――――彼が少しでも、自分のことを覚えていてくれればいいな、なんて思ってた。


「……い……おいっ!」
「…………え……?」

 暗く深い、意識の底に響いてくる声にやけに重たい瞼を開いた。
 うっすらと霞がかった視界の中に人影が見える。
 ああ、逃げなければと思っても出血が多かった体は動いてくれない。そんな風にぼんやりと死を覚悟していたら、勢いよく頬をはたかれた。
「いった……!」
「このバカ野郎! 人がせっかく意識取り戻させようとしてんのに寝ようとすんなっ!」
 そこでやっと相手が誰だか解り、強張っていた体の力を抜いた。相手は重傷だっていうのによく叩けるなぁ、と場にそぐわないことを考える。この人らしいといえばらしいのだけれども。
 それともこれは夢だろうか。
 会いたい会いたいと思っていたから、神様が最後に見せてくれたご褒美?もしそうならば感謝しなければなるまい。神様なんてそんなに信じてこなかったけれど、これが夢ならば覚めなければいいと思う。
「……ったく。お前変なこと考えてるだろ。いいか、夢じゃねえぞ。現実だからな。直ぐに治療してくれるやつのとこ連れてってやっから踏ん張りやがれ」
「――――え」
 都合のいい幻にしては怒気を孕みすぎた声に、閉じかけていた瞼をぱちりと開いた。
 力を失った体に腕が回される。肩にしっかりと腕を回されて自分一人では動かない体が引き摺られ始めた。直ぐ傍にある温もりは確かに現実で、だからこそ一層混乱してしまう。
「なん、で……」
 相容れるはずがない関係。
 交わることないはずの道が今、触れあっている。
 自分に相手を助ける理由はあっても相手に自分を助ける理由はないはずなのに。
「るっせえな、黙ってろ。お前重いんだよ……っ! 筋肉ありそうだなとは思ってたけどっ!」
 そう言いながらも決して乱暴にはならない引き摺り方に心が震える。冷えたはずの体が温もりを取り戻す。本当に、夢なら覚めないでほしい。こんな、優しい、

「人が、人を助けるのに、理由なんているかよ……っ!!」

 投げつけられる言葉は荒々しい。でもそれに隠れている強さと優しさを知っている。
 周りの人を助けようと走って走って、巻き込まれて。優しい人。
 いつしか、その強さと優しさに憧れていた。
「だいったい! 俺はお前にまだ借りがあんだからな! 勝手に死なせねぇぞ! 死んでも生きろ!」
「死んだ、ら、生きられませんよ……」
「揚げ足とんな!」
 くそっと悪態をつく声が聞こえた。ゆっくりと、だけれども確実に体が運ばれていく。暫くすると他に人がいる気配がしてきた。それでももう警戒心は起こらない。きっと待っているのは相手に負けず劣らずの優しい人。
 ああ、本当に。本当に。


「…………ありがとう」


 聞こえたはずの呟きに、知らないフリをしてくれる優しさが嬉しくて笑った。



やさしくつよい、ぼくのひかり









 失いたくないと、思ってしまった。


「ちっくしょう……」
 肩に担ぐように背負った体は思ったよりもいい体格で少し苦労した。
 年齢は同じくらいだというのに、自分よりも重くてしっかりしている。そのことに少なからず嫉妬を感じるも、そのお陰で彼が生きていることを考えれば良かったと思えるのも事実。
 ――――見つけた時はぞっとした。
 真白い鳥が赤にまみれていたことに嫌悪を覚えた。瞬間頭に昇りかけた血を、呼吸を整えることで無理やり鎮めたのは先にやることがあったからだ。報復はそれからでも十分間に合う。
 出血が酷かったのでとにかく止血をしてから隣家の主治医に連絡をした。二つ返事で返ってきた答えに小さく笑ってから意識がないらしい相手を起こしにかかる。ほどなくして目覚めた相手の様子にやはり酷そうだと改めて確認し、背負ってビルを降りた。
「……お前は、まだやることがあんだろ……?」
 ただの愉快犯じゃないことなんて、とっくに知っている。
 その白い姿がなんのためにかも、理由も。それでも手を出さずにいたのは失礼だと思ったからだ。
 戦いに手を出すのは無粋だと思ったから。でも、これぐらいしたっていいだろう。
 彼だって何度もこっちを助けてきてる。まだまだその借りは残っているのだ。返すまで死なせるつもりはさらさらなかった。
「…………ふんばれ、よ……っ」

 まだ、死なせない。
 そこに理由らしい理由なんてない。

 ただただ死なせたくないだけ。彼が消えるのが嫌なだけだ。
 不可侵領域を踏み越えて、手を伸ばす。それだけの価値はある。めったにいないライバルをこんな形で失ってたまるものか。
 勝ち逃げされるなんて、世間で通る自分の名がすたる。
 ああそうだ、まだ、足りやしないのだ。彼と自分の勝負はそう簡単に終わらないのだから。
 背負った体は静かだ。もう話す体力もないらしい。けれどそれでも、さっきまで薄れていた気配は消えることなく傍にある。

「絶対、死なせねぇからな……っ!!」


 思い出になんて、してやらない。


本当はずっと、手を伸ばす理由がほしかった