躊躇い無く危険に身を投げ出して、持ち得る力の最大限で戦って。 一体その、小さな体の何処にそんな力があるというのか。 無鉄砲で危なっかしくて。全く目が離せない。 Red crossing 「……名探偵?」 「……よ、元気か?」 「え、ええ……まぁお陰様で元気ですが……どうしたんですか?」 「何がだよ」 「いえ……何でそんなにボロボロになってらっしゃるのかなぁ、と」 久しぶりに会った小さな姿の名探偵は、酷くズタボロだった。 彼の服のそこかしこは破れまたは焦げており、そこから露になった肌には切り傷擦り傷、果てには銃弾が掠めたような痕まである。ハーフパンツから伸びた足には青痣も見え、幼い姿と相まって殊更痛々しく見えた。実際かなり痛いであろうことは容易に想像できる。 それでも蒼い瞳の輝きは失せておらず、唇に浮かべるのは彼らしい不敵な笑み。 『ただのコドモ』には似つかわしくないその表情も、彼が浮かべるのならば違和感は無かった。 ――――本当に? ちらりと掠めた疑問にキッドはそっと彼の様子を伺う。 普段ならばその強さに驚嘆こそすれど、過度な心配はかけない。けれど、どうしても今日はその笑みが……まるでガラス細工のように、脆く見えた。 「気にすんな。ちょっとした負傷だ」 「いえ全然『ちょっと』じゃないでしょう、その怪我は」 けろりと言い放つそれにため息をついて足を踏み出すとズザザッ! と音を立てて逃げられた。座ったまま器用に後退った彼に目を眇める。……いつもの彼ならば平気で攻撃してくるというのに。それも容赦なくえげつなく。 言葉の応酬だって常よりも味気ない。それは彼が、自分に対してピリピリと警戒心を向けているからだ。楽しむものではない、むしろこの場から排除したがっているような、そんな空気。気が付かない筈が無い。でも、気がついて空気を読むような真似をすることは、今は出来ない。そこには、このまま彼を一人にすることを良しとしない自分がいた。 足を一歩踏み出して、そこで足を止めた自分を彼はただ黙って見つめている。煤汚れたレンズの向こう側から見つめてくる瞳は、ここから去れと強く訴えていた。 確かに――今日ここで会ったのは全くの偶然だ。数週間後に予定している犯行の下見、その帰りにふと降り立ったビル。そこで羽を畳もうとして、物陰から漂う血臭に気がついたのだから。 彼にとって自分はイレギュラーだったに違いない。見つけた瞬間、瞳に過ぎった動揺は珍しかった。 だからこそ、彼を放っては置けない。 「……名探偵。何故逃げるんです?」 「じゃあオメーはどうして近寄ってくんだよ」 「名探偵が逃げるから」 あなたが逃げなければ追いませんよ、と言えば彼は不可解そうな顔でこちらを見やった。何で、どうして、と言いたげな瞳に苦笑しつつ、止めていた足を動かして素早く距離を詰めた。 「っ!」 「――捕まえた」 いつもと立場が違うのは気にしないことにする。 そうして少し警戒しながらも、その小さな体を抱き上げた。途端、腕の中でもがく体を強く抱きしめると小さな呻きが上がる。それに少し眉を潜めながら力を緩めて、それでも逃げられないように拘束したまま彼の体を調べて――サッと顔色を変えた。 「名探偵……」 「……少し、掠めただけだ」 不承不承呟いたその声には僅かな苛立ち。隠れていても解るほどの血臭だというのに、隠し通せると思っていたのか。 不自然に胸より高く上げられていた左腕には、血染めの包帯が巻かれていた。 「……何、してたの」 声が低くなるのが抑えられなかった。 これほどの怪我を彼が負う。その相手は。 まさか、彼は。 「……組織の人間と、ちょっとな。姿は見せてねぇよ、ニアミスしただけだ」 「! それ、まさか一人で……!?」 「? 一人以外、誰がいるんだよ」 「………………」 呆れて声も出ない、とはこのことだ。 「あのさぁ名探偵。幾ら名探偵が確かに凄い名探偵でも、あの組織に一人で向かっていくのは……」 「うっせーな、仕方ねぇだろ? たまたまだったんだし、灰原呼ぶわけにもいかねーだろ。大阪の服部や警察はアテに出来ないし……それにお前よりは楽だろ、きっと」 「……え?」 躊躇うように付け足されたそれに目を見開いた。驚いた自分に、彼は少しばつが悪そうな顔をして。 「……探してるんだろ、なんか。