「っ!! そこをどけ――っ!!」
「へ? うわっ、あぁっ!?」




 突然声が響いて空を見上げれば、自分の上に一直線に落ちてくる小柄な人影が。
 思わず慌ててその体を受け止めるように腕を広げれば――――



 ――――落ちてきたのは女神様でした。




「ったた……って! おいお前大丈夫か!?」
「…………。へっ? あ、はい大丈夫です」
「本当か? 良かった……。が、しかし上から落ちてくる人間を受け止めてどうする。危ないだろう。怪我でもしたらどうするんだ」
「え、でもそうしたら君が怪我しちゃってたんじゃ」
「馬鹿、私は自業自得だからいいんだ。それよりも、本当に大丈夫なんだろうな?」
「あ、うん。どこも痛くないし大丈夫」
「そうか、ならいい」


 実際自分はこれでもかなり鍛えているから、少々腕が痺れているくらいで特に何かやってしまった感じはない。この分なら大丈夫だろう。
 もし後で何か痛めてしまっているとしても、少女を無事受け止められたのだから気にしない。これで逃げていた場合の方がよっぽど精神的にも辛くなることは目に見えている。と、いうか思わず助けてしまったのだから今更何を言っても仕方がない。
 そんなことよりも何よりも、問題は今自分の膝の上に座る彼女だ。
 背中の真ん中ぐらいまでありそうな長い髪は、鴉の濡れ羽色というのだろうか。今時の日本人にも滅多にいないほどの黒髪は艶やかで美しく、肌は真白く滑らかそうだ。瞳は綺麗な紫色で、鋭い光を放っていたそれが柔らかくなった瞬間に心臓がどきりと跳ねる。ヤバイ。これはかなりヤバイ。

 つまるところ、テレビの中でも滅多にお目にかけないような相当な美少女がここにいる。

 暫く惚けたように少女を見つめていたスザクであったが、彼女が立ち上がったのを見て慌てて自分も立ち上がった。地面に膝をつけたために少々ついてしまった埃を払う。何か落としているものも無いか確認して改めて少女と向き合った。

「君こそ、どこか怪我は無い?」
「大丈夫だ。お前が受け止めてくれたおかげで私は傷一つ負っちゃいない」
「良かった。女の子なのに傷がついたら大変だもんね」
「傷の一つや二つなど私は気にしないが……いや、それはともかく助かった。ありがとう、礼を言わせてもらう。正直なところ、あそこから飛び降りて無事だとは思っていなかったからな」
「これくらいどうってことないよ。それより、何であんなところから落ちてきたの?」

 異国人であるはずの少女の随分と流暢な、しかしどこか男性的な言葉使いに疑問を覚えつつも、スザクはそれよりも気になる事柄を問いかけた。
 途端に目に見えて少女の顔が少し困ったように歪む。だが、実際問題今は余りにもおかしすぎる状況なのだ。
 まず、ここは日本の首都東京の都内にある高級ホテルの中庭である。都内といっても少々外れた場所にあるこのホテルは、なるべく自然との調和を主としており緑が多く過ごしやすい。現在地である中庭も広めに作られちょっとした林か森のようだ。ホテルの内装も日本の和の空気を基調として作られており、優美ながらも繊細な清清しさが日本人はもとより、多くの外国人にも好まれている。
 だから、明らかに日本人ではない少女がいてもおかしくはない。女性にしては身長が少し高めで華奢な体躯。言葉は少々キツイものの動作にはどこか気品があり、優雅だ。恐らくブリタニア人の貴族か、その辺りの上流階級に属する人物だとは窺い知れる。
 問題は、そんな育ちの良さそうなお嬢様(仮定)が何故上から落ちてきたということだ。
 見上げてみると四階辺りの窓から下に向かって白く長いものが揺れている。恐らくそれはシーツか何かを紐の代わりにしたもので、長さは二階ぐらいまで届いていた。彼女はそのギリギリで下に飛び降りたのだろう。
 古典的といえば古典的だが、そんな手段を使わなければならないほどのこと――つまり、逃げなければいけない事柄があったのだろうか。こんな不確実な手段を使うほど切羽詰まった理由が。
 余程言いにくい理由なのか、言葉を濁して視線を逸らす相手にこっそり苦笑した。
 もし何か困っているのならば少しでも助けられればいいと思ったのだが。幸いというか何と言うか、自分はこの国の現在の首相――枢木ゲンブの一人息子だからここでは多少の融通が利く。
 そもそもここにスザクがいる理由は正にそれで。まだ十八という年齢であるため政治に参加しているわけではないが、今日は父であるゲンブのお供として着いてきていたのだった。
 それにしても、とやや命がけな脱出にしてはあまり切羽詰ったような様子を見せぬ相手にスザクは首を傾げる。
 彼女がこんなことをしなくてはいけないような原因はなんだろうか。良いとこのお嬢さんのようだから、見合いか何かだろうか。自分の通う学園の生徒会長様も毎回色々と手段を用いて逃亡することだし、同じように見合いを嫌う人がいても可笑しくはない。
 でももし自分がそのお見合い相手だったら、嫌がられてもこっちは即決してしまいそうだなぁ、とスザクは埒もないことを考えた。

 そんなことをつらつらと考えていると漸く言う気になったのか、少女がこちらをおずおずと見やる。
 それに合わせて少し居住まいを正し、聞く体勢をとると彼女が口を開き――しかし、不意に聞こえてきた声に表情を引き締めた。

「お姉様ーっ!? 何処に行かれましたのお姉様ーっ!?」


 どうやら聞こえてくるのは真上らしい。可愛らしい声が少し焦ったような声で誰かを呼んでいるのが聞こえてくるのに思わず上を向きかけると、突然勢いよく胸ぐらを捕まれ引き寄せられた。

「いっ!?」
「おいお前!」
「はっ、はい」

 引き寄せられたせいで顔が近い。真剣な光を宿した、紫水晶のような美しい瞳が真っ直ぐにこちらを射抜く。
 間近で見ると赤面してしまいそうな美貌に見惚れていると、赤い唇が動いて。






「私とカケオチしろ!!」






「…………へ? え、」




 ええええええぇぇぇぇ――――っっ!!??




 何とも衝撃的な発言が繰り出され、思わず叫んでしまったのは仕方がないと思いたい。







“舞い降りたのは女神ではなく破天荒なお姫さま”