「…………何だコレ」 リビングに入ってすぐ、目の前にどどん! と置かれたものたちに口元を引きつらせた。 赤い段々に綺麗に並べられた人形。色づいた花達。香る甘い匂い。一目見ただけで高級そうなその飾り物にオイオイ……と呟いてしまっても仕方ないだろう。 そりゃ幼馴染の家や、つい最近までの小さな姿だった時にも見たことがあるからそれ自体は珍しいものではない。けれど、目の前にある『これ』は女の子の行事の物だ。そして自分の家は女の子なぞいない。というか持っていなかった筈だ。 …………こんなことをしでかすヤツは唯一人。 自分が帰ってきたことに気づいたのか、恐らく元凶だと思えるヤツが姿を現した。キッチンからエプロンをつけて出てくるその姿はまるっきり主夫のようだ。 「あ、新一お帰りーvv 今お昼作ってるからちょっと待ってねーv」 「……おいバ快斗、これは何だ」 ぱぁっと顔を輝かせて近づいてくる相手に頬に『お帰りのキス』をされる。すっかり慣らされてしまった自分がアホらしくもあり、ほんの少しこそばゆい。お返しに相手の頬にも軽くキスをすれば、まるで犬のようにじゃれついてきて腰へと腕がまわった。抱き寄せられて顔に口付けが振ってくる。 いつもならばそこでソファに移動していちゃいちゃモードに突入するのだが――――今はそれよりも先に聞かなければならないことがあった。 顔を上げて相手を軽く睨むと、新一はビッ! と傍の物を指差す。 その勢いにヤツ―――親友でもあり恋人でもある黒羽快斗はそちらに目をやり首を傾げた。 「何って……お雛様?」 「誰の」 「もちろん新一の」 「………………俺は男だぞ」 「え? でも今は女の子でしょう?」 「……………………」 肩につくほどまでではない長さの、しかし一般男子としては長めの髪。 ところどころ丸みを帯びた輪郭。 線の細くなった体。 何よりも男にあるはずのない……まだ小さいけれど、胸にある確かな膨らみ。 俺は高校生探偵工藤新一。 黒の組織なんつーヤツらをぶっ潰しやっとのことで縮んだ体から解放され元の体に戻ったのも束の間。 ある日目覚めたら女になってました、なんて ………………やっ「てられっかこんちくしょ――――っっっ!!!!」 「ちょっと新一出てる! 声に出てるから!!」 『ガールズライ、ふ?』 〜The Doll's Festival of the princess〜 「もうどうしようも無いんだからさー、諦めなよ。哀ちゃんも頑張ってたの知ってるでしょ?」 「……別に、もう納得しちゃいるけどよ……」 コレとソレとは別だ。 むぅ、とぎゅうぎゅうとクッションを抱きしめ拗ねた表情を見せる新一に快斗は苦笑した。 冬の半ばから始まった組織との戦いの最中、偶然バッティングした探偵と怪盗。 そこからお互いの追う組織に僅かな繋がりがあることを見つけ、共同戦線を張った。 前々から探偵に好意を持っていた怪盗は探偵を猛烈な勢いで口説き、怪盗ほどでは無くとも淡い気持ちを抱えていた探偵は口説かれ、戦いが終わると同時にお互いの手をしっかりと取り合い。 元々戦っている最中から無意識にいちゃいちゃしていた二人をお隣の科学者は乾いた目で見やり、しっかりと恋人同士になったのも束の間。 工藤邸に新一が戻り、快斗が通い妻となって三日目。 悲鳴を上げた新一の声に驚き、階段を駆け上がって扉を開け放った快斗の目に映ったのは呆然と自分の胸を見つめた新一の姿だった。 慌てて服を着替えさせてお隣に行き、さすがに新一の姿に目を丸くさせた哀が急いで検査をしてみた。 そして発覚したのは体の機能全てが『女性』になってしまっているということ。 どうやら解毒剤が何らかの効果をもたらしたようなのだがはっきりとは解らず、哀も必死で原因を突き止めようとしたものの、未だに解らずじまい。 しかし体は本当に女性になってしまったということを、新一はそれから二日後に来た初潮ではっきり突きつけられ……覚悟を決めた。 元々、何度も薬を飲んでいたせいで元の体に戻っても体力が落ちていたり成長しにくかったりと不安定だった体。 けれど何とか哀や快斗、両親が力を尽くし頑張ってくれたおかげで普通には生きていける。女性になってもそれは変わらないが、しかし本来の体であった時の不安定さが消滅していた。 全てに異常が無い時点で、むしろ『男』に戻ろうと無理をする方が危ない。 ならばせめて、このまま生きていける体を新一は選んだ。 『男』じゃなくて『女』の体でも、生きていける。命に別状は無い。 『男』に戻るための過程でもし何かあったら……と考えると無理やり戻ろうとすることは出来なかった。 いや、もし新一が一人だったら。両親とも隣の科学者達とも、大切で大切で、それゆえに手放して見守ることに決めた幼馴染とも違う、誰かがいなかったら。 