あと、一人で戦ってんじゃねぇか。……怖そうなオッサンとか、に」 ――――知ってるの? 知る筈がないと思っていた。知る必要も無いと。理由なんて意味なんて、そんなもの気がつかなくていいと思っていたのに。 ましてやそれを知った上で気にかけてくれていたなんて――そんなこと想像すらしていなかった。 「……さすがは名探偵。全部お見通しってワケか??」 「ばーろ、そんなんじゃねぇよ」 少し戯けたように言えば返ってきた声にえ、と首を傾げる。すると彼はちらりと自分を見て、そして視線を少し背けた。 「解ってるのはお前が『何か』を探してるらしいってことと、その『何か』を『誰か』が欲しがっていて、同じように『何か』を探しているお前を狙ってること。それから……お前が、ただの愉快犯なんかじゃねぇってこと」 「!」 「それぐらいは……解ってる」 そう言いながら「やっぱそっちの口調のほうがいーな」なんて笑う彼を呆然と見つめた。 全然『それぐらい』じゃないんだよ、名探偵。 遠くから見ている君がそれに気がつけることがどんなに凄いことか、名探偵は知らないんだ。 胸の奥、喉から熱いものが込み上げてくる。呆れているのか、嘆いているのかそれとも悔しさ? 怒り? 痛み? その、どれでもなくて。 これは歓喜と衝動。 たった一人『真実』を求める彼が理解してくれたこと。 ……黙って、見守ってくれてたんだね? 最近現場に訪れなくなったのはそれがあったからだって、自惚れていいのかな。 でも今は、 「……とりあえずこっちが先だよね」 「は? って、テメェ何してやがる!」 「あー、片手だけでやったんじゃ緩いよなやっぱ。大人しくしてなね、名探偵」 探偵の腕からシュル、と包帯を巻き取ると現れたのは適当に巻きつけてあるテープと赤黒く血に染まった脱脂綿。薬は付けられているようだけれども、これでは意味が無いだろう。コンクリートの屋上に座り込んで胡坐の上に探偵を乗せる。懐から応急セットを取り出すと、脱脂綿を取り除いて傷口を検分した。 「痛いだろうけど我慢して」 常備してある殺菌シートと止血帯で腕を圧迫しながら処置を行う。彼の傍にいる科学者には敵わないだろうけれど、これぐらいなら自分も良くやっていることだから手早く済ませられた。すると探偵は痛みに顔を顰めるどころか、感心したように目を瞬かせて自分を見やった。 「……手慣れてんな」 「まぁねー、何せ自分でも良くやってるし」 「仲間が一人いるんじゃなかったか?」 「うん、いるけど……あんまり心配かけたくないんだよね。本当に、大事にしてくれてるから」 「……なんか解るな、それ」 その言葉を聞いて少し笑った。 彼の周りにも自分の周りにも人はたくさんいる。助けを求めれば手を差し伸べてくれる人も必ずいる。 けれどこんな風に気兼ねなく安心できるのは、もしかしたら彼だけかもしれない。 周りを信頼してないわけじゃない、もちろん嫌いなわけでもない。 だけどきっと、同じ視点で世界が見られるのは彼だけだ。 「……あ……悪い、血ィ付いちまったな」 「え? ああ、これくらいヘーキだよ」 突然すまなそうに声のトーンを落とす彼の視線を辿ると、白いスーツに小さな血の染みが付いていた。袖口より少し下に赤が見える。一点だけ、白の中に映える赤。 それを見やりしゅんとした表情になる探偵にクスリと笑って、少しずつ黒く変色していくそれに片手を添えた。 「?」 「そんな顔をされていては折角の可愛らしい顔が台無しですよ、名探偵? まぁ私個人としてはその顔もなかなか好みですが」 「ば、何言って」 「one、two、three!!」 指を三、二、一と減らしてパチンと鳴らした。ポンッと軽い音と煙の中現れたのは真紅の薔薇が一輪。 瞬く間に現れたそれに探偵の目が丸くなった。 「どうぞ」 「え? ……おう?」 袖口に付いた赤い染みは消え去り、真紅の薔薇へと変わる。 反射的に受け取った薔薇をまじまじと見やりためつ眇めつ観察するが、タネが解らなかったのだろう。むすくれた表情になった彼に苦笑した。 「どうやったのか、解らない?」 「……ちくしょー」 「マジシャンがそう簡単にタネ見破られたら困るんだけど」 「だってあれ、俺の血だろ? そう簡単に……」 そう言いながら袖口へ躊躇い無く手を伸ばしてくる彼に慌てる。