残響するように鼓膜に記憶された銃声、硝子の破砕音、甲高い悲鳴と怒号。
 全てはあの日から始まっていたのだろう。誰よりも優しく気高く強い、大好きだった母を失い己の足の自由も光も失ったあの日から。歯車は廻り運命は定められた通りに動き始めた。

『……この車椅子が、今日から私の足になるんですね』

 電動で動くそれに触れながら、寂しげに呟いた自分に兄は言う。

『……ああ。だけど何も心配することないよナナリー。僕がナナリーの目と脚になってずっとずっとお前を守るから。絶対にだ。約束するよ、ナナリー』

 そっと触れてきた優しい手を縋るように掴んでしまったのが、きっとナナリーの最初の罪だった。縋ってはいけなかった。助けを求めても甘えてしまっても、その優しさにただ縋ることだけはしてはいけなかったのだ。兄だって、ルルーシュだってたった十歳の子供だったのだ。どんなにナナリーが幼くとも、するべきことは共に寄り添い支えあうことだった。
 きっとそのせいで兄はナナリーを世界の中心にしてしまった。ナナリーという存在を背負わせてしまった。彼がゼロになったのはナナリーのせいだ。ゼロの罪はルルーシュの、そしてナナリーの罪なのだ。
 たった二人きりの兄妹。
 悲しいときも嬉しいときも全て一緒だと思っていた。二人で全て分け合えると思っていた。何時からかそれが嬉しいときだけになってしまっていたことに、ずっと気付けずにいた。
 だからもう、一人で背負わせはしない。

 愛しい愛しいお兄様。
 あなたの悲しみも苦しみも痛みも弱さも、二人で分け合いましょう?
 大丈夫。もう私は世界から目を背けない。
 だから――――貴方を取り戻す。











「ブリタニアの、皇女……っ!?」
「つまり……ゼロは、ブリタニアの皇族!? 皇子ってことか!?」
「そんな……っ!!」

 動揺と混乱がその場に広がる。衝撃的な言葉は積み上げてきたものを瓦解させるには十分だった。
 リーダーであるゼロが日本人ではないことは古参のメンバーも知っていたから、それはいい。だが問題は彼が敵であるブリタニアの皇族だったということだ。今彼らが剣を向けているのは正にその皇族である。つまり騎士団は皇族の暇つぶしの道具だということだろうか。素性を隠してテロリストに加担して、自らの居場所であるはずの国へ剣を向けるなどただのお遊びとしか――――。

「……これで全て解りましたわ。ゼロが真実ブリタニアの敵だということが、証明されたのですね」
「神楽耶様!?」

 思いがけない少女の言葉に朝比奈や千葉、扇がぎょっとして彼女を見やった。ナナリーの手をそっと握り締めたまま彼女は深く沈痛な面持ちで目を軽く伏せる。その手をぎゅっと握り返してナナリーは自嘲気味に微笑んだ。

「ごめんなさい、神楽耶さん。今この状況も私のせいです。私がもっとしっかりしていればお兄様は……」
「何があったのですか?」
「……私が、攫われたんです。お兄様はそれを追いかけて……ゼロを追いかけてきたスザクさんに」
「そう……。本当にあの人は」

 私の邪魔ばかり。と神楽耶は苦々しく呟いた。思えばスザクは昔から自分勝手で独占欲が強かった。神楽耶が異国から来た皇子と皇女に興味を惹かれて遊びに行き、徐々に仲良くなってきてもルルーシュと話す時は邪魔をしたり連れて行ってしまうことが多かった。そして今またスザクは神楽耶からルルーシュを連れ去る。
 嫌いではない。むしろ好ましいとは思っていたのだけれども。
 もうスザクに神楽耶の言葉は届かないのだろう。それが悔しくて辛くて――憎い。

「……間違ってるとはいいませんわ。正しいやり方で筋を通して、手に入れる。確かにそれが一番良い道なのでしょう。無辜の人々を僅かでも傷つけ、血で血を洗うような私達のやり方は許されず罪深き咎を背負うのでしょう。……ですが、それでも私達は欲しいものがある。その覚悟を背負ってでも求めるものがある。間違っていようとも何であろうとも……突き通さねばならぬ想いがあるのですから」