何が何でも戻ろうとしたのかもしれない。がむしゃらに足掻いたのかもしれない。例え皆が止めても、それでも必死になって戻る方法を追い求めたのかもしれない。 けれど、新一はもう一人じゃなかった。 傍に居てくれる、かけがえのないたった一人が居た。 『戻りたいなら、止めないけど……俺は、新一に何かあったら生きていけないかも、ね……』 苦笑するように呟かれたその言葉に、どうしようも無く胸が痛んだのだ。 諦めたわけじゃない。だけれど、大切なただ一人を置いていくことも、一人で先に行ってしまうことも怖くて選べなかった。 一度だけ戦いの最中、キッドが撃たれて重体になったことがあったのを新一は鮮明に覚えている。 組織の人間に撃たれて、血塗れになった白いスーツ。苦しそうな息で、それでも不敵に笑う怪盗の姿が痛くて怖くて、喪失の恐怖に体が震えた。 重症だったものの、哀の迅速な処置で幸い命は取り留めた。傷跡は残ってしまったけれども、今ではもう快斗はぴんぴんしている。 でもその時のことを考えると怖くて怖くてたまらなくなるのだ。 あんな思いは、もうしたくない。 そして、快斗にさせたくもない。 だから、新一は『女』で生きていくことを決めた。 これからの未来を、快斗と共に生きていく為に。 とは、いいつつも。 「別にひな祭りなんてやらなくてもいいだろうが……」 「だーめ。折角新ちゃん女の子なんだから、女の子の節句は祝わないと!」 「もうそんな年でもねーし……」 「何も着物着てなんて言ってないじゃん。ただお雛様飾って、ちらし寿司とか食べよーって言ってるだけだよ?」 「つーか、その雛人形どうしたんだよ。母さんのじゃねーよな?」 「あぁこれ? 優作さん達名義で送られてきたんだよ、今日の午前中に。」 「……あのすちゃらか夫婦……っ!」 「まーまー……」 リビングからダイニングへと移動して。ダイニングに並べられた料理はどれもこれも新一の好物だし美味しそうなのは認める。 しかし、決心しつつもまだ心は『女』であることを認めていないのだ。視界に入るひな壇は確かに綺麗なのだけれど、どうしても何処かで意識が反発してしまう。 『男』である心がまだ受け付けない。 きっと快斗はそれすらも見越しているはずなのに、どうしてこんなあからさまなことをするのだろうか。いつもならば敏感に新一の感情の波を感じて避ける筈のことを、何で? 快斗の行動を不思議に思いほんの僅か首を傾げる。すると新一の前にお茶の注がれたコップを置いていた快斗がふとこちらを見やり、そして苦笑した。 「新一、何で俺がこーいうことしてるか不思議に思ってるでしょ?」 「…………ああ」 特に隠すことでも無かったのでそれには素直に頷いてみせる。そうすると快斗は少し目を瞠るように瞬かせてから、ふわりと優しい笑みを浮かべて屈みこむ。 そして新一の前髪を掻き分けて額を露わにすると、ちゅっと音をたてて口付けた。 「新一が嫌がるなら本当はしたくないし、戸惑ってるのも解ってるんだけどさ」 「…………」 「でも、俺も新一もちゃんと解らなきゃいけないから」 「何、を」 「新一が『これからずっと女の子』だってコト」 その言葉の直ぐ後に掠めるような口付けが降ってきて、新一は少し目を見開く。 言われた言葉の意味がいつもとは違うものであったことに気づいたから。 驚いたように見開かれる青い瞳に、快斗は笑みを返してそっと脇に両腕を回し抱え上げる。 そのまま驚いている新一をダイニングテーブルの上に座らせて、膝に置かれた手を優しく包み込んだ。 「怖いんでしょう?」 「…………」 「本当は、凄く凄く怖いんだよね?」 『コナン』になった時はただ小さくなっただけだった。 不便なことはたくさんあったけれど、体の構造は何も変わっていなかったから不安にはなっても、『怖い』と思うことは無かった。 けれど、今は違う。 何もかもが未知の領域で。 初潮が来たときだって、初めは血が出ているということに軽いパニックになった。 でも、知識としてはちゃんと知っていたし、哀がちゃんと教えてくれたから直ぐにおさまったのだ。 それに、彼女が心から悔いていることを知っていたから。 寝る間も惜しんで原因を突き止めようと、何とか新一を安全に戻す方法が無いかと必死になって探していたこと。 口では軽く言いつつも、その実誰よりも深く深く心配して。自分を責めていたことを新一は知っていた。 でも、唯でさえ薬のせいなのかもしれないのだから慎重にならなくてはいけなくて。 自分異常にもがき、あがいていた事を知っていたから。 だから、『女』で生きていくことを宣言した時も弱い姿を見せられなくて。 ずっと気を張っていた。 快斗にも見せたくはなかったから。 