置いていかれるのが当たり前だと思っている。
 そう言ったら彼は酷く驚いた顔を浮べた。

「……哀ちゃんさぁ、新一のこと好きだよね?」
「まぁ、そうね」
「傍にいたいと思わないの?」
「…………あなたがそれを言うの?」
 呆れたように問いかければ彼は困ったように笑う。
「や、だってさ。哀ちゃんならいいし俺。……あげることは出来ないけど、傍にいることは」
「いいのよ。……私はあなたのように何か出来るわけじゃないから、大人しく守られてるわ」

 あの人は守られるよりも守るひとで。
 小さくなってしまった時も、幼馴染の彼女を、周りの人を、皆を守っていた。自分の身も省みずに危険に立ち向かう姿はカッコイイなんて呼べない。怖くて悔しくて、自分に出来ることは少ないと痛感していたから。
 けれど今彼には世界中の誰よりも頼もしい人が居る。背中を預けて、一緒に戦える人。お互いを心配しつつも、信じて前だけを見ていける人。そんな二人だから、待っていられるようになった。もう彼を孤独の中に置くことはないのだ。
 それに、わざわざ傍にいなくたって自分が彼の傍にいることを知っている。彼の中でどんなポジションにいるかを知っている。だから辛くなんかない。彼らの幸せそうな姿を見るだけで心は温かくなるのだから。
 運命共同体。それは大きな戦いがひとつ終わりを告げても変わらない。彼の体を守ることが出来るのは自分だけだと自負している。それは本当に健康という面だけだけれども、それでもこの位置だけはどこの誰にだって代われない。

 だから見守る立場でいいのだと告げれば、彼は少しばかりため息を落とした。
「ほんと、愛されてるよね新一って……」
「あら、あなたのほうがアイシテルでしょう?」
「そういうんじゃなくって。何ていうか、信頼されてるっていうか」
「ちゃんとあなたのことも信頼してるわよ? でも、もう少し夜の生活を控えてくれれば主治医としては文句なしなんだけれど。特に定期健診の前はやめてよね。あの人痕が気になってエスケープするんだから」
「……すみません」
「解ればいいのよ」
 その時カタン、と玄関側から音が響く。ぴくんと動いた肩はまるで忠犬のようで少し笑った。
「……お前ら何してんだ?」
「あ、新一お帰りー!」
「お帰りなさい、工藤くん」

 どこにいたって構わない。離れたって心の距離は変わらない。
 そう、この距離が愛しいのだ。


「傍にいなくたって、幸せならそれでいいわ」








 何時だって、彼はヒーローだった。
 例え彼が誰かのオヒメサマになっても、それは変わらない。

「大丈夫か? 蘭」
「うん。新一こそ大丈夫? 私を庇った時に、怪我したんじゃ……」
「バーロ、これぐらいどうってこねぇよ。怪我は男の勲章だろ」

 そう言いながら埃も払わずに辺りを調べ始める彼に苦笑した。
 ここ数日の間に起きていた連続爆破事件。その犯人を捕まえるために幼馴染が奔走していたことは知っていたけれど、まさか自分と園子が遊びに来ていたファッションビルが狙われるとは思っていなかった。園子を助けるために逃げ遅れた自分を、新一が引っ張りだしてくれなかったらどうなっていたことか。いや、崩落は収まったとはいえ瓦礫に閉じ込められている状況ではどのみち安全とは言い難いのだけれども、この幼馴染が傍にいるならどうとでもなるのだろう。
 しかしよくよく爆破に縁があることだ。全くと言って嬉しくはないのだけれど、こうも何度も巻き込まれると耐性がついてしまう。
 あちこちを調べ回る彼を見て、フッと笑みが零れでた。

 ――変わってなんかいなかった。
 ずっと彼を遠くに感じていた。知らない人になってしまった、そんな気がしていた。
 戻ってきた時は遠くなってしまった彼に寂しさを感じたけれど、今はそうは思わない。彼は変わったのではなく、少し大人になったのだ。自分達よりもとても早く。感じていた寂しさはそのせいで、自分も大人になってしまえばその寂しさも理解できた。
 今はもう、あの頃抱いていた想いとは違う感情を向けることが出来る。

「……しかしどうすっかな」
「本当に、新一と一緒にいると事件ばっかね。これじゃ黒羽君も苦労するわ」
「別に俺が起こしてるわけじゃねぇぞ」
「好きで首つっこんでるでしょ、新一の場合」

 自覚はあるのか、ぐ、と言葉を詰まらせた彼に笑う。こんな状況で笑えるなんて、我ながら本当に慣れたものだ。今だって一般人なら震えているはずなのに、全く恐怖は感じない。隣にいるのが彼だというだけでここまで安堵してしまうのもどうなのだろうか。でもそれが真実なのだから仕方が無い。
 壊れた扉の前で悩む彼を見て、思う。
 幼馴染で、初恋のひとで、姉弟みたいなひと。本当に好きだったのだ。彼しか見えていなかった。でも彼は離れている間に本当の恋を見つけてしまった。悔しくなかったといえば嘘になるけれど、幸せそうな彼を見ていると言葉には出せなかった。
 だって、もう少し自分が踏み出していればこの関係は違っていたかもしれないのだ。それをしなかったのは、少しの意地と照れ。今思うと何て愚かだろうか。もっと素直になっていれば、彼は自分だけの王子様だったのに。
 でも、いいのだ。彼はヒーローだったけれど、それ以上に探偵で。隣に立てないことはもう随分前から知っていたから。置いていかれることしか出来ない自分じゃ、彼を助けることは出来ない。隣にたてるのはもう、この世に一人しかいないことを知ったから。

