「もう、ほんっとーに心配したんですから! 勝手に部屋を抜け出さないでください! しかも、あんな方法で……お姉さまのことだから無茶するんじゃないかとは思っていましたけど、あれはないです。怪我は無いんですよね?」 「ああ。……すまない、ユフィ」 「解ればいいんです。……ところで、こちらの方はどなたなんですの?」 そう言って、不思議そうに濃い桃色の髪の少女はこちらを見ながら問いかけた。 今更か、とも思いつつ困ったように笑っていれば、さらっと隣の彼女は顔色一つ変えずに言い切る。 「カケオチ相手だ」 「ええええええっっ!?」 「もう、お姉さま! 幾ら何でもよそ様にご迷惑をおかけする真似はよしてくださいな!」 結局自分の叫び声で彼女が見つかってしまい、半強制的に連れて来られた部屋は何とスイートルームだった。 別段眺めが良いことを想定して作られていないこのホテルは高さが五階ほどまでしかなく、和を主に作られているため部屋数も少ない。四階のその部屋は外国人客のために洋室ではあったが、置かれた調度や雰囲気がどことなく日本の趣を感じさせる作りとなっていてこれならば受けがいいだろうと納得した。 探しに来たSPのようなスーツ姿の男性や女性数人に促され部屋に入ると、そこにいたのは華やかな空気を纏った可愛らしい少女だった。 ふんわりとした、まるでパーティドレスのような服を着ている彼女はまだ名前も教えてもらっていない少女とはほとんど似ていなかった。唯一似ているのは瞳の色だろう。ただし少女のそれは硬質的な鋭さを秘めた深い紫水晶のような色ではなく、少し薄い春のすみれのような色だった。 ほぼ似ていない、が、しかし少女は隣の彼女を「お姉さま」と呼んでいる。姉妹ということは確定だ。 そんなことをつらつらと考えていると不意にされた質問に、苦笑するほか無かった。自分は彼女を助けただけで、それ以外は何も無いのだ。こうしてここにいることも何故なのか自分でも不思議なくらいだ。 ただ、掴まれたままの服の裾が『行かないで』と引き止められているようで。振りほどけないその指に何となく着いてきてしまった。 の、だが。 「何言ってる。私は本気だ」 「お姉さま……。お嫌なのは重々承知しています。でも、別に断ってもいいんですしそんなに嫌がられなくても……」 「あの男に命じられたことが嫌なんだ。そうじゃなきゃここまで嫌がらない」 「もう……。お父様だって、結構渋々出したのですよ? 最初は私を出そうと思っていたくらいですし」 「お前が行くくらいなら私が行く」 「あの時もそう仰ったのはお姉さまじゃないですか。……今からでも、私が代わりに行きましょうか。そのために着いて来たようなものですし」 「…………解った。大人しく行く」 「……ありがとうございます」 どうやら話は纏まったらしい。会話から察するに、やはりどこかの貴族のお見合いのようだ。妹を出す代わりに自分が、と少し不貞腐れながらも彼女は決意したようだ。 そうなると自分はお払い箱かな、と考えているとくるりと彼女がこちらを見上げた。指が離され自由になる。どこか気まずそうに目を逸らしながら彼女はぽつりと零した。 「…………すまない。こんなところまでつき合わせて」 「え、いや気にしないで? 僕はぼーっと着いて来ただけだし」 「そういえば、お礼を言っていませんでしたわ。お姉さまを助けてくださったのでしょう? ありがとうございます」 「あ、いえ。まさか上から人が降ってくるとは思わなかったんですけど」 「お姉さまは昔から突拍子もないことをすることが多くて……すみません」 「お前に言われたくないぞ」 「あら、ナナリーに言わせればどっちもどっちだそうですけど?」 反論する彼女の言葉を封じ込めて、少女はころころと笑った。その笑みに悔しそうにそっぽを向いていた彼女が自分を見やる。暫しちらちらと視線をむけてから、そっと溜息をつきつつ軽く会釈された。 「……ここまでついてきてくれて有難う。