「ねぇ新一くん。このあとちょっと遊びにいかない? つもる話もあるし、新しく出来たケーキ屋さんにでも……」 「あー、悪い先約があるんだ」 「先約?」 「ああ。それはまた今度でいいか?」 「いいけど……先約って、もしかして事件絡み? 復帰早々早いわねー」 「や、違う」 「違うの? それじゃ……」 「番犬が迎えに来るんだ。検査行かなきゃいけないから、お目付け役で」 「「「…………番犬?」」」 『ガールズライ、ふ?』 〜Their circumstances〜 とりあえずはつつがなく(休み時間の度に見世物扱いだったが)学生としての一日を終えたあと、誘ってきた園子の言葉に新一はすまなそうに否を返した。その言葉に含まれたそぐわぬ単語に聞き耳をたてていた幾人かが園子と同じように首を傾げる中、新一はさっさと帰り支度を済ませると鞄をもって立ち上がった。 その後を蘭が追い、会話を交わしながら教室を出ると、廊下に群がっていた生徒達がまるでモーゼが割った海のように道を開ける。ひくり、と眉をひくつかせながらその道を新一は通るものの、刺さるような視線に耐え切れずにぼそりと呟いたのを蘭は聞いた。 「……うぜぇ……」 「仕方が無いでしょ。ただでさえ有名人なのに、そんな姿で戻ってきたんだから」 「ほっといてくれりゃいいのに……」 「無理に決まってるでしょ。この状態が二、三日もしくは一週間ぐらい続くのを覚悟しときなさい」 「うげ」 まだ複雑な心境は消えていないものの、早くもこの状況に順応し始めた蘭はばっさりと新一の言葉を切り捨てた。恐らく明日も明後日も、ヘタをしたら一週間以上続くだろう騒ぎに辟易するだろう新一の姿は簡単に想い浮かべられる。普段と変わらないやり取りに、彼女の強さと優しさを見て新一はこっそりと苦笑した。 やはり、この幼馴染には一生勝てまい。後ろからやっと我に返った園子も追いかけてきて、とりあえず昇降口に向かっているとふと校門の辺りに人だかりが出来ているのを三人は見つけた。 「何かしら、あれ」 「凄い人ね。何かしてるのかな?」 「でも、こんなとこで……」 「……まさか」 「新一?」 時折拍手やら声援が飛び交うその集団を見やり、幼馴染が眉を顰めたのを見て蘭は首を傾げた。手早く靴を履き替えると若干足早に校門へと向かう。そしてあと数メートルというところで――その集団から飛び出してきた人物に勢い良く抱きつかれて、新一はよろめき怒鳴った。 「しんいち―っvv 久しぶり、やっと会えたね!」 「たった八時間だろうが……」 「八時間も、だよ! あー、長かった……」 「ひっつくな抱きつくな頬ずりするなウザイ!」 「イーヤーッ!」 「……えーと?」 何だこの桃色な空気は。 突然始まったイチャつきに誰もがぽかーんと口を開けて固まった。 何せここにいるのはクールビューティーで冷静沈着、日本警察の救世主工藤新一様なのだ(これに、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、がつく日も遠くないだろう)。突然『彼』が『彼女』になってしまったのは今日知らされたばかりだというのに、今彼女は彼であった時すら見せなかった甘い空気を発している。つーか誰だ抱きついてるのは。 そんな無言のギャラリーの疑問符を感じ取ったのかまたは漸く気がすんだのか、新一に抱きついていた男が顔を上げた。その顔に蘭と園子は呆然とする。新一が誰かとイチャついている、そんなことよりも何よりも凄い驚きが二人を襲った。 「え、え、え、ええええ!?」 「し、し、しししんいちくんっ!?」 そこにあったのは紛れも無く工藤新一の顔だった。髪型こそところどころ跳ねていて、逆立っているような髪型であるがそこにある表情は記憶の中の工藤新一の顔そっくりである。 硬直したまま動かない二人の少女と、自分に抱きついて離れない男を見て、新一は深々と溜息をつくとぺしりと相手の頭を叩いた。 「離せバ快斗。説明が出来ないだろうが」 「まだ足りないのに……」 「帰ってからでもいいだろ」 「うー……」 不満そうな男をべりっと剥がすと新一は固まったままの二人に向き直る。こほん、と咳を一つつくと漸く戻ってきたのか真っ先に園子が新一へと詰め寄った。その剣幕に若干新一は後ずさる。 