久しぶりに見る世界はまるで地獄のようだった。
 至る所で上がる煙と炎。瓦礫のような街並み。破壊と怒号、殺戮の宴。
 空は上る煙と火のせいか暗く澱み、まるで燃えているかのように赤く見えた。
 久しぶりに見たものがこれか、と少し憂鬱になる。けれども今までのように瞼を閉ざしたいとは思わなかった。

 これが世界。
 ブリタニアという国が蹂躙し、そして今も全てを焼き払おうとしている大地のほんの一部。兄が自分には見せたくなかっだろう光景。血と罪とで覆い尽くされた世界。
 でも、これが兄が自分のために成そうとしてくれていたことの一端だと思えば。
 なんて愛しく、そして歪んだ世界。
 大地が啼いている。穢れを吸い込んだ大地は直ぐに元には戻らない。
 人の悲鳴が聞こえる。
 嘆きが、悲しみが。

 止めなければ。
 終わらせなければ。

 そうでなければ大切なものを取り戻せない。
 愛しい存在を取り戻せない。
 だから、一刻も早く。


 この手には、そうすることの出来る『力』があるのだから。










 本国から増援部隊が近付いているとの報告にブリタニア軍は若干浮き足だっていた。
 少し前までは黒の騎士団、つまりはイレブンからの猛攻を受けて劣勢になっていたが、どうしてか騎士団側の動きが鈍り始めたためこちらが有利になったためである。後は本国からの増援部隊を待てばいいだけだ。
 一時は騎士団に奪われた各施設も取り返すことができ、何より脅威であったゼロは枢木スザクが殺したらしい。そうすればもはや脅威はない。コーネリアの親衛隊を率いるギルフォードは未だ気を緩ませてはいなかったが、末端よりも少し戦場から遠ざかった者達は過ぎ去ろうとする危機にほんの少し緊張の糸を緩ませていた。
 勝敗は決したも同然。黒の騎士団はもう終わりだ。後はゼロさえ捕まえればこの地も矯正エリアへと下げられるだろう。あと少しでこの戦いも終わる。シュナイゼルの軍さえくれば――――

『……ん?』
「どうした?」
『いえ、何かがレーダーに……』
『何かがもの凄い速さでこちらに向かっています』
「なに?」
『っ!? おい、おかしいぞ! 何だコイツは!?』
『2時方向3キロメートル先に高エネルギー反応です!』
『ゲインが50倍以上計測されています!!』
『っ、何だアレはっ!!』

 一人の兵が叫んだと同時に、他の隊からの通信が叫び声で埋まった。慌ててファクトスフィアで周りを探りつつその場から離れるも、見えたものはない。回線からは兵の悲鳴や怒号が聞こえていたが、直ぐにロストしていった。他のサザーランドから脱出ポッドが後部から排出されていくのを半ば呆然と見る。何だ、これは。
 聞こえてくる情報は迷走しているのか。アンカーはおかしなところから伸びる。地面から。崩れ落ちた建物の内部から。通常のナイトメアではそんな動きは出来ない。スラッシュハーケンのようなものだが、そのワイヤーは幾つも伸びてブリタニアの兵を沈めていく。聞こえてくる言葉はどれもが信じられぬものばかりであった。
 十機以上のナイトメアが数分でロストという状況に兵士達は戦慄する。そんな馬鹿な。
 こんな動きをするのは現時点で特派のランスロットぐらいしか無い。機動力がケタ違いだと姿を見ずとも感じられる。騎士団側にこんな機体が存在していたという情報も無い。漸くこの状態に気がついたのか、隊が集まりだす。上からの命令が下され、サザーランド数機が高エネルギー反応がある場所に向かった。しかし。

『何だこの化け物は!』
『散弾の包囲射撃を回避されました!』
『馬鹿な!! こんな機動力は……っ!!』
『うわぁぁぁっっ!!』

『第4小隊、第6小隊全ロスト!』
「っ、我らも続くぞ!」
「イエス・マイロード!」

 レーダーに計測されていた小隊が、味方のナイトメアが次々とロストしていく。何が起きたというのだ。もう直ぐ終わりがつくはずのこの状況下で、イレギュラーが起こっている。それは、一体――――

『敵影確認!』
『何だあの機体は!?』

 彼らは見た。
 それは赤と黒の異形の形をもったナイトメアフレームと思われる機体であった。
 瓦礫と化した建築物の上に立ち、こちらを見下ろすその姿は背後に暗澹たる闇を背負う。もう陽は昇り始めているもその光は未だ届かぬ場所に立つそれはぞっとするような空気を纏っていた。