邪魔をしたな。このホテルにいるということはお前も用事があったんだろう?」 「うん、まぁ一応。でも父さんの用事にくっついてきただけだから、それが終わったら帰るだけだよ」 「そういえばお名前をお聞きしていませんでしたね。お聞きしてもよろしいですか? 私はユーフェミアといいます。こっちが姉のルルーシュです」 「僕はスザクっていいます。そういえば、二人はブリタニアの人かな?」 「ええ。スザクは日本人ですか?」 「うん。髪も目もちょっと珍しい色って言われるのに、よく解ったね」 「何となく雰囲気が日本人のお友達に似ていたもので。ね、お姉さま」 「あっちは少々騒がしいけどな……」 同意を求めるユーフェミアに対して、彼女は――ルルーシュはどこか苦笑気味に答えた。 その後、何か礼がしたいというユーフェミアの申し出を丁重に辞退して部屋へと戻った。何となく名残惜しい気もしたけれど、そう長くいるわけにもいかない。自分も父の用事で来ていることだし、残念に思いながらも部屋を出たのだ。 戻ってみると、用事は終わったのか総理であり父である枢木ゲンブはもう戻ってきていた。一緒にいたはずの母の姿がないことに首を傾げつつ、ソファに座るゲンブの傍へと足を進める。気配に気付いたのか、ゲンブが顔を上げてスザクを見やった。 「何処へ行っていたんだ」 「散歩に。もう会議は終わったの?」 「まぁ……な」 「?」 何処か歯切れ悪く答えるゲンブにますますスザクは首を傾げた。確かに父親は言葉数が少ないほうだが、それにしてもいつもなら明朗に返ってくる返事が無い。それどころかそわそわして落ち着きが無いようにも見えて、そんな父の姿にスザクは向かいのソファに座り問いかける。 「どうしたのさ父さん。何か変だよ?」 「……その、なスザク。実は……」 「ス――ザ――ク――!!」 暫く黙っていたゲンブが漸く覚悟を決めたように口を開いたその瞬間。 バッターン! と威勢の、というかいささか乱暴な音をたてて扉が開かれた。それと同時に己の名を呼ぶ声に、スザクは扉の前に立つ女性を見やり不思議そうに首を傾げる。 派手ではないが、華やかな上品さを醸し出す着物を身に纏うその姿は正に日本女性の鏡。大和撫子。年はもういい頃合ではあるが、年齢を重ねたからこその美しさは認めざるをえない。 そこには総理大臣枢木ゲンブの妻であり、自分の母でもある枢木都(ミヤコ)が仁王立ちで立っていた。 「あ、母さん、何処行って……」 「スザク。母さんあなたのことほんっとーに大切に思ってるわ。ちょっとイロイロ女性遍歴だとか学校の成績だとかはともかくとして、いい子に育ってくれて感謝してるのよ。ゲンブさんだって同じはず。ゲンブさんと同じ政治関係にはちょっと、いえかなり向かないとしてもあなたが努力していることはちゃーんと解ってるから!」 「……いきなり何なのさ、それ」 姿が見えなかった母に問いかける声はばっさりと切り捨てられる。そして始まった誉めているのだか貶しているのだか解らない台詞に、口元が引き攣り笑いを浮かべた。ていうか何で女性遍歴知ってるのさ。確かに遊んでいるほうだとは思っているけれど問題を起こしてはいないし。 そりゃあスザクだって多感で健康的な高校生男子だから、お年頃なことに興味はある。とうに大人の階段は昇ってしまっていて、最近は大人のオネーサンがたと遊ぶことも多い。それだって後腐れのないような女性を選んでいるし、ここ最近はそういう事からは手を引いていた。嫌な予感、というか不穏な気配を感じていたからだ。まさか今の事態を予期していたのだろうか。別段何が関係あるというわけではないが何となくそう思う。 そんなスザクの心中など、知ったこっちゃないとばかりに話は進められていこうとしていた。 「まぁそんなわけでそれなりに気遣いが出来るし、優しいし、頭もまぁまぁどうにかいいと思っているのよ。容姿もちゃんと体鍛えてたりセンスは悪くないから結構モテるんだろうし」 「あのさ母さん、一体そんな並べ立ててどうしたのさ。