――――悲しくないといえば、嘘になるのだろうか。


 差し出した手に、あの男は戸惑った。かつてはその身でこの機体を操り、冷静な思考で戦局を読み、指令を下してきたというのに。
 驚愕の瞳。知らないものを見る目。恐怖。
 向けられる視線の中の感情に、無いはずの感情がざわめく。
 とっくに捨てたはずだった。もう無かったはずだった。
 ただの“共犯者”。
 本当は見捨てても良かったはずなのに。一度暴走したからには、見限っても良かったのだ。
 あの、悲しい(マオ、)子供のように。
 それなのに、こうして自分はここにいる。
 あの男がこちらに来ることを、もう一度蘇らせることを望んでいる。哀しく愛しい、阿修羅姫を。
 果てない時の中で、もう何度失っただろうか。だから捨てた。自分から捨てたはずだったのに。なのに。

 また、手をとりたくて。

 「ルルーシュ」

 向けられる若干の怯えと怒りと焦りに耐えられなくて、コクピットを飛び出した。まだこの辺りにはブリタニアの軍人もいるだろうけれど、構ってなんていられなかった。
 嫌だった。

 悲しい、寂しい、苦しい。
 嫌だ。
 嫌だ嫌だ嫌だ!

 約束したのだから。
 責任は取ってもらわねば。
 男として情けないだろう?

 不覚にも撃たれて落ちて。ああ、よく受け止められたものだなと思った。やっぱり少年は細いままで、変わらない空気に少し笑う。
 また、ここからやり直すのだ。

 戻って来い。

 ゼロ。

 ……ルルーシュ。

 本当のお前は、『此処』だよ。


 ――――さぁ、目を覚ませ。




 そして、阿修羅の面を被る眠り姫は、目を覚ました。






“魔女が紡ぐ糸先には、毒なんてない。糸巻き車が紡ぐのは、破壊と創造の物語なのだから”
















「これは、契約ですよ?」

 無垢な笑顔で微笑む彼女は、皇族だった。
 閉じられたその目に何も見えなくても、彼女は世界を見つめている。残された耳で世界を知っている。だからその笑顔も、綺麗なものだけで作られているわけではない。詠うように、祈るように彼女は紡ぐ。

「お兄様のための、世界。それが私の望みです。それをスザクさんが与えてくださるなら、私はあなたに協力しましょう」

 愛しさに満ちた声はたった一人のものだった。うっとりとした声で語られる内容は残酷なまでに易しい。それにくすりと笑って、跪いた。

「イエス、ユアハイネス」
「その代わり、私はスザクさんに手を貸します。私が出てくればお兄様はここを壊せない。私は最後の砦。お兄様の一番は私だけだから。ゼロとして動き出したのはきっと私のためなのだから、この政庁にお兄様は手を出せない」

 なんて残酷な。

 二人に共通するのは、もう誰も失いたくないという感情。そのベクトルは全く真逆のほうを向いているけれど、根源は確かに同じはずなのだ。それは二人の中心であるたった一人の根源でもある。だけれども、白き死神はその全てを否定し、白き皇女は今その根源を取り上げようとしている。
 取り戻したいのは、同じだというのに。
 決定的な断絶が二人の間には横たわる。
 それは、愛か憎しみか。
 そんな言葉では片付けられないくらい、深い深い感情。

「でも、スザクさん」
「なんだい?」
「お兄様に、傷をつけたら殺しちゃいますから」

 優しげな微笑と共に紡がれた言葉にスザクは笑った。それは比喩でも冗談でもなく真実だと知っているからだ。彼女は何があっても彼を愛している。たった一人の兄を世界なんてどうでもいいくらい愛している。だからこそ、兄を安全な鳥篭に閉じ込めるために彼女はスザクに協力する。契約を違えたその時は、命はないと微笑む。
 彼女は確かに皇族で、そして確かにルルーシュの妹だった。

「私はお兄様に優しい世界が欲しいんです。スザクさん、ちゃんと頑張って下さいね?」
「もちろん。エリア11をこの手に出来たら――君とルルーシュが平和に暮らせる世界がくるよ」
「とっても楽しみです。早く、ナイトオブワンになってくださいね?」
「約束するよ」

 彼は知らない。彼女が、彼を心の底から憎んでいることを。
 彼女は知らない。彼が、彼女に誰かを重ねていることを。

 彼は知らない。彼女とその兄が引き離されれば、そこに待つのは崩壊しかないことを。
 兄は知っている。本気になった彼女が如何に恐ろしいかを。


 そのどれか一つすらも、まだ誰も知らない。





“握り合った掌には、無数の棘が生えていた”