「っ、包囲するぞ! 散開しろ!」

 こんなナイトメアは見たことが無い。
 覚えた畏怖と恐怖をかなぐり捨て、一斉にそれを包囲すると散弾を放った。しかし、いとも軽がるとその全ての銃弾を機体は避ける。それどころかこちらに攻撃してくる余裕さえ垣間見れるのだ。
 有り得ない。そんな機動力はナイトメアといえど有り得ないのだ。それこそ、あの第七世代でもない限り。
 しかし避けた機体はこちらに向かってくると腕のみで数体のサザーランドを凪ぎ払った。形状が通常の手の形でないことに今気付く。ライフルを向けるもそれが撃つ出される前に無力化される。何だ、

「何なんだこの機体はっ!!」

 悲鳴のような絶叫をあげた瞬間、襲った衝撃に機体が揺れる。

 数分後、その場には動ける機体は存在していなかった。
 そして終わるはずだった戦場は再び激化したかと思えば、ギルフォードの率いていた親衛隊・グラストンナイツなどの戦力を残し、戦場に出ていたほぼ全てのナイトメアフレームがロストした。
 後に報告されるその機体について、兵士達は口を揃えて言う。

「あれは悪夢のような機体である」と――――













 遠ざかった機体が次々と撃破していく様子がモニターで伺える。
 形状からして普通ではない。そもそもアレはどこから出現したのだ。それを傍らのC.C.に問えば返されたのは肩を竦めながらの一言だけであった。

「私にもアレはわからん」
「はぁ!? じゃあ、あんなワケ解んないものにナナリーを乗せてるの!?」
「あれを一番よく知るのは、アレに乗っているナナリーだろう。心配は無い。第一、操作技術ならば潜在的な能力はコーネリアよりも上かもしれんからな」
「でも、ナナリーは目が……っ!」
「あの動きを見てそう言えるか?」
「…………」
「ともかく、ナナリーとあの機体については後回しだ。今はこの場から騎士団を離脱させるのが先だろう。でなければ、ナナリーが囮になった意味がない」
「っ、解ってるわよ!」

 気がかりではあるものの、確かに重要なことが先にある。次々とロストしていくブリタニアの機体から目を逸らしカレンは騎士団員の救助に向かった。
 ブリタニア側の戦力はみるみるうちに減り、無事に四聖剣やディートハルト、神楽耶達を助け出すことが出来た。租界から跡を残さぬように騎士団は退く。それは一見敗者のようであったが、皆知っていた。これは勝つための逃走であると。そして真実それは布石であったのだ。
 これから始まる、白き魔女率いる戦いの。

 騎士団の幹部はゼロの不在に視線を険しくしていた。特に四聖剣の朝比奈や千葉は憤怒の態である。今は藤堂が諌めているから静かではあるものの、一度口を開けば暫く怒号は止むまい。
 怪我を負った扇もどうにか持ち直し、今は医療班が治療中であった。しかし、あの時のゼロの言葉に南は未だ憤りを隠せない。その憤りは唯一ゼロの元に向かったカレンへと向けられた。

「説明してくれカレン。ゼロは何処にいるんだ。そして、何故彼は俺たちを見捨てたんだ!」
「その……何て言えば、いいのか……」
「ゼロはいない。捕まったよ、裏切りの騎士殿にな」
「C.C.!」
「捕まったって……ブリタニアにか!?」
「そんな……っ!!」

 さらりと述べたC.C.にカレンは眉根を寄せ舌打ちをする。しかしそんなことは気にせずに、動揺する幹部達にC.C.は冷めた目を向けた。
 全く、統率者がいないとこんなに簡単に瓦解するのは問題ではないか、と一人溜息をつく。ゼロのワンマン政治で動いていたのだから仕方がないが、それにしたって酷すぎる。もはや呆れることしか出来ない。
 そんなC.C.の様子を見て、カレンが睨みながらどうするか問いかけようとすると、不意に静かな声がその場に響いた。

「正しくは、奪われたというのが正解でしょうか。または攫われた。恐らくそのうちに死亡したと発表が出されるでしょう。本当に死んでいることは有り得ませんけれど」

 その場の全員が柔らかな声に驚きながら聞こえてきた方へ目をやった。
 視線が向かった先に居たのは、車椅子に乗ったまだ幾分幼い顔立ちをした可愛らしい少女だった。
 椅子を押すのは黒髪のメイド服を着た女性。この場には明らかにそぐわぬ少女はしかし、堂々とした態度で近付いてくる。着ている物はピンク色の制服。それは先ほどまで占拠していたアッシュフォード学園中等部の制服であった。
 ふわふわとした長い髪の色と白い肌は彼女が日本人ではないことを示す。つまり、ブリタニア人。皆に動揺が走る中、真っ先に玉城がその少女へと食って掛かった。

