愛すべき日々の中で。




「うーんとここを……」
「………………アリス」
「……で? あ、ここをこうすりゃいいのか」
「………………………………アリスー」
「そしたら…………」
「……………………………アリスアリスアリス…………」
「…………で…………」
「アリスー、アリスアリスアリスアリス…………」
「………………だーっ!! うるせぇ静かにしてろバカ猫!!」
「ぐはっ!!」

 後ろでごろごろ転がりながらこちらを伺っていたのは知っていた。
 だからと言ってその視線を無視できるわけもなく。(視線がイタイ)
 イライラしつつも放って置けばかけられる声。
 全く、猫が単独行動を好むなんて誰が言い出したんだ。
 少なくともうちの猫は単独行動の欠片も見当たらないと、声を大にして主張したい。
 …………いや、そもそも厳密に言えば猫に分類してもいいかは疑問だが。(爆)

 そりゃあ前は単独行動もしていた。
 けれど今は毎日毎日べったりだ。
 首だけの時から学校に着いていこうと、ちゃっかり鞄の中に入っていることは日常茶飯事だったし、今は体が戻って(生えて?)きたおかげでわざわざ普通の猫の姿までとりやがる。
 行きも帰りも猫と一緒。
 猫に言わせれば「アリスは一人じゃ危険だからね」とのたまいやがる。
 ………………なんか過保護になってないか、お前。
 その言葉に返ってくるのはため息。まるで「やれやれ」とでも言いたげな。

 …………畜生、また女王でも呼び出して首だけにしてやろうか。(冗談半分本気半分)


 まぁ、そんなわけでチェシャ猫との生活は概ね上手く行っている。

 …………行っている、のだが。



「…………新一」

 ぎゅっ


「ぎゃっ?!」
「ねー構ってよー。俺凄いヒマー」
「お、おまっ、いきなり人型になるんじゃねぇっ!!」
「だってアリス……じゃない新一が構ってくれないんだもん」

 そう言いながら後ろから猫はぎゅむっ!と更に抱きしめてくる。
 すりすりと寄せられるのは柔らかい猫っ毛。
 体に回るのは見た目はそうでもないが、実はちゃんと筋肉のついた逞しい男の腕だ。

「ねー新一、構ってよ。でないと…………」




 “食べちゃう”よ?




 そう少し低いトーンの艶めいた声が耳に吹き込まれた。



「!! そ、それやめろって言ってるだろがーー!!!」
「可愛い新一〜v耳弱いもんね」
「うっせぇ!!」


 慌てて耳を押さえて振り返ってみれば、にっこりと嬉しそうに笑う猫の顔。
それはフードを被った『チェシャ猫』の姿ではなく一人の青年の姿だ。
 見た目は普通の青年だ。
 俺をもう少し男らしくして体格もがっしりすればすればこんな感じになるだろう。…………言ってて物凄く虚しいが。

 ある日猫はいきなりその姿をとるようになった。
 自分と同じような『人間』の姿。フードではなく、カッターシャツに黒いスラックス。
 どこからどう見ても普通の人間だ。

 唯一つを除けば。


「大人しく構ってくれれば何もしないよ?」
「バーロー!! お前みたいなイロモノコスプレ野郎に邪魔される謂れはねーーーっっ!!!」


 そう、猫の頭と下半身には。



 ………………ふさふさの毛で覆われた、耳と尻尾がくっついている。
 しかも神経がちゃんと通っていたり、する。(踏んだら涙目になって痛がってた)


「イロモノコスプレって……だって俺一応猫だし」
「どうせ変化すんなら完璧にしろよ……」
「だってそしたら猫じゃないみたいだしー。やっぱ猫の尊厳として猫耳と尻尾は重要必須アイテムじゃん?」
「そんな尊厳捨てちまえ…………!!」
「アリスひどーい…………」
「化け猫変化に言われても痛くも痒くもないな」


 しくしくと泣きまねをする猫を放り、机に戻ることにする。
 全く。唯でさえ試験が迫っているのだから邪魔されたくないのに…………。

 と、椅子を元の位置に戻そうとした瞬間。



「だーめ」
「?!」
「折角この姿になったんだから……」



 少し遊ばせて、ね?



「…………っ!! ふ、ふざけんなっ!!」
「ふざけてなんてないよー」
「俺は試験勉強してるって言っただろ?!」
「新一の頭なら少しくらい勉強しなくたって大丈夫でしょ? それに…………」


 体をひょい、と持ち上げられてどさりとベッドに落とされる。
 慌てて体を起こそうとすればぎしりとベッドが鳴って、覆いかぶさってくる体。
 にんまり、といつもの――――けれど、どこか悪戯めいた―――笑みが見えた。



「俺言ったデショ?」






 “食べちゃうよ”って。




 脳裏に浮かぶのは、四面楚歌・絶対絶命・八方塞りなどの言葉。





「いただきマースVv」
「このばかいと――――――っっ!!!!」




 テレビを見ながら適当につけた名前を叫んだら、後は塞がれワケ解らない世界へと。










 結局次の日は起きれずに、おっちゃんがしきりに心配しているのを見ながら猫を蹴飛ばした。



 過保護で気まぐれで、構わないと直ぐに拗ねて、終いには“食べる”と言って人を襲うばか猫。
 人の迷惑を考えないで、気ままに暮らす憎らしいヤツ。


 …………でも、それでも。
 何だかんだいって今の日常が幸せなのは。






 猫には、ナイショ。




“悔しいほどに、君が、”