 膝についた埃を掃うと神楽耶は立ち上がり、その場の団員達を見渡した。その目に宿るのは決然とした強い意思だ。射抜くその瞳の強さに気圧されて辺りが静まり返る。己の声が届くよう静まったその場で、神楽耶は凛とした声で紡ぎだす。

「この方に――ナナリーに害を成す事を禁じます。その禁を破った者は私を、皇の血を侮辱するものだと見なしますからそのおつもりで」

 彼女は真実日本の皇族であった。未だ幼い少女に見える神楽耶がしかし、為政者としての能力に優れていることは所作や言葉で解る。団員達は皆その言葉に息を呑んだ後、従うように礼をとった。

「……これから、皆様はどうなされるおつもりですか?」

 ふと緊張の走るその場に柔らかな声が響いた。団員や神楽耶はそちらを見やって少し困惑気な表情を浮かべる。ナナリーは静かに首を傾げて再度問いかけた。

「このままでは結局ブリタニアに蹂躙されるだけです。現在ですら衛星エリアになれていなかったのに、この状態だと負けてしまえば矯正エリアに落とされることになりますよ」
「つったって、どうすりゃ……!!」
「ゼロは居ない。物資も完璧とは言えない。負傷者も出ているとなれば、出来ることは少ないな。まぁ一番の問題は指導者がいないということだが」
「でも、こちらには神楽耶様や藤堂さんが……」
「私は全体を見ることは出来ない。先ほどでそれを痛感した」
「私もゼロ様のように策を練ることは出来ません。……やはり、あの方でないと、黒の騎士団は」

 ぽつりと神楽耶の漏らした一言にその場の人間が皆押し黙った。じりじりと削られていく時間は止められない。何かしなくてはその先に待つのは絶対的な敗北だ。それは今度こそこの地に絶望を降らせることになる。
 誰もが次の言葉を発せずにいるなか、またも先手を打ったのは柔らかな声だった。

「日本を取り戻したいですか?」
「!」
「ナナちゃん?」
「でしたら簡単なことです。取り戻せばいいのですよ、ゼロを」

 ふわりと、まるで子供が解らぬ数学の問題を教えるかのように言うナナリーに皆は目を瞠った。それからやはり玉城が噛み付くようにナナリーへと怒鳴る。

「ば、馬鹿かテメェは!! アイツは今ブリタニアに捕まってんだろ!? しかもあの枢木スザクと、皇族に!!」
「でも日本を取り戻すためには必要でしょう?」

 怒鳴る玉城に恐れる様子もなく、愛らしく首を傾げてみせるナナリーに動揺が走る。カレンは今まで見てきたはずの少女との違いに目を丸くするしかない。驚くカレンを見やって、C.C.は一人楽しげにナナリーへと声をかけた。

「さすがはアイツの妹だな。度胸と芯の強さはマリアンヌ似か?」
「お兄様はお優しい方ですから」

 にこりと笑って言うナナリーにC.C.は肩を竦めた。大物ではないかとは思っていたが、ここまでとは思っていなかったのだ。少しでも知っていたカレンは口が塞がらない。神楽耶だけはその言葉に顔を少し輝かせて手を打った。

「それはとてもいい考えですわね! ゼロ……いえ、ルルーシュ様を取り戻せたらつまりは私と夫婦! あの美貌が私のものに!」
「あ、あの……神楽耶様?」

 いささかズレた発言をする神楽耶に扇が困ったように眉を寄せた。余談ではあるが神楽耶は幼少期のルルーシュを知っていて、尚且つ想像力逞しい。実際と寸分変わらぬ現在像を脳内で作り上げたのは賞賛に値するだろう。生憎ながらそれは誰も知る由のないことであったが。
 少しずつ緊迫感の薄れてきた場にどうしたものかとカレンは辺りを見回す。頼りになりそうな藤堂は難しい表情で何かを考えていて、打開するような言葉は聞けそうにない。自分が何か言えることはないかと彼女が考えるうちにC.C.はぐるりと辺りを見回してナナリーへとまた視線を戻した。

「どうするつもりだ、ナナリー。ここまで引っ張ったのには訳があるんだろう?」
「お見通し、ですか」
「私は魔女だからな」
「まぁ。魔法使いではなく?」
「魔法なんかよりも酷い代物しか持っていないさ」

