルがルルーシュに向ける少々歪んだ愛情を知っている者達だったので、ほろりと涙を零す。そんな家臣達の様子にも気付かず、二人の会話は続く。

『私も皇族でさえなかったのなら志願したのだけれどね。お前を守るくらいの技量はあるつもりだし』
「何を馬鹿なことを言っているんですか貴方は」
『そうそう、ユフィも大変悔しがっていたよ。皇位継承権を返上してきます! と言い出してコーネリアが必死に止めていたようだったけれど』
「……ユフィ……何を馬鹿なことを……」
『君の騎士を望むものは決して少なくないんだよ、ルルーシュ。――だからせめて一人くらいは決めてくれると嬉しいかな』

 心中でルルーシュは盛大に舌打ちをした。モニターの中で微笑んでいる顔を力の限り殴り飛ばしたい。(例え自分の腕ではほとんど威力がないにしても)
 善意と好意を張り付かせた笑顔の裏には、策を秘めた光る瞳があることを彼女は知っていた。
兄である第二皇子シュナイゼル・エル・ブリタニアは宰相である。その彼が公式の場でないとはいえ、他の人間の目があるところで言うということは――『命令』と同義の意味をもつ。
 人払いをさせておけば良かったと己の犯した失態に激しく後悔しつつ、ルルーシュは今度会った時に「お兄様なんて大嫌い!」と叫んでやることを決めた。



■□■



「…………というわけで送られてきたのがこれだ」
「シュナイゼル殿下も良く解ってらっしゃるわよねぇ。アッシュフォード経由で送ってくるなんて」

 憮然とした表情で呟くルルーシュにミレイは苦笑し、積み重ねられたファイルの一冊を手にとった。
 ペラペラと軽くそれを捲ってみれば、正面を向いた青年、女性、三十代から四十代くらいまでの男性達の写真とプロフィールが連ねられている。経歴、いや軍歴は輝かしい実績を持つものばかりが載っていて、シュナイゼルが本気であることを伺わせた。
 その中にナイト・オブ・ラウンズであるはずの二人の名前があったのは冗談だろうか、本気だろうか。ここに載っているということは皇帝が許可を出したということなのだろうけれども。

「私は騎士をもつ気などないと散々言っているというのに。……父上も父上だ。自分の直属の騎士であるラウンズをこんなにあっさり放り出していいわけないだろう」
「まぁ、逆に言えば自分に仕えていたからこそ、その力量を信頼しているんじゃないのかしら」
「そんな理由だといいけれどな……」

 うんざりと机の上のファイルを睨めつけて、ルルーシュは深々とため息をついた。
 そもそもルルーシュは一度皇位継承権を破棄しようとし、周りや皇帝直々になだめ賺されて皇族に踏み止まった身だ。ルルーシュは母であるマリアンヌ皇妃を暗殺され、皇帝や国、その他諸々への怒りから皇族としての地位を捨てようとした。
 しかし、実はマリアンヌのことをかなり寵愛していたらしい皇帝が、犯人を捕まえよとこっそりお達しを出していたことが発覚したためその怒りは少々方向転換される。
 危うく生まれかけた親子の確執は、皇帝は不器用な男だったのだ、という認識をもたらしたために水に流れた。
 しかし、マリアンヌが何者かに暗殺されたことは事実であり、ルルーシュ達がこのまま皇宮にいることは危険だった。そこで危険を少しでも回避するために留学という形でこの日本へヴィ姉妹はやってきたのだ。
 そんなわけで、ルルーシュ達は年に一回ブリタニアに行き皇帝と会うか、モニター越しでしか顔を会わせていない。そのことを踏まえると、この騒動には恐らく皇帝も一枚噛んでいるに違いないのだ。
 マリアンヌに良く似たルルーシュやナナリーを、あの皇帝は酷く気に入っている。卒業があと一年と少しに迫り、ちゃんと帰ってくるか心配されているだろうことは伺えた。かといってこんな状況に陥らされたことに関する恨みは消えないのだが。