本題は?」 「つまり今からお見合いだから粗相の無いようにね、ってこと」 「………………………………………………は?」 思考停止、本日二回目。 「………………恨むよ、父さん」 「すまん、スザク……。早く言わなくては、と思っていたんだが……」 「思ってたんだったらもう少し早く言ってよ……」 そうすれば、せめて心構えくらいはできたのに。 何時の間に用意していたのか、新しく仕立てられたスーツに袖を通しながらスザクは深々と溜息をついた。黒地に細い銀糸のストライプスーツはどこかカジュアルにも見えながら、仕立てと高級生地のお陰でそこまで軽くは見えない。そこまで公のお見合いではないからこその、スザクの雰囲気を重視したチョイスだ。こういうところはさすが我が母親というべきだろうか。普段童顔で年よりも若く見られがちなスザクだが、服に着られているようには見えず好青年風の装いとなっていた。 着替えているスザクの近くでソファに座ったままのゲンブは、すまなそうな表情を浮かべて若干騒がしい扉のほうを眺めた。その向こうでは今頃、枢木家の女傑がセッティングに腕を奮っていることだろう。バイタリティ溢れる母親を持つと精神的に苦労することも多いが、こういう時は本当に助かる。 何しろスザクのお相手は、大国ブリタニアの皇女様だというのだから。 好戦的な国として栄えてきた帝国ブリタニアだったが、実は極東の小さな島国でしかない日本とはそれほど険悪ではない。むしろ友好的といったほうがよいくらいだ。理由としては、現日本国首相枢木ゲンブ――つまり、スザクの父親とブリタニアの皇帝、シャルル・ジ・ブリタニアが何故かプライベートでも交流を持っているということに起因する。 未だに、どうして大国の皇帝と自分の父親が仲良くなれたのか、非常に疑問に思うところなのだがそこは黙して語られることがないため理由を追求することは諦めていた。日本にとっては悪くないことでもあるのだし。あの大国がこの国を攻めてきたとしたら、一年も経たぬうちに攻め落とされてしまうだろう。そうならないために、和平が続くことは大多数の日本国民の願いでもある。 だから、見合い相手がその皇女様だと聞いた時には逆に納得したのだ。帝国の皇女が島国の首相の息子と見合い・結婚となれば、そう大事が起きぬ限りブリタニアとの和平は約束されたも同然なのだから。ブリタニアの皇帝は后妃を何人も抱えており皇族の諍いというのはかなり醜いらしいが、皇帝自身は家族を――娘や息子を慈しむ気持ちはあるのだというから。 『酷く、不器用な男なんだ。だからこそ冷徹非道というべきばかり策をとってきていた。……それを変えたのはたった一人だ。私は彼女を尊敬するよ』 何時だったか、晩酌をしている父に付き合っていた時に懐かしむように語られた言葉。それは何処か寂しそうで、それでいて優しげだった。遠く何処かを見据えながら語るその姿は、もう戻れぬ過去を見つめていた。父親が彼、つまりブリタニア皇帝について話をしたのは後にも先にもそれ一回きりだ。何故その時に自分へと話したのかは今でも解らない。皇帝と父との関係は探せば出てくるのだろうけれど、きっとそれは対外的なものでしかないだろう。だから、スザクは何時か話してくれる日を待っていた。 待っていた、の、だけれども。 「まさかいきなり見合いさせられるとは思ってなかった……」 「お相手は第三皇女殿下だ。失礼の無いようにな」 「解ってます。に、しても第三ってことは結構身分は高いんでしょう? なのに、どうして日本に……」 「最初は第四皇女が来られる予定だったんだが……まぁ、どうやら色々とあったらしくてな」 「色々、ねぇ……」 どちらにしろ日本――つまりは自分達側はともかく、この見合いをどうするかはその皇女次第だ。出来れば他の官僚は成功するほうがいいのと思っているのだろうけれども、その皇女様が果たしてこんな小さな島国の首相の息子と婚姻を考えるだろうか。