「はー……」

 やけに重く、暗いため息が吐き出される。
 現在時間、午後八時。
 恋人が一本の電話で出かけてから……約十時間経過となった。

 大型連休の初日。二人とも抱えている事件もオシゴトもなく、それに快斗は浮かれていた。そして今日も今日とて朝から恋人とのあまーい時間を過ごすべく奮闘していたのだが。そんな快斗の計画は、午前中にかかってきた電話でぷっつりと消滅した。
 小物だったらともかく、切羽詰ったような高木の声に仕方なく恋人を泣く泣く送り出して。一通りの家事を済ませたあとは今度の“お仕事”に必要な準備やマジシャンとしての練習に明け暮れていたのだが。

「幾らなんでも遅すぎるって――……」

 ソファーに寝そべってしくしくとクッションに泣きついた。
 一日、ヘタをしたら二日帰って来ない場合もあるのだから遅すぎなわけではない。けれど、ここ最近はお互い忙しくて擦れ違うように過ごしていた反動がイマサラになってきてしまっていて。
 休みの間は傍にいられるはずだったのに一日目からそれを壊されたせいで、一人でこの大きな家にいるのがいやに寂しく感じてきてしまったのだ。
 顔を上げてちらとダイニングを見やれば、並べられている二人分の食事。

 恋人には――新一には何時帰ってくるか解らないから、先に食べていろと言われているのだけれど。
 何となく、一人で食べるのがイヤでこうして待ってしまっている。心がダウン気味のせいか食欲も無いし、普段から怪盗なぞやっているので少々食べないくらいは慣れているし。
 再度ため息をつきながらごろり、と仰向けになって天井を見上げた。
「……今日、帰ってくるかなー」
 今頃、きっと新一は快斗のことなど頭の片隅に追いやって謎へとのめり込んでいるのだろう。
 そう考えると一抹の寂しさが胸に去来するものの、それを厭う気にはなれない。
 快斗は『探偵』な新一も『恋人』の新一も愛しているから。

 全てを見透かすと言われているあの蒼い瞳の鋭さも。
 素直じゃないけれど優しい光が灯る蒼い瞳も。

 全部全部、彼を構成する全てが愛しくて仕方が無いのだ。

 それにきっと、彼が探偵じゃなければ自分達がこうして会うことも無かったかもしれない。
 彼が『名探偵』と呼ばれる人物であったからこそ自分達はこうして出会えたのだから。
 最も、新一が例え探偵ではなくても出会えてさえいればいずれ惹かれるような気はするのだけれども。
 でも。

「……早く、帰ってきて……」

 それでもぽつりと零れた言葉は彼の好きな“真実”で。


 新一が、探偵じゃなければこんな思いはすることはないのだろうかと考えてしまう。
 胸中でせめぎあう相反する感情を持て余す。
 しん、とした部屋に響いたその声はいやに物悲しげで余計に気が滅入った。






「…………ただいま」
「!?」


 その時、予想もしていなかった声が聞こえてきて快斗は驚きに目を見開いた。
 慌てて顔を上げて廊下に続く扉を見やれば、そこにはどこか所在無さげに立つ恋人の姿。

「しん、いち…………?」
「ったく、先食べてろって言ってるだろうが」
「あ……ごめん」

 まさかあれほど焦がれていた相手の気配に気づかぬほどに滅入っていた自分に呆然とする快斗を見て、新一は軽くため息をつく。
 ジャケットを脱ぎながら近づき、ついでにふとダイニングに視線を向け乗っていた二人分の食事に眉が潜められる。
 それに謝罪を返せば何故か困ったような表情を新一が浮かべた。

「…………」
「な、なに? 新一」
「…………ほんと、馬鹿だよな」

 何かしただろうかと戸惑う快斗をどこか呆れたような目で見つめると、近寄ってきた新一がソファに座る。そして傍らにあった快斗の後頭部に手を回すと――――勢い良く引き寄せて、胸に抱きこんだ。

「!? し、しんいちっ!?」
「ほんと、俺のことになると途端に弱くなるよなーお前」
「だ、だって……」
「……でも、俺だってな」

 手を離して顔を覗きこんでくる蒼い瞳。
 その瞳に自分が映っていることが嬉しい。むぅ、と眉を寄せて少し照れくさそうな。そんな表情が浮かべられている。
 何とも言えない顔をする新一を見つめていると、やがて唇が綻んで。そして、愛しい人の顔に優しい苦笑が浮かべられた。


「……早く、会いたかった」



 その言葉が耳に届いた瞬間、快斗は新一を自分の腕に閉じ込め体勢を入れ替えていた。
「新一……っ」
「ちょ、かい、んんっ!」
 ソファーに相手を組み敷いて唇を重ねる。急激に湧き上がってきた酷い渇望に身を任せた。乾いていた心の中に溢れ出して来る欲望と愛しさを止められない。最初こそ若干身じろいだものの、直ぐに新一の腕も背中へと回る。きゅう、と服を握る手を感じて快斗はくすりと笑みを落とす。
 重ね合わせた唇から零れる甘い声すらも封じ込めるように、快斗は求めるままに新一の体を暴いていった。





 ほんの少しの悪戯のつもりだった。

 意外とかかってしまった事件に少々罪悪感を感じつつ帰ってくれば、玄関にきたところで普段なら近づいて来る気配が無い。
 そのことに自分勝手ながらムッとして、わざと気配を消して家の中へと入った。
 どうやらリビングにいるらしい相手を驚かそうとしてそっと扉を開けて――聞こえてきた言葉に息を呑んだ。



 切なげな、まるで祈りにも似た声。

 心を鷲掴みにされるような切望を秘めた声音に心の奥がざわめいた。


 擦れ違っていて、やっと落ち着ける休日。
 それを待ち望んでいたのは何も快斗だけではなくて。
 新一だって、恋人と一緒にいられるその時を待ち望んでいた。

 それでも、新一は『探偵』で。  そこに謎があるならば、解かずにはいられない。

 待たせてしまうことに罪悪感は感じるのだけれど、そこは快斗にも言えることなので口には出さないが。
 けれど、今はもうその役目を終えて帰ってきた新一が、溢れ出した想いを隠す必要も無いのだ。
 ならば望みどおりに恋人との甘いひと時に酔いしれたい。


 しっかりとどこか縋るように回された腕と、何もかもを奪うような口付けに。
 ちょっと悪戯っぽく、でも隠し切れない愛おしさを瞳に湛えて。新一は愛おしさに満ちた小さな笑みを浮かべたのであった。




“どちらも『真実』で切り離せない、愛おしい感情”