「でもルルちゃん、本当にどうするの? こうなったらとりあえず一人でも適当に選んでおかないと……」
「それは出来ませんね」

 すぱっと切り返された答えにミレイは目を瞬かせた。
 面倒だとはいえど、シュナイゼルの決定を覆すことなど簡単には出来やしない。そのためには一人でもいいから騎士を選ばなくてはいけないことを、ルルーシュは解っているはずだというのに。
 不思議そうにルルーシュを見るミレイの視線から逃げるように顔を逸らし、彼女は少し困ったような表情を浮かべる。暫し躊躇うように口を何度か開閉させてから、ルルーシュは静かな声でぽつりと呟いた。

「……もし騎士を選んだら、傍に置かなくてはならなくなるでしょう」
「まぁ、それが騎士の努めだし。主を守るのは当然のことよね」
「けれど私は学生です。しかも卒業までまだあと一年以上残っている。学内で騎士が傍に控えているわけにはいかないでしょうし……。騎士を選ぶということは、表舞台に出ろということと同義。つまり、選んでしまったらもう学生ではいられなくなるということです」

 この学園に来て――いや、この国に来てもう七年が経とうとしている。
 アッシュフォード学園卒業まであと一年と少し。せめて卒業するまでは、ルルーシュはただの学生でいたかった。学園を卒業すれば本国に帰ってシュナイゼルの補佐につくことになる。それが嫌なわけではないのだが、ただ。

 ――――ただ、あともう少しだけ傍にいたいと願ってしまう。

「……それに」
「それに?」
「選んだら、騎士になった者の全てを制限してしまうことになるでしょう? 騎士は主を守り尽くす存在。命をかけて私を守らなくてはいけなくなる。そんなことはお断りなんです。だから相手の一生を左右してしまうことになる決定を、適当になんて出来ませんよ」
「…………んー……」
「……何ですか?」
「いんやぁー……やっぱルルちゃんって」
「何なんですか」

 頭を少し撫で付けながらそっと息をつくミレイをルルーシュは軽く睨んだ。
 何か言いたげにしつつ、苦笑のような困った笑みを浮かべる彼女はやれやれと言ってルルーシュに近づくと、後ろからがばっと抱きしめる。そのまま髪に顔を埋めるように懐くと、ミレイは笑みを含んだ言葉をもらした。

「私も立候補しちゃおっかなー、ルルーシュ殿下の騎士」
「やめてください。貴女は私のブレインの一人になってもらう予定なんですから。体力勝負の騎士には使えない」
「……罪作りな子ーっ!」

 首を振ってさらりと言うルルーシュの言葉にミレイは目を瞬かせて一瞬息を呑んだ。
 しかしすぐさま嬉しそうな笑みを浮かべ最後にもう一度強く抱きしめてから、ミレイはルルーシュを開放すると隣の席へと腰を降ろす。そしてファイルを再度手に取り、ちらりと横を見やった。
 視線が合うとルルーシュもそれに倣いファイルを手に取り、ぱらぱらとページを捲り始める。
 ちゃんと中身を読んでいることを見て取ると、ミレイは視線をファイルへと戻し、暫く眺めてから立ち上がってティータイムの用意をし始めた。
 そろそろ出払っていた他のメンバーも帰ってくる頃だ。
 ファイルを真剣に読み進めるルルーシュを横目に見ながら、さてさてどんな騒動が起きるやら、とミレイはくすりと悪戯っぽい笑みを口元に浮かべたのであった。


「終わりましたよ会長―。これでほぼ終了です」
「つっかれたぁ……」
「ただ今戻りました」
「終わりました。……そうだルルーシュ。これ」
「ああ、ありがとうカレン」
「あ、ミレイちゃん。これ、写真部の部長さんから。この前の写真だって」
「ありがとーニーナ。さ、皆戻ってきたことだしお茶にしましょ。この後もまだまだやることはあるんだしね」

 続々と生徒会室に戻ってきた面々にウィンクをして、ミレイはソファーのほうへ茶器を並べ始めた。
 それにシャーリーが手伝いを申し出て、各々がソファーに腰を降ろす。ルルーシュは何時もの通りスザクの隣に座ると、読んでいたファイルを横に置いてカップを手に取った。