もし怖がっているところを見せたら、あの時快斗が言った言葉のせいで新一が苦しんでいるのだと悔やむかもしれなかった。 悔やんでなんて欲しくないのだ。 だってこれは自分が決めたこと。 どんな姿であっても、彼の、快斗の傍で生きていたいと、共にいたいと思ったのは自分なのだから。 ――――それでも、怖くて。 どうしようもなく、心が震えて。 怯えていた。 何がどう今までの自分と違うのだろうと、怯えていた。 決して、悟らせないようにしていた筈なのに。 目の前にある藍色は優しく、でも確かに新一の心を暴いていく。 「怖いのは、いけないことじゃないんだよ。素直に言っていいんだ。誰も新一を責めたりしない」 「でも……灰原とか、お前が……」 「そうだね、哀ちゃんは自分を責めちゃうかもしれない。優しい子だから、それは正しかったと思う」 でもね、と快斗は続けた。 「俺は、絶対悔やんだりしない」 「…………かい、と……?」 「俺は悔やまないよ。確かに、新一は怖いだろうし辛いだろうし、苦しくて悔しくてどうしようも無い気持ちを抱えてると思う」 いきなり性別が変わって戸惑わないわけがない。ましてや新一は唯でさえ自分の容姿が女性的なものだったことを気にしていたから。 「でも、それでも俺は新一が此処にいてくれることが何よりも嬉しいんだ。生きて、俺の腕の中にいてくれることが」 解毒剤だって、必ずしも安全に戻れるものでは無かったのだ。 かろうじて戻れる可能性が高いだけで、本当は命すら危うかったのだから。 だから、例えどんな姿になったとしても『新一』が生きていてくれるのなら快斗は構わなかった。 「生きていてくれるのなら、どんな姿だって俺は新一を愛してるし、幸せに思う」 小さな『コナン』だって、男だって女だって何だって。 生きていてくれるのなら。 『新一』が『新一』として生きていてくれるのなら何もいらないから。 「だから言って? 怖いことも不安なことも全部言ってよ。新一のことなら何だって受け止めるから」 ――――何かが、すとんと心に落ちた気がした。 それは酷く優しく暖かくて。 湧き上がる切なさと喜びとが混じりあっていく。 「……ほん、と、は……」 「うん」 「すっげー……こわ、く、て……」 「うん」 「俺が……俺じゃ、なくなっちまった、気が、して……」 「……うん」 「おま、え、が……いつ、か……いやがんじゃ、ねーか、って……!!」 本当に怖かったのは、快斗のこと。 好きになってくれたのは『男』の新一。 女じゃないのに、それでも好きになって愛してくれた。 じゃあ『女』になったら? もともと『男』よりも『女』の方がいいはずで。 同じ『女』だったら、もっと自分よりもいい女の子がいるのではないかと。 自分のように中途半端なヤツよりも、最初から『女』のひとがいいんじゃないのかと思って。 ずっと、怖かった――――――。 「……男とか、女とか、そんなの関係ないよ」 ふわりと、体が包み込まれる。 額が軽く重ねられて、ぼんやりと滲む視界に目を閉じて笑っている快斗が見えた。 「俺は、『新一』が好きだよ。何があったって愛してる。『男』の新一も、『女』の新一も、『探偵』の新一も全部『新一』だから」 額が離れて、背に回っていた手で快斗がそっと、何時の間にか零れていた新一の涙を拭う。 向けられるのは優しい微笑み。紡がれる言葉は一つ一つしっかりと新一の心に染み込んで行く。 「『女』だからって無理に変わろうとしなくていいよ。俺はそのままの新一が好きだから、無理に女の子らしくなろうとしなくたっていいし。……それに、さ」 ちゅっと音をたてて目元に唇が降ってくる。 宥める様に、目蓋やこめかみにも顔中に優しい口付けが降る。 しかし途中でそれが止まったのに気づき、不思議そうに新一が快斗を見やると、快斗はニッと悪戯っぽく笑ってみせた。 「もし新一がすっごく不安なら俺も女の子になったっていいし?」 「…………別に、いい……」 悪戯っぽく、でも瞳は真剣に紡がれた言葉に新一は苦笑した。 快斗の言葉は嘘では無く、きっと新一が望めば本当になってみせるだろうと思ったから。 本当に自分を一番に考えてくれている恋人へと、新一は湧き上がった嬉しさに腕を伸ばす。 そのまま自分から快斗へと、そっと唇を重ね合わせた。 「あとさ」 「?」 「俺がちゃんと自立して稼げるようになったら、『工藤新一』から『黒羽新一』に変わってね?」 「!!」 「そういう変化だったら大歓迎だからv」 「……おひな様、ちゃんと今日中に片せよ?」 「了解、お姫様」 赤くなりながらも新一が零した言葉の意味を違いなく受け取って。 快斗は幸せそうに腕の中で微笑む愛しい存在を抱きしめた。 そしてまた、恋が生まれる |