断られたら仕方がない。失礼の無いように、としか言わないということは無理に成功させる必要もないということだろう。 ただ、対外的にはちゃんと「首相の息子」を演じきらなければならない。それだけが多少ながらもスザクを億劫な気分にさせた。元々こういう場は向いていないのだ。公の場に出ることは慣れているけれども、長時間いるとどうしても疲れてくる。本音はさっさと終わりにさせて帰りたい。 そのためにはそつなく見合いの場を終わらせてくることが一番であろう、と考えながらネクタイを締め終わり、聞こえてきた自分を呼ぶ声にスザクはそっと息をついた。 「あら、似合ってるじゃない。これならバッチリね!」 「母さんの見立てでしょ? なら僕が似合わないわけないし」 「いいこというじゃない。じゃあ頑張ってちょうだいね。五月蝿い役人さん達はいるけれど、メディアには話の伝わっていないまぁまぁ非公式の場だから、よっぽどのヘマをしない限りは大丈夫よ」 「……よっぽどの、って?」 「私達の息子はそこまで言わなきゃ解らないお馬鹿さんじゃないはずだけど?」 にっこり、と有無を言わせない笑顔で告げられた一言に頬が引き攣る。これぐらいの意趣返しはしたって構わぬだろうに。にこにこにこと隙の無い笑みを浮かべる母親に何も言えずに黙り込む息子を、相変わらずすまなそうに父親は見ていた。古今東西、女性は強いものと言われているが枢木家においてもそれは変わらない。 気を取り直してスザクは今から会う女性のことを考えた。皇女様、しかも大国のともなればプライドや気位は高いだろう。そうすると恐らく我が侭で高飛車な女性が現われるのではないだろうか。そうではないことを祈るものの、少々覚悟はしていたほうがいいだろう。駆け引きなどは向いていないと自覚しているので、精々大人しくしていようとスザクは気を引き締めた。 設けられた見合いの席に向かう途中、ふとスザクは言われていない重要なことに気がついた。既に部屋は目の前であり、周りに他の官僚などもいる中で簡単に父は呼べない。そのため母を探すものの、少し離れたところで大臣と話している様子に心の中で頭を抱えた。肝心な名前を教えてもらっていないのだ。紹介はされるだろうけれども、やはり知ってはおきたかった。しかし、もう遅い。 「さ、行くぞスザク」 「はい」 扉が開かれ、部屋に入る。白いテーブルクロスとその上に並べられた鮮やかな花。落ち着いた雰囲気に少しホッとしつつ、テーブルにつく。まだ相手は現われていないらしい。ゲンブ、スザク、都と並んで座ると直ぐにまた扉が開かれた。そして入室してきたのは護衛と思われる男女と、それから―――― 「すみません、お待たせいたしました」 「いえ、私達も今来たところです」 「日本へとおいで頂き誠にありがとうございます、殿下。心から歓迎いたしますわ」 「ありがとうござい、ま、す……」 すぐさま立ち上がったゲンブと都は入ってきた少女へと言葉を交わす。しかし、少女が不意に言葉を途切れさせて驚いたように目を丸くさせてこちらを見てくるのに首を傾げた。側近だろう二人も少し驚いたような表情を浮かべているのにどうしたのかと目線を辿り、行き着いた先の息子の顔に再度驚く。 「……スザク?」 「……枢木首相、彼が、枢木スザクさんでしょうか?」 「え、ええそうですが……」 「え、あ、え、ええっ?」 「まさか、とは思っていたが……なるほど」 一人納得したように頷く皇女に周りはついていけずにひたすら首を傾げる。しかし、周りの様子も気にせずに彼女は驚愕しているスザクの前に立つと艶やかに微笑んで手を差し出した。 「“初めまして”、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアです。よろしく」 「…………ウソ……」 落ちてきたのは、確かに女神ではなかったけれども。 枢木スザク、本日三回目の思考停止となった。 |