痕跡を確かめる彼が袖口から中へ指を差し込もうとするのをやんわりと押し留めた。 暫くして、諦めたように手を離した探偵はジトリとした目でこちらを睨む。その目が雄弁に物語る感情に苦笑しながら、そっと形のいい頭を撫でた。 「いいじゃん無理に探さなくても。大人しく夢見ててよ。……答えや批評なんて、いらないからさ」 そう、出来るのならばならこんな無茶はしないで。 鉄砲どころかロケットランチャー並みの威力で君は突っ込んでいくけれど、その生き方にハラハラさせられっぱなしなんだよ。 お願いだから無茶はしないで。こんな夢くらい、騙されていてよ。嘘だっていいから。 俺の秘密まで抱え込んだりしなくて、いいよ。 「……なぁ」 「うん?」 「俺は、今でもお前の言う『批評家』のままか?」 「……え?」 不意に低くなった声に虚を突かれた。 見下ろせば、顔を上げた探偵の顔はこちらがびっくりする程、今にも泣きそうに歪んでいた。 問われたその言葉は昔、自分が彼に言った言葉だ。 まだ彼を、『名探偵』を知らなかった自分が語った『探偵』への考え。 今思えばあれは傲慢だったとも思う。自分が知っている探偵といえばクラスメイトの男くらいなもので、探偵という生き物をまだそこまで知らなかった。彼と出会い彼を知り、その類稀なる思考に敬意を表して『名探偵』と呼び出した。だからそんなこと、とっくのとうに忘れ去られていると思ったのに。 その言葉がまだ、彼の中に残っていたことに驚いた。 「……あの言葉、まだ覚えてたの?」 「あれほどムカついた台詞は久しぶりだったからな。一語一句、空で言えるくらい覚えてるぜ?」 「あー……出来れば忘れてくれると嬉しいんだけど」 「え、」 「え?」 思い出すだけで恥ずかしい。あの言葉は驕っていた自分を思い出させる。今はもうそんなこと思ってないのだから。 けれど名探偵はその言葉に傷ついたような顔をした。 そのまま俯いてしまった小さな体に焦る。何でそんな顔をしたのか解らなくてうろたえていると、少し震えた微かな声が届く。 「……どうでも、いいのかよ」 「名探偵?」 「……っ、俺のことなんて、どうでもいいのかよ!? 眼中にもねぇってことか!? ああ!?」 「はっ!?」 顔を上げて怒鳴りだした彼に目を仰天して白黒させた。どうでもいいなんて、そんなことあるわけないのに! 「ちょっと待って、名探偵何言って……」 「だってそうだろ!?」 彼は言い募る。怒りに顔を染めて、けれどその瞳は傷ついた光を宿して。 「あの台詞は俺の中でも上位に食い込む挑発だった! だから、ぜってぇテメェが言うような『探偵』になんかなってやるもんかって、ずっと、そう思ってて……そろそろ変わったんじゃねぇかって思ってれば『忘れろ』だと!? ふざけんな!!」 掴みかかって珍しく激昂したように怒鳴り続ける探偵を見て、人が来なければいいだなんて間の抜けたことを考えた。 キラキラ輝く蒼い瞳は美しい。怒りと哀しみに光るそれは、どんな宝石よりも。 ポーカーフェイスはとっくのとうに剥がれ落ちている。 「俺は! ぜってぇ忘れたりしないからな! あの言葉もお前のしてることも、お前自身のことも!!」 「っ、」 「もうあの言葉は俺の一部だ! 返してやんかやらねぇ、って、うわっ!?」 まるで意地を張る子供のような言い方だけれど、それは。自分を詰るものでも責めるものでもない。ただただ忘れない、と。自分の言葉を取り込んで奮起して、そして今では『俺』自身を認めてくれる、だって? 嬉しくてたまらなくなって。 思わず手を伸ばして小さな体を抱きしめた。 「……優しすぎるよ、めーたんてー……」 知っていてくれただけでも嬉しいのに。それを認めて受け入れてくれるから。 ……甘えさせてくれるんでしょう? きっと君は無意識なのだろうけれど。 「おい離せ!」 じたばたもがく体は本当に小さくて。このままどこかへ保管してしまいたくなる。 でもこの探偵がそう簡単に大人しくしてくれるわけないから、そんなことはただの夢想だ。 だから、せめて。 「……ね、名探偵。お願いがあるんだけど」 「あぁ?」 「オトモダチにならない?」 「………………は?」 もっと一緒にいたいと思うんだけど、いかがでしょう?
“君を心配する、資格をくれませんか” |