 肩を竦めたC.C.の言葉にころころとナナリーは笑った。そして居住まいを正すとそっと呼吸を数える。落ち着くために、思考をクリアにするために使うのだとルルーシュが教えてくれたことだった。1、2、3、4、5……ナナリーはとっくのとうに決めていた。優しい兄が思うほど、ナナリーは優しくない。大切なものとその他を分けられるくらいは彼女にも出来る。そしてそれをするべきは正に今だった。

「お願いが、あります」

 真摯な声で紡ぎだされた言葉に、こちらへと意識が向いたのを確認してナナリーは顔を上げた。胸を張り顎を軽く引き、開かれぬ瞳で前を見据え。そしてゆったりと神聖にすら見える微笑みを浮かべた。

「どうか私に力を貸してください。ゼロを――お兄様を取り戻す、ために」
「ナナちゃん……」
「私のなんです。お兄様は、私のお兄様なんです。それなのにシュナイゼルとスザクさんはお兄様を鳥籠に閉じ込めようとしている。……私はブリタニアという国が嫌いです。私から大切なものを全て奪い取ってしまうから。私は、私達はただ、大切な人達と穏やかに過ごしたいだけなのに。生きて行きたいだけなのに」

 悲痛な悲しみの篭るその言葉に、返せる言葉はなかった。ナナリーの願いは誰しもが持つ願いだった。そして、その願いをそれを踏み荒らされた者達が此処にいるのだから、その願いを否定するものもいない。カレンは思わず兄と母を思い出して、瞼が熱くなるのを自覚した。ナナリーはそっと白い手を差し伸べるように前へと向ける。

「これは契約です。あなた方がお力を貸してくださるのならば、私はお兄様と共にこの地の、日本の奪還を必ず約束します。その代わり、あなた方の力を貸してください。約束は必ずお守りします。私の矜持と命に代えても、違えたりはしません」

 だからどうか、力を貸してください。

「私はお兄様を、取り戻します――」

 決意の宿るその声に、誰も言葉を発することが出来なかった。
 取り戻す。奪われたものを。奇しくもそれはその場の者達の願いと同じだった。それが個であるかないかの違いだけで。そして、誰よりも恐らくその気持ちを理解できるだろう紅髪の少女が彼女の手をそっととった。

「……私、アイツに色々聞きたいことがあるの。そして日本を取り戻したい。それが叶うなら、多少のことには目を瞑ろうじゃない」

 ふっと不敵な笑みを浮かべてカレンはナナリーの手を握り締めた。その手の暖かさにほんの少しナナリーがホッとしたように息をついた。しかしそれも直ぐに掻き消え、まだ油断は出来ないとばかりに静謐な表情へと戻る。その表情の変化を見てとって、神楽耶が少し笑いながら手を更に重ね合わせた。

「私の願いはただ一つです。日本を取り戻すこと。そのためならば割り切ってでも受け入れましょう」

 それに、ゼロがあのルルーシュ様だとするならば多少の融通は利きそうですし? そう言って笑う神楽耶にナナリーは思わずといったように微笑んだ。C.C.もまた言葉はなくとも彼女の差し出していない手のほうへ手を重ねる。その光景を見て、藤堂は一歩進み出た。

「……契約というのは、いささか好みではないな。同志だと思いたかったのだが……ゼロがルルーシュ君だとするとそれは望めそうもない」
「ならば、ゼロはもういりませんか?」
「いや。……同じ道を彼は選んだ。目指すものが同じであるならば、私は彼を信頼できる」

 だから君も信じよう、と藤堂はそっと呟いた。その言葉にナナリーは軽く頭を下げる。四聖剣の千葉や朝比奈は若干何か言いたげな顔をしていたが、藤堂の意に従うことを決めたようだった。

「アタシもそっち参加するわよ〜? やっぱ面白いほうがいいし、今何処に行ったってしょうがないしね。カレンがそっちならナイトメアは必要でしょ?」
「私もそちらです。ゼロも素晴らしい被写体ですが、貴女も私は撮ってみたい」

