「それでは名探偵、またお会いする時までしばしお別れです。ごきげんようv」
 「………っ!! テメーなんてさっさとくたばっちまえこのアホ男―――っっ!!」




 屋上についた時に見えたのは、一瞬近づいて離れた影だった。








 【Distance】





 「……ったく……!! 毎度毎度人のことおちょくりやがって……!!」

 ぎりりっ、と隣から聞こえるおよそ彼らしくない舌打ちと歯軋りの音。
 ぶるぶる震える拳が視界の隅に映るけれど、もはや苦笑しか浮かばない。
 この姿も、もう見慣れてしまった。それだけ共にいる時間が増えたということだろうか。
 もっとも彼と現場で会う以外にいることなどほとんどないのだけれど。

 「全くなーにが怪盗紳士だ!! 紳士どころか変態じゃねーかコノえろ怪盗――っっ!!」
 「工藤君、もう少し声を落としたほうが……。一応夜中なのですし」
 「こんなビル郡で迷惑になるなら警察のサイレンのほうがよっぽど騒音公害だ」
 「まぁそれもそうですが……」

 あー腹立つ!! とげしげしと彼はフェンスを蹴りだした。
 そんなに頑丈なわけでもなさそうなフェンスを、超高校生級とまで言われる彼の足で蹴っても曲がらないところを見ると手加減はしているらしい。
 ぶつくさと文句を呟く彼を見て、もう一度くすりと笑った。

 「やってらんねぇー! 帰ろうぜ白馬」
 「えぇ、そうですね」

 くるりと並び立つ暗いビルに背を向けて、彼はすたすたと躊躇い無い足取りで歩き出す。
 真っ直ぐに、前だけを見つめる視線の先には何が見えるのだろうか。


 あの、蒼く美しい瞳には。

 慧眼と賞される眼差しには。


 ………頭の中で、誰かと重なるその姿。


 似ていると何度も思って自分の考えに苦笑するも、一度思い浮かんだ残像はなかなか消えてくれやしない。
 あり得る筈ないのに、と馬鹿な考えを一掃しようと思うのだがその度に彼が疑うしかないことをしでかしてくれるのだ。

 それは『彼』しか知らない筈のことを口走ったり。
 『彼』のよくしていた行動をしたり。

 ………かといって問い詰める気も起きないのだけれど。


 きっとそれは聞いてはいけないことで。
 まだ自分にも心の準備が出来ていない。


 もっとも、彼に関することならば何だって受け止めてみせるけれど。


 でも、今はまだ。


 「何なんだよマジで! 『月夜に照らされる貴方もまた美しい』とか『今宵の獲物も、貴方の瞳の輝きには勝てません』だとか!! あー恥ずかしいヤツ!!」
 「………報われませんね、彼も」
 「ん? 何だ何か言ったか?」
 「いいえ、何も」

 小さな声を聞き取られたものの、何とか誤魔化せたようだ。
 しかし彼の自分のことに対する鈍さにはほとほと感心してしまう。自分ですら気づいたというのに。
 あれだけストレートに言われているのに気づかないとは……少しだけ、あの怪盗に同情する。

 少しだけ、だけれど。

 だって、自分だって彼のことを――――――



 「…………今はまだ、この距離でもいいんですけど、ね。」
 「白馬ー何ぶつぶつ言ってんだよ。帰るぞー!」

 くるりと振り向いた、蒼に映る自分の姿。

 機嫌が悪そうに潜められた眉。

 拗ねたように尖らせられている唇。

 ……それなのに、少し朱に染まった頬。


 きっとそれは、ただ単純に怒りからくるものではなく。
 もっと甘やかな、もしかしたら彼自身気づいてない感情から起因するもの。
 密やかに植えつけられた、発芽を待つ小さな種。


 理由を、知っている。気づいている。


 だから同情よりも、ほんの少し羨ましい。



 自分の中の複雑な気分に苦笑混じりにため息をついて、白馬は足を踏み出した。









“いつか彼の隣に、誰かが立ちそうな予感もするけれど。”