「……あ、なんか聞こえてきた」
「しーんーいーちー!! ここ!? ここにいるのーっ!?」
「おー。蘭も俺も無事だ。早くあ」
「新一ー!!」
「最後まで言わせろこのバ快斗! 蘭、いくぞ! 立てるか?」
「うん」

 今も、彼を愛しいと思う。
 でもこの気持ちは優しい愛に包まれたもの。慈しむような柔らかさで。
 家族みたいに、愛してる。


「傍で見させてね。幸せになるのを」








 何時からか、ずっと傍にいた男の子は一足早く男の人になってしまっていた。
 それに気づけたのは彼が現われてから。幼馴染が照れも隠しもせずに彼へと愛を叫ぶのを見てからだ。
 正直ちょっとがっかりしたのは隠せない。いつか幼馴染の傍で幸せそうに笑うのは自分だと、無条件に思っていたから。
 でもそれは間違いで、その思いはきっと恋ですらなかった。ただ一番傍にいたから好きだと思っていただけで。離れてしまって寂しかったのは恋のせいじゃなかった。初恋は確かに幼馴染かもしれないけれど、本当にそれは初恋と呼ぶには淡い気持ちだった。その証拠に、今付き合ってる人に生まれる様々な感情を幼馴染に感じたことは無かったから。

「あーもうかわいいなぁー……」
「でれでれしちゃってー。工藤くんにまた怒られるよ?」
「しかたねーだろ。新一が美人で可愛すぎるのがいけない」
「確かに工藤君は美人さんで可愛いけど、顔崩れまくってる快斗みたら幻滅するかもよー?」
「うっせーな、ほっとけよ」
「ああもうまたそういうこと言うー! 工藤くんに言いつけちゃおう!」
「あ、待て待て青子大明神様それだけは勘弁!! 新一マジで怒るんだぞ!?」
「ふーんだ。もう遅いよーっ!」

 こんなじゃれあいも、あと少しで終わる。進む道が違うのだ。離れてしまえばだんだんと会う機会も少なくなってしまうのだろう。でも、会った時は変わらず笑顔でいられることを知っている。幼馴染は、自分の前では相変わらず悪戯小僧の顔を見せて、変わらない。それはきっとこの先も永遠に同じだ。
 家族、というのが一番しっくりくる。お互い、もう男女の関係なんてなれないくらい傍にいすぎてしまった。恋愛感情だなんて最初からもってなかった。近すぎて勘違いしていただけ。だからこそ、今もこんなに傍でいられる。

「あー! 新一からお怒りメールー!!」
「へっへーん、ざまぁみなさい!」
「あーおーこー!!」
「あはははははっ!!」

 大好きなひと。
 お兄ちゃんという存在があるならば、こんな形なのだろう。
 無条件で、頼れるぐらい愛してる。


「傍にいたよ。またね!」









 振向かせてみたかった。今もそれは変わらないけれど。
 でも、永遠にその時は来ないことを知ってしまった。

「気をつけて、って言ったのにね」
「何か言ったか?」
「いいえ、何も」

 あの日告げたお告げは間違っていなかった。確かに彼は滅ぼされてしまったのだ、あの美しく輝く清廉な光に。
 その滅ぼされ方がかなり違う方向に行ってしまっただけなのだ。まさかお互いに惹かれあうだなんてこと、あの時は想像すらしていなかった。当たったのか外れたのかと言われれば、当たったのだ。彼は光の魔人に心底滅ぼされている。それは恋という名の滅び。――馬鹿馬鹿しいことこのうえない。
 最初から傍になんていなかった。そしてこれからも傍にいない。友人としての位置は貰っているだろうけれど、それ以上はなく、望みもしない。ただ、願うだけ。
 どうせなら笑って、幸せになってくれればいいと思う。悔しさはあるけれども、本当に幸せそうな彼を見ていると心の何処かが温かくなる気がするから。
 邪神ルシファーからのお告げ。誰も知らない秘密の言葉。
 私だけが手助けできる部類。
 こればかりは、あの光の魔人も何も出来ないから。
 入用になれば呼んで欲しい。助けることぐらいは私にも出来る。

「私達、損な役回りよね」
「そうかもしれないわね」
「でも、私もあなたも、私たちにしか出来ないことがあるもの」
「そうね。……全く、何処がいいのかしらあんなひと」
「本当に時々そう思うわ。……でも、どうしようもないものね」
「報われないわね、私も貴方も」
「ええ。報われないわね」

 見かけは小さな少女と交わす言葉は、切ないけれど小さな笑みがもれるもの。
 これを恋と呼ばないのなら、残された言葉はひとつだけ。
 恋してるあなたを愛しているの。


「傍にはいないわ。ただ、笑っててくれればいいのよ」