「何だお前!! ブリキがどうしてここに……!」」
「やめろ玉城。ゼロが戻ってきたら殺されるぞ」
「は?」
「玉城、やめて。その子に危害は加えないで。他の皆も。絶対よ」

 C.C.の言葉に訝しげな声をあげるうちに、慌てたようにカレンが少女の傍に移動する。C.C.もまるで少女を守るかのように反対側へと立つ。突然現われた少女に皆が疑問を浮べる中、唯一藤堂だけが驚愕したように少女を見つめていた。

「……君は……」
「その声は……藤堂さんですね? お久しぶりです」
「ああ……。生きていたんだな」
「はい。藤堂さんも無事で良かったです」

 言葉を交わす二人に四聖剣が目を見開く。ずっと傍にいたはずの彼らは少女を知らない。しかしどうやら知り合いである様子の二人に朝比奈が声をあげた。

「藤堂さん、その子は……」
「ゼロの妹だ」
「……え」
「ええええええぇぇっっ!!??」

 またもやさら、と爆弾発言を落としたC.C.の言葉に団員達に衝撃が走った。
 いもうと。ゼロの。
 仮面をつけた男と目の前の少女が全く繋がらない。幾らブリタニア人であるとはいえ、その少女は愛らしい容姿をしておりなかなかの美少女だ。
 野に咲く花のように優しい空気を持ち鈴の鳴るような透き通った声で喋る彼女が、ゼロの、妹。思わず今の状況も忘れ団員達は驚愕と混乱に騒ぐしかない。

「あの仮面とこんな可愛い子が!?」
「妹!? あのゼロに!? 妹なんていたのかよ!」
「いや、ゼロが日本人じゃないことは知っていたけど……でも、これは……」
「こんな可愛い子が、あんな仮面の……」
「お前達さりげなく失礼だな」

 口々に沸く発言に呆れたようにC.C.は溜息をつく。カレンは混乱する皆に頭を抱えるものの、少し息をついて切り替えた。まぁこれは一種の毒抜きだと思えばいい。つい先ほどまで戦場にいた分、好戦的になりやすかった空気がこの混乱で和らいでいる。これからのことを話すために多少鎮めなければいけないと思っていたが、この分ならその必要は無くていいだろう。本来ならばこんな風に騒いでいる場合では決してないのだが、話し合いに余裕と理性は大切だ。そのためならば構わないだろう。
 動揺する団員を鎮めさせようとぐるりと視線を巡らせると、違う意味で酷く動揺している二人を見つけカレンは目を丸くした。藤堂が何かを悟ったように酷く沈痛そうな面持ちをし、神楽耶が呆然としたようにナナリーを見つめていた。そしてみるみるうちにその瞳が潤みだす。泣き笑いのような顔で神楽耶はゆっくりとナナリーへ近寄った。その行動に周りの者は少し静まり近付く二人を見つめる。やがて神楽耶がナナリーの前へと来ると、そっと膝を屈めて淡い微笑みを少女へと向けた。

「……久しぶりですね、ナナリー」
「その声……神楽耶さん?」
「ええ。……そう、そうだったのね……。ゼロは、やっぱりあの方だったのですね……」

 顔を伏せてナナリーの手を緩く握り、神楽耶は肩を震わせた。カレンはそんな二人の会話に瞠目する。神楽耶は日本の皇族だ。ブリタニアの一般人であるナナリーと知り合いなわけがない。しかも彼女はナナリーの兄を、すなわちルルーシュを知っていた。ランペルージ家と神楽耶にどんな接点があったというのか。
 考えてみれば藤堂とも「久しぶり」と言っていた。軍人である藤堂。皇族の神楽耶。そして、考えてみればスザクと幼馴染だったという二人。枢木スザクは最後の日本国首相の息子だ。藤堂はその師で、確か枢木家も昔はキョウト六家のひとつ――――そこまで考えて、カレンは嫌な予感を感じた。
 思い出したのだ。キョウトに向かい、桐原と会った時に彼が言っていた言葉を。彼は、桐原は「ゼロ」の正体を知り、そしてカレン達に言った。彼は真実ブリタニアの敵であると。彼もまた昔のルルーシュを知っていたものということになる。
 それはとても奇妙な符号だった。並べてみると、皆日本であった頃には政治に関係していた家などの面子ばかりだ。
 どういうことだ。なぜ、唯のブリタニア人であるはずのルルーシュとナナリーが日本の中枢に位置していたものたちと交流を持っている。
 カレンは沸きあがる疑問の渦に思わず身震いをする。その疑問は閉ざされたパンドラの箱のように感じられた。一度開けてしまえば、恐らくそこから飛び出すのは決して良いものではないだろうからだ。開けてはならぬ、箱。だけれども、開けなければまた真実から目を背けることになるということも、カレンには解っていた。
 しかし、カレンがその蓋を開けるよりも先に低い声が彼女の言葉を遮った。