「とりあえず生徒のほうにはもう連絡済みだし、後は明日の簡単な設営準備だけですね」
「そうね、衣装もさっきシャーリーとリヴァルが確認してきてくれたし」
「目立った損傷がありそうなのは無いです」
「予備もちゃんとありますから、何かあった時は対処できると思います」
「ありがとう。本部は大丈夫そう? スザク」
「はい。機材は明日の朝運びますし、もう大丈夫です」
「じゃ、あとはイベントが安全に進むように見回りと、書類関係の見直しかしら。明日はニーナ以外の皆には体力使ってもらうことになるから、今日は早めに終わりにしましょうね」
「はーい」

 元気のよいシャーリーの声と反比例して、ルルーシュは深くため息をついた。それを聞き咎めたミレイがにやりと笑いながらカップを置いて、首を軽く傾げる。

「なーによルルちゃん。そのため息は」
「とうとう明日かと悲嘆にくれていただけです。気にしないでください」
「あーら、悲嘆にくれることなんてないじゃない。大丈夫よー、ルルちゃんの体力の無さは承知してるから」
「だったら私もニーナと同じように外して欲しかったですね」
「それは駄目よ。ルルちゃんが参加しなかったら面白くないじゃない」

 抗議の声にもにんまりとチェシャ猫のような笑みを浮かべ返してくるミレイに、もはや何を言っても無駄だと悟る。かといって諦めきれるわけでもないルルーシュは恨みがましい目で彼女をじとりと睨みつけた。

「でも、実際ルルが参加しなかったら参加率悪くなるだろうし、明日はがんばってねルル。私もちゃんとサポートするから」
「……ありがとうシャーリー」
「そーそー、体力が無いけど悪知恵だけは働くルルちゃんを明日は学園中の狼さんが狙ってるんだから!」
「悪知恵言わないでください! というか狼って何ですか」
「あら、じゃあ野獣って呼ぶ? でもそれはちょっと紳士とは外れてるし」
「そもそも力ずくで狙ってる時点で紳士じゃないんじゃ」
「その通りだカレン。と、いうか何で私が狙い撃ちされてるんですか。幾ら体力が無いからって狙おうとするなんて、うちの学園の連中は情けないなまったく」
「……いや、ルル。別にルルに体力が無いからってわけじゃないんだよ、うん」
「? それ以外に何か理由があるのか?」
「……スーザークーくーん」
「一番迷惑被ってるのは僕ですよ、会長」
「……それもそうね」
「でも、この前裏庭で……」
「――――リヴァル?」
「っ解った! 解った、解りましたからマジごめんなさいつかホントもう勘弁してくださいその手何だよじりじり迫らないでくださいお前目が笑ってねぇってっ!」
「……馬鹿ね」
「カレンちゃん、本当のこと言っちゃ可哀そうだよ」
「いや、ニーナ。あんたも結構キツイこと言ってる」

 ぎゃあぎゃあと喚くリヴァルとスザクの攻防を首を捻りながら見つめるルルーシュに、シャーリーがお茶のおかわりを勧める。この学園正真正銘のお姫様は鈍くて困る、というのが学園の生徒達の見解だった。
 別に純粋培養というわけでもないのに何処か初心な彼女の姿は男女関係なしに庇護欲をそそる。イベントごとがあれば引っ張り出されるルルーシュは絶大な人気で、今回も大人数に追い掛け回されることだろう。
 まぁ、ルルーシュには最強の番犬がいるので何か大事になったことはないが。そもそも一応一国の皇女様であるし。
 うやむやにされたことに気付かず、ルルーシュはカップを置くと傍に置いておいたファイルを手にとり広げた。
 肩を若干落とし気味にしつつ途中からまた読み進め始めていると、リヴァルを散々怖がらせていたスザクがひょいと覗き込んでくる。それに眉を寄せて窘めるものの、スザクはファイルに目をやったまま固まったように表情を凍らせ、若干早口に問いかけた。