 そこに更にラクシャータやディートハルトも加わり、残すは騎士団のみとなる。残された幹部は困ったように皆顔を見合わせて、口を閉じた。彼らはただのレジスタンスだった。ゼロがいなければ彼らは既にこの世を去っていたかもしれない。それには感謝しているのだ。
 だが、駒なのだと思い知らされた気がしてどうしても直ぐには動けない。信じていたのに裏切られたと思ってしまう。良く考えれば自分達だってゼロの正体を何処かで不安に思いながらも、無理やりそれを押し込めてきたのだ。そう考えるとそこに信頼関係は最初からなかったのではないか。でもそれでも、結論を出すには早すぎた。
 そんな彼らのほうへ顔を向けてわだかまる感情に気付き、ナナリーは静かに言葉を紡ぐ。

「今すぐにとは言いません。けれど決断が遅くなればそれだけこちらが後手に回ることになります。……あちらにシュナイゼルがいる以上、こちらから先手を打つことが必要です。兄を取り戻せれば戦局は必ず好転するでしょう。それまで騎士団は守らなければ。あなた方という存在は、日本を取り戻す可能性のある唯一の剣なのですからここで散らすわけにはいかないのです。私と共に戦ってくださいませんか?」

 それを聞いていた神楽耶や藤堂たちは内心で驚いた。
 肉体的には多くのハンデを背負っている少女はしっかりと今の状況を見定めていた。ゼロへの不信を募らせる幹部達に有効なのは、自信だ。己らが必要なのだという自信が彼らには足りていなかった。だから彼らは迷い、指導者を求める。しかしナナリーはその足りなかったものを一言で補わせた。その証拠に幹部達の目が光を宿し始める。それが故意か無意識かは解らずとも、ナナリーは為政者としての手腕を発揮し始めていた。
 迷っていた幹部らが拳を軽く握り締める。代表として南がナナリーへと声をかけた。

「……あと少し、待ってくれないか。副指令だったやつが怪我をしていてこの場にいない。そいつとも話をしてから結論を出させてほしいんだ」
「解りました。ただ、ここに私がいることは許して頂けますでしょうか。何処にも行くところがないので……」
「安心しろ、ナナリー。お前を追い出せというような輩は私が潰してやる」
「何時もは意見が合わないけど、それには同意するわC.C.」

 ナナリーの少し困ったような表情にC.C.とカレンが笑みを浮かべた。言葉に出さなくとも神楽耶は既にナナリーに関して宣言を出しているので何も言わない。例の如く、何か言おうと口にしかけた玉城はそれに気付き、直ぐ様口をつぐんだのだった。










「それで、これからどうするつもりだ?」

 かけられた声にナナリーは俯かせていた顔をあげた。幹部達がまだ答えを出していないためナナリーとC.C.、そしてカレンはゼロの部屋へと移ってきていた。今頃四聖剣も神楽耶たちを含め話し合いを進めていることだろう。信用されきれないことは解っていたことだったから気にしていない。だからこそこちらも最初から契約と言い放ったのだから。
 C.C.の何処か試すような楽しげな言葉にカレンが少しだけ眉を寄せる。ナナリーは柔らかな微笑を浮かべたままその前に、と言い置きC.C.へ顔を向けた。

「C.C.さん。カレンさんには話しておかなければならないと思うんです。カレンさんは既に少しでも知ってしまっているのでしょう?」
「……そうみたいだな。全く面倒なことを……」
「……?……私が何を知ってるっていうの?」
「ギアスのことだ」
「っ!」
「カレン、お前が聞いた会話を全て話せ。そうでないと私達は先へと進めない」
「……ナナちゃんは、ルルーシュがギアスを持っていることは知っていたの?」

 スザクとルルーシュの会話を聞いて、何らかの力がルルーシュにあることは解っていた。しかしナナリーがそれを口にするということは、つまり彼女もまたギアスのことを知っている一人なのだろう。ルルーシュと兄妹だからだろうか。しかしそれを口にすれば困ったように微笑んで否定された。

「いえ、私は……」
「ルルーシュとギアスの契約をしたのは私だからな。ナナリーは関係ない。……もっとも、もはやナナリーもこの歯車の中に巻き込まれてしまったが」

 ため息混じりに言うC.C.へカレンは訝しげな目を向ける。その視線を受けてくつりと笑うC.C.にカレンは静かな声で問いかけた。
「ねぇ、ギアスって……何なの?
「そうだな……如いていうならば――――」


「全てを変革する、絶望と願望の鎖だな」

 酷薄そうにうっすらと、しかし切なげな顔をして笑うC.C.に、カレンは言葉を続けることが出来なかった。



“手に入れたものは並び立てる力か、それとも”