「ちょちょちょ新一くん!? アンタやっぱり新一くんじゃなくて、こっちが……!」 「園子、そっちの人違うよ」 「へ?」 詰め寄る園子を見て我に返った蘭は首を振って否定した。そのまま新一の横に佇む男を見やり、居住まいを正す。少しだけ様子を窺った後にこりと微笑んで新一に向き直った。 「何方なの、新一?」 「えっと、こいつは……」 「「「「工藤が二人――!?」」」」 「…………オイ」 紹介しようとした途端割って入ってきた黄色の混じった野太い悲鳴に新一の顔が引き攣った。昇降口から凄まじい勢いで駆けてきた友人達に溜息が漏れる。あっという間に新一と男を取り囲んだ彼らは口々に騒ぎ始めた。 「え、何で工藤が二人」 「クローンか!?」 「双子!?」 「むしろやっぱそっちが工藤か!?」 「でもこう見るとちょっと違うよな、やっぱ……」 「え、え、え!?」 「おーい工藤何か言えよー」 「テメーらちょっと静まりやがれ――っっ!!」 はぁはぁと息荒く怒声を張上げた新一に周りはピタリと静まった。さすが、とばかりに手を叩いてみせる男をギッと睨みつけ、新一は手を軽く振った。 「……も、メンドイ。お前勝手に言え」 「え、いいの? えーと初めまして江古田高校三年黒羽快斗っていいまーすv黒い羽に快晴の快、北斗七星の斗ね。そんで新一とは親戚でも何でもありませーん」 「うそっ!」 「本当にドッペルゲンガーでもなく、別人?」 「生き別れの兄弟とかじゃなくて?」 「正真正銘、赤の他人だ」 「そんな冷たい言い方しなくてもいいじゃん……」 「るせー黙ってろ」 「本当に別人なんだよな?」 「ったりめーだろお前ら。俺が此処にいんのに、どうして俺がもう一人いなくちゃなんねーんだよ」 「…………確かにこの凶悪さは工藤だな」 「「うんうん」」 「……オメーら本気で蹴倒すぞ?」 納得したように頷く悪友たちに新一のこめかみが引き攣った。ゆらり、と動いた黄金の足にヒッと小さな悲鳴が漏れる。 がしかし、後ろから伸びてきた手が華奢な体をすっぽりと抱きこみ行動を制した。止められた新一は背後の快斗をギッと睨みつけて腕の中でもがく。 「はいはい、ストップしてね新一」 「離しやがれ快斗!」 「ダーメ。スカートめくれたら下着見えちゃうでしょ?」 「ンなの……っ!」 「だいたい、さ……俺が傍にいるのに、他のとこ行かないで?」 「…………バーロ、なんか違うだろソレ」 「そう?」 「違う」 「だって、俺のものなのにさ。他のとこ行かれたら寂しくて拗ねちゃうよ?」 「ば、ばーろっ! 誰がお前のもんだっ!」 「…………なに、このピンクの甘ったるい空間は……」 「花が飛んでるわね……」 突然始まったばかっぷるな空間に蘭と園子は呆けた様に呟いた。 それと同時に否が応にも蘭には解ってしまった。誰が幼馴染の少年だった少女を綺麗にしたのか。ごく簡単に解ってしまった正体に隠れて溜息をつく。 男ではないかとは思っていたけれど、まさか既に出来上がっていたとは思わなかった。しかもこの密度からすると、もしかしたら『彼女』が『彼』であった時からなのではないだろうか。そう考えると何となく複雑な気分にさせられる。だって、つまりそれは。 (…………やっぱり新一ってナルシスト?) もし、これが男性同士のままだったら物凄く倒錯的だっただろうなぁ、と半ば現実逃避にも近い心境で蘭は二人をしみじみと眺めた。つい先程までは痛んでいた胸もこの空気を見たらちょっとばかし気にならなくなった。 なにせこりゃ勝てないわ、と思ってしまうほど空気が甘いのだ。見たことも無い可愛らしい表情を浮かべる幼馴染は、すっかり恋する乙女の顔をしている。そして何より彼女は――幸せそう、だから。 渦巻く思いに少しだけ寂しげな笑みを浮かべている蘭に気付いたのか、ふと快斗と目が合ってしまいドキリとした。気付かれた? と慌てて笑みを取り繕うが彼は新一に見えないように顔を少し伏せると、蘭にしか見えない位置で淡く微笑んだ。その笑みは、幼馴染が男性だった時にも見たことが無いような男っぽい表情で。 『任せて』と、言われているような気がした。 「あのさ、新一くん。もしかして番犬ってこの人?」 「ま、な」 「番犬?」 「アイツがそう言ってた」 「番犬……どうせならカッコ良くナイトとか言ってくれればいいのに……」 「バーロ、お前は騎士じゃなくて魔法使いだろうが」 「………………」 「……なんだよ?」 