「こら、横から覗き込むな」
「ルルルルルルーシュ、それなに」
「私の名前が大変なことになっているんだが。これは……まぁ、気にするな」
「無理だからっ! え、ちょ、何それ、何でそんな男ばっかり載ったファイルなんて読んでるのっ!?」
「えっ!? 何だよルルーシュ、とうとうお前男に興味をもっ」
「リヴァル?」
「ひぃぃぃぃっ!」
「……ほんと馬鹿」
「あら、スザク知らなかったの?」

 おや、とミレイはスザクの反応に目を瞬かせた。さすがに彼ぐらいには知らされていると思っていたが、どうやらそうでは無かったらしい。ふい、とルルーシュが幾分ばつが悪そうに目を逸らしながら面倒そうな声音で告げた。

「シュナイゼル兄上からだ。……騎士を選べと送られてきた」
「っ、騎士!?」
「ええええぇっっ! る、ルル騎士選ぶの!?」
「……正確には選ばざるをえなくなった、だな」

 途端にシャーリーや怯えていたはずのリヴァルが驚き騒ぎ出す。スザクは呆然としたように口を開けて間抜け面を晒しており、ニーナは目を瞬かせている。
 そんな中、カレンだけが一瞬目を見開いてからキッと鋭い目つきでルルーシュを見据えた。その視線に気付き、ルルーシュはため息を軽くつき困ったように肩を落とす。

「騎士を選ぶってことは……もしかして、ルル本国に帰っちゃうの?」
「いや、そこはどうにかしてもらうつもりだ。卒業くらいはさせてほしいからな」
「騎士選びねぇ……何か本当に皇女様だよな、ルルーシュって。あんまり普段意識してねぇけど」
「それでいいんだ。別に皇女扱いされても困る」
「そういえばユーフェミア様が前にお会いした時、皇位継承権を返してルルーシュの騎士になりたいのっ! って仰っていたような……」
「そういう時は止めてくれ、ニーナ」
「しっかしほんと大変そうだなールルーシュ」
「全くだ」

 リヴァルの言葉に深く頷いて、ルルーシュはそしらぬふりでファイルを読もうとする。しかしそれを地の底から響くようなドスの効いた低い声音が遮った。

「…………へぇぇぇぇー? 騎士選び、ねぇぇ?」

「……カレン」
「そう。そのファイルが候補者のリストね。ふーん」
「カレン、あのな」
「当然私も立候補するわよ、ルルーシュ。でないとここまで追っかけてきた意味がないじゃない」
「……え?」

 鋭い視線をルルーシュに向けながら、カレンはにっこりと引き攣った笑みを浮かべてみせた。
 堪えようが無い怒りがそこからは滲み出ており、その怒りにあてられてびくびくしていたシャーリーが言葉の意味を理解出来ずに不思議そうに声をあげる。そんなシャーリーへカレンはさらりと言い切った。

「私が日本へ来たのはルルーシュを追いかけてきたからよ。騎士にして、って私の言葉を全く聞いてくれないつれないお姫様を自主的に守るためにね」
「……え、え、え、えええぇぇぇぇっっ!?」
「そ、それって、ええっ!?」
「カレン……」
「……そろそろ休憩お終いね、イベントは明日なんだから!」

 知らされた事実にシャーリーやリヴァルがぎょっとするのを見つつ、ミレイはぱんぱんと手を軽く叩いて終了を告げた。
 まだカレンに聞きたそうな二人を机のほうに追いやるのを見ていると、スザクがルルーシュの名を呼ぶ。振り向けばそこには笑みを浮かべつつも真剣な瞳があり、ルルーシュはほんの少し胸が痛むのを感じた。

「ルルーシュ。……今日、行ってもいいかな」
「……ああ。ナナリーも喜ぶ。何か食べたいものがあれば作ってやるぞ」
「ありがとう」

 いつも通りの笑みを浮かべて言うルルーシュに一瞬目を細めるものの、スザクは同じように笑みを浮かべて頷く。そんな二人を、少し離れたところでカレンがそっとため息をついて見つめていた。