「ちょっと待ってください。ゼロは捕まったと言いましたね。ですが、公式で死亡を発表されても本当に死んでいるということはあり得ないとは、どういう意味でしょうか?」

 訝しげな言葉を発したのはディートハルトだった。彼はゼロの妹、という単語に気を取られつつもそちらのほうが気にかかっていたらしい。端末を広げて何か作業をしつつ彼は真っ直ぐにナナリーを見つめながら、眉を寄せた。

「そもそも、裏切りの騎士とは誰のことですか。そして攫われたとも付け加えた理由は」
「……兄を、ゼロを連れ去ったのは枢木スザクです」
「何だって……!?」

 途端に静まり返っていた団員達がまた騒ぎ始めた。当然だ。枢木スザクはユーフェミア皇女の筆頭騎士。その彼が主の仇であるゼロを殺さぬ保障など無い。むしろ、最早殺されていると思ったほうがいいはずだ。
 しかしそんな団員達の動揺など意に介した様子もなく、ナナリーはそっと小さなため息をついた。

「……殺されるなんてこと、あり得ません。スザクさんと第二皇子シュナイゼルが兄を殺すことはどんなことがあっても起こり得ないことなんです。あの二人が“ゼロ”を殺したとしても、お兄様を殺せるはずが無いんですから」
「……どういうこと?」

 眉根を寄せて不快そうな表情を浮かべるナナリーにカレンは問いかける。ここで何故シュナイゼルの名前まで出てくるのかが全く解らない。するとナナリーは少しだけ逡巡し――毅然とした態度で顔を上げて語り始めた。

「シュナイゼル皇子は幼い頃から兄に目をかけていました。度々私達のもとを訪れ、または招き、兄とチェスを討つことに興じていたことを覚えています。シュナイゼル皇子は兄に少なからず心を許し、兄も多少は気を許していました。……けれどシュナイゼル皇子の中では、お兄様は本当に特別なお気に入りだったはずです。幼かった私でも、シュナイゼル皇子の執着は薄ら寒い気持ちになった覚えがあります。もし、それが今でもそうならば――いえ、そうでしょうけれども、シュナイゼル皇子はお兄様を自分の傍に置きたがるでしょう。鳥籠の中に閉じ込めて、逃がさないように厳重に鍵をかけてしまいこむはずです。
 そして、枢木スザクもまた同じ。彼は、スザクさんは――お兄様を愛していますから。穢れの無い光の象徴として。まるで女神や聖母のように、美しく清らかなものとして勝手に崇めたてていましたから。……だからこそスザクさんはお兄様を離さない。“ゼロ”という自分の中で決めたルールにそぐわぬ穢れたものを排除して、歪んだ愛でもってこの世の何にも染まらぬように閉じ込めるでしょう。だから彼らはお兄様を殺すことなんて出来ません」
「……ちょっと待って、ナナリー。あなた達、シュナイゼルと面識があるの?」
「……ええ。言ってしまえばクロヴィス殿下や、コーネリア殿下、そしてユーフェミア殿下とも」

 カレンの中で、漠然とした不安が形を成していく。
 キョウト六家、日本軍、ブリタニア皇族。
 連なる名前に暗示される彼らの背景は、黒の騎士団という組織を根本からひっくり返してもおかしくない。
 カラカラに口内が乾いていくような気がする中で、カレンは震える声で問いかけた。



「……あなたは、誰なのナナリー」



 その言葉にナナリーは一瞬唇を引き結び、そして凛とした声でパンドラの蓋を開けた。



「私の名前はナナリー・ヴィ・ブリタニア――七年前、ブリタニアから日本へと捨て駒として送られた皇位継承権87位ブリタニア皇女です」










“真に白き皇(おう)は真逆の黒より生まれいずる”