「いや、なんか……サラッと言ってくれたなぁって」 「だって本当のことだろ?」 「………………新ちゃんさぁ……どうしてさぁ……」 「?」 「あー……黒羽君、だっけ? 頑張ってね。そういう人だから」 「ありがとう園子ちゃん……解ってはいるんだけどさぁ……」 「あれ、あたし名前教えたっけ?」 「新一から聞いてるよ。鈴木園子ちゃん、でしょ? あの鈴木財閥のお嬢様」 「へー、新一くんあたしの話なんてしてるの?」 「主に事件絡みしかないけどね……」 「……頑張ってね」 進む会話にアテられつつも、好奇心からその場を離れがたいクラスメイトやら下校する生徒やらの視線を受けつつ園子は若干快斗へ同情した。今の会話を聞いている限り明らかに“そう”なのだろう。五時間目に姿を消した新一と蘭。その後の蘭の様子からして何かしらの決着は着いたとは解っていたが、こうまでベタベタだとはさすがに思っていなかった。しかも“あの”工藤新一が何だかんだいって傍を離れようとしない。ここまでバカップルな空気を漂わせているともはや何もいいようがない。 新一へ蘭に関しての厭味を一つや二つ言ってやるつもりだったのだが、そんな気も失せた。蘭が遠い目で何処かを見やりながら生温い笑みを浮かべているのを見て、逆にこれで良かったのではないかと思ったからだ。何かもう、何ていうか。 「…………馬鹿馬鹿しい」 こんな数分のうちにそう思ってしまうほど、二人の空気はらぶらぶだった。 「……経過は良好ね。はい、もういいわよ」 「サンキュ、灰原」 寝かせられていたベッドの上に起き上がって、新一は開いていたシャツのボタンを留め始めた。その様子を見ながら煎れておいた紅茶を差し出すと、礼を言って新一が受け取る。飲んでからも暫くぼんやりと宙を見やる新一を見て、哀は少し笑みを浮かべながら問いかけた。 「……彼女、納得してくれた?」 「……灰原」 「大丈夫よ、男なんてあなた以外にもたくさんいるもの。きっと素敵な人と巡り会えるわ。あんなに魅力的なんだから」 「……そう、だよな」 「ええ。こんな推理馬鹿で鉄砲玉みたいな人よりもよっぽどいい人が見つかるわよ」 「……言い方に大分棘がねぇか?」 「気のせいよ」 恨めしげな表情で見てくる相手にさら、と返して哀はパソコンに表示されているデータを見やった。異常は見られず極めて良好な健康状態。これが何で起こった事象なのかは未だに解明できていないが、清清しいまでに悪影響は見られない。むしろ懸念していた免疫力の低下も抑えられていて、ある意味元の体よりも丈夫になっている。 最初にコナンから新一へ戻った時は免疫力低下、他にも後遺症が多々見られていて無理はするなと言い含めていたのだが、今ではその後遺症のほとんどが綺麗さっぱり消えていた。薬についてはやはり他の医者には任せられないものの、健康ではある。 ……これで良かったのだろうか。それとも。 正直に言えば女性体のほうが健康になれるのだから悪くはないのだけれども、元の体を取り戻したかった新一にとっては半々だろう。それについては申し訳なく思う。自分が完璧な解毒剤を作れればこんな事にはならなかったのだろうから。 ……いっそ責めてくれれば楽だろうに。 そんなところで優しさを発揮する彼女が少しばかり、嫌いだ。 「……ところで灰原。お前、今週の土曜暇か?」 「え? ……ええ、予定は入ってないけれど。どうしたの?」 「あー……その、一緒に来て欲しいんだけどな……」 「? 何処に?」 「…………デパート」 「何を買いに行くの? 荷物持ちなら私何かよりも黒羽君のほうが……」 「そんなことさせるか! ……さすがにアイツとは買いに行けねぇし、かといって母さんに頼むと派手なのしかこねぇからな……」 「…………何を買いにいくわけ?」 「………………………………したぎ」 しどろもどろになって言いにくそうに視線を巡らしていた新一が漸く発した言葉に、哀はあぁと合点がいったように頷いた。確かにそれでは連れていけまい。快斗自身は気にせずにむしろ喜々として選びそうな気もするが、新一はやはり恥ずかしいのだろう。未だ意識は男性のままなのだし。二人で行けばソウイウコトも思い浮かんでしまうだろうし、何より快斗に下着を選ばせるのが恥ずかしいのだろう。 顔を少し朱に染めて軽く俯きながら頼んでくる新一にくすりと笑って「いいわよ」と返した。有希子が選んでいたのは確かに派手というかエロティックなものが多かったから、普段使いには向かないだろう。これから先、学校で体育の時に着替えることを考えると無難なものを揃えておく必要がある。もし新一が気付いていないようだったら哀から言おうと思っていたところだ。つらつらと考える哀の様子には気づかずに、新一はホッとした様子で胸を撫で下ろした。 「サンキュ、ほんとお前がいてくれて良かったぜ。そうでないと一人で買いにいかなきゃならなかったしなー」 「……それはどうかしらね。私がいなければ、貴方はもしかしたら幼児化なんて体験しなくてすんだかもしれないし」 思わず自虐的な物言いになってしまったことに気付き、ハッとした。案の定、目の前の彼女は少し眦を吊り上げている。優しいからこそ、彼女がこのあと怒るだろう事は解りきっていて思わず苦笑を浮かべた。 「ごめんなさい。馬鹿なことを言ったわ」 「お前ってホントに時々馬鹿だよな。お前がいなかったら、俺はまだ生意気なガキのままだったんだからそこは感謝してるっつーのに」 「でも、やっぱり……元の体のほうが良かったでしょう?」 まだ、聞いたことが無い質問だった。 彼が決める前も後も、そのことについて聞いてはいなかった。聞けなかった。 自分は説明とその後の治療をしただけで、聞いたことは一度も無かった。解りきった答えだったからだ。彼が――彼女が元の体に戻りたいと言って悔しがっている姿を、一番近くで見つめてきたのだから。 「……まぁ、正直ちょっと凹みはしたけど。でも、今はこれで良かったと思ってる」 「え?」 「…………これで俺が、かなり早く先に置いていくことは多分無いだろ? もしそうであったとしても、アイツが追っかけてこないように繋ぎとめるもんを残してやれるかもしんねーし」 「……工藤、くん……」 「一応子宮とかもあるし、ちゃんと初潮はきてんだから残していけるだろ。だから、いいんだよ。それが俺にとっては嬉しいしな」 もし、あのままだったら。女性体にならなかったら身体機能の低下は防げなかった。恐らく彼の寿命は平均よりも格段に低く、十年ほどしかもたなかったかもしれない。それは元の姿に戻る前に確認したことだ。もし完全に戻れたとしてもどのくらい生きられるかは解らないと。彼もそれを了承して薬を飲んだ。 女性化した今はそんな懸念も何処にもない。少なくとも今のままの状態ならば普通に一生を終えられるだろう。初潮がきたということは女性としての体も出来ているということで、新たな命を宿すことも出来る。データ上でならばそれは可能だ。 でも、それでも。 悔しいのでは、ないだろうか。 「なぁ灰原。俺は本当に後悔してないんだ。だから……もう、自分を責めるのはやめろよ。お前がそんな顔してると俺、明美さんに顔向けできねぇじゃねぇか」 そう言ってふざけるように笑う新一を見て、哀はますます泣きたくなった。 ああもう、本当に、バカなひと。 そんな、優しくなくていいのに。 もっと責めたって詰ったって構わないのに。 逃げることをさせてくれないのは。 「……もし、あなたたちに何かあって一人にされちゃう子がいたら」 「え?」 「全身全霊で、護ってあげるわ。置いてかれちゃった者同士、上手くやってけるだろうしね」 「……あぁ、頼んだ」 少し驚いたような表情を浮かべてから、新一は苦笑混じりに応えた。 もうやめよう。幾ら後悔したって悩んだって、元には戻せない。 ならば、彼の――彼女のために、彼らのために何が出来るかを考えよう。きっと彼らの一番傍にいるのは自分で、最後まで変わることはないのだろうから。 いつか現われる新しい未来のために、出来ることを。 「デパートに行くよりも百貨店とかのほうがブランド入ってるんじゃないかしら」 「別にデパートの下着売り場でもいいぜ?」 「…………」 「な、なんだよ」 「どうせ身に着けるなら黒羽君が喜んでくれそうなのを着たほうがいいんじゃないの?」 「! は、灰原!!」 「清純そうなのだったら色は薄いピンクとかかしらね……」 「オイ!!」 優しいひと。 そんなあなたの傍に何時までもいられるように、願う。 本当に、バカみたいに優しいヒト |