――――思えば、全ての始まりはこの日だった。


 一度目は偶然
 二度目は興味
 三度目は…………


 お互い偽りの姿で出会ったこの日。
 周りに嘘ばかりついていた自分達。(いまも、なのだろうけれど)

 だからこそ。



 大事なことに嘘をつくことの覚悟を知っている。



 『ガールズライ、ふ?』
     〜The day when I do not tell a lie〜




「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい。帰りは送ってもらうんでしょ?」
「たぶん」
「もし高木さんとかにその暇が無さそうでも絶対一人で帰らないでね? 迎えに行くから」
「ん」
「よし。んじゃ気をつけてね?」
「ああ」
「……あ、ちょっとまって!」
「あ?」

 靴を履いて玄関扉に手をかける。
 扉を開いて、隙間からうっすらと入り込んでくる冷気に身を震わせた。四月になったとはいえ、夜はまだかなり冷えこみ冬の空気を醸し出す。後ろの恋人が言うようにコートを着込んで正解だったな、と考えていると不意に袖がくん、と引かれた。
 不思議に思って振り向き――間近に迫った温もりを避け切れなかった。

「……忘れ物。大好きだよ、新一」
「〜っ!! 行ってくる!」

 これだから、タチが悪いというのだ本当に。
 恐らく真っ赤になっているだろう顔で外に飛び出す。寒い空気も気にならず、今はただ待っている高木にこの顔が見られないように必死で隠すだけだった。







「……行ったの?」
「うん。まぁ、日付変わる頃には帰ってくるんじゃないかな」
「……今もう八時だけど」
「だって現場近いらしいし、それに」


 あの“名探偵の工藤新一”だよ?


「……ちょっと忘れてたわ。最近色ボケしてる貴方たちしか見てないせいで、すっかり」
「色ボケって哀ちゃん……」
「実際そうじゃない、一日中いちゃいちゃいちゃいちゃ。見せ付けられる身にもなってみなさい」
「だって、平和を今のうちに満喫しておかないと……」
「まぁ、ひなまつりに何があったのかは聞かないけれど」

 新一を送り出して、後ろから現われた気配に快斗は苦笑した。
 腕にはお目当ての物が見つかったのだろうか、何冊かの分厚い本を抱えている少女は少し重そうにしながらもしっかりと皮肉を吐く。確かにべたべたしている自覚はあったけれど、何となくこそばゆい。それが自分たちのことを良く知る人なら尚更だ。彼女は誰よりも自分達のことを見てきて、見守ってくれた人だから。
 とはいえ、溜息混じりにつかれた台詞には少々鼓動が跳ねた。

「あ、哀ちゃん?」
「貴方とのこととかずっと気にしてたみたいだったから、どうしようかと思ってたんだけど……やっぱり貴方に任せて正解だったわね。私が幾ら言ったってどうしようも無かったでしょうし、あの人は私のことも気にかけてくれていたようだから」
「……気付いて……」
「気付かないわけないでしょう。貴方よりも、私の方が傍にいるのは長いのよ? ……私が完璧なのを作っていたらこんなことにはならなかったのに、あの人責めることをしないんだもの。いっそ詰ってくれたほうが気が楽だったわ。……本当に、どうしようもなく優しすぎるんだから」

 そう言って笑う彼女に苦笑するしか無かった。
 聡い人だからもしかして……とは思っていたけれど。そこまでちゃんと見抜かれていたとは思っていなかった。さすがは小さかった名探偵の傍に居続けた彼女だ。新一の苦しみや葛藤を見続けてきた人。
 近寄って抱えている本を抜き取った。総重量はなかなかのもので、これを今まで抱えていたというのだから無理はしないでほしいと思う。自分ならばこれくらいどうってことはないが、小学生の身にこれだけの重さは酷だろう。
 別に持ってもらわなくても、と言いたげな視線が向いてきていたが気にせずに笑いかける。後で自分が送ればいいし、何よりどうせ隣なのだし。

「ちょっとお茶付き合ってよ哀ちゃん。クッキーもあるよ?」
「……随分と古風なナンパだけれど、付き合ってあげてもいいわ」

 ちょっとつれない答えにまた笑った。





 もう夜なのでコーヒーではなく紅茶を出す。この前出掛けた時に見つけた紅茶専門店で買ってきたものだ。ちなみにクッキーもその店のもの。ふわりと香るのは少し甘酸っぱいような、でも日本人なら誰でも嗅いだことのある香り。

「桜のお茶?」
「うん。試飲やってたから試しに飲んでみたんだ。そしたら美味しかったから買って行こうって話になって」
「……工藤君は」
「うん?」
「彼は、『桜餅思い出すな』とか言わなかったかしら?」
「……さすがデスね灰原女史……」
「あの人なら言うと思って」

 そう言って紅茶を飲む彼女には脱帽するしかない。全くそのままの台詞を店頭で言われてちょっと固まったのは記憶に新しい。まぁ、確かにそうだけれども。桜の葉だから同じだけれども。

「工藤君に情緒を求めるのは間違ってるんじゃないかしら」
「そうだけどさー……別に全然情緒が無いってわけでも、って何で哀ちゃん俺が考えてること解るの!?」
「顔に全部でてるわよ。ポーカーフェイスは何処に落としてきたの?」
「うー……」

 さらりと言われた一言に撃沈する。そんなに顔に出ていただろうか、普段から表情はあまり見せないはずなのに。
 それとも彼女だからだろうか。大切な人と、その傍に居る彼女だったから。だからつい出てしまうのだろうか。
 つらつらと埒もないことを考えていると、不意に彼女が目を細めてこちらを見やった。その視線を受けて首を傾げる。どこか言いあぐねているような雰囲気を見せていた彼女が口にしたのは、思わぬ一言だった。

「しないのね」
「?」
「エイプリルフール」
「……ああ」

 確かに今日は四月一日、エイプリルフールだ。今日ばかりは新聞にもペンギンが熱帯雨林目指して飛んだだとか、航空会社が飛行中に足のマッサージサービスに2時間以上耐えることができたら航空運賃を半額にするだとか有り得ないことが平然と書かれる。どこもかしこも小さな嘘から大きな嘘まで嘘をつくことを楽しむ日だ。
 それなのに何故、とまたも視線で問いてくる彼女に頬を掻きながら苦笑した。いつもの自分ならばこんなイベントにはサプライズ企画を立てているから気になったのだろう。現につい先月もお雛様を出して新一を呆れさせたばかりだし、それを彼女は知っている。
 少し考えて――時計を見上げながらそっと笑ってみせた。

「……今日は、俺にとって『嘘をつかない日』なんだ」
「……嘘をつかない日?」
「うん」
「どうして?」

 本来の趣旨とは正反対の答えを口にした快斗に彼女は不思議そうな表情を浮かべた。また視線を戻して、カップを手で包みながら静かに喋る。

「俺はたくさんの人に嘘をついてるから。一生明かさないつもりの嘘が多くて、きっとこれからもたくさんの嘘をつき続けると思う。たぶん死ぬまで。……だから、今日くらいは嘘はつかないって決めたんだ」

 後悔はしていない。キッドを継いだことも、周りを欺いていることも。
 時々苦しくなる時もあるけれど、必要な嘘だから。周りの大切な人を、無関係な人たちを巻き込まないための嘘。だからって許されるわけではないけれど、でも嘘をつくことに大きな罪悪感は感じていない。今の平和を守るためなら何だってしてみせる。
 だけれども、やっぱり降り積もっていくものはあるのだ。
 何気ない小さな嘘。大きくて抱えるのが難しい嘘。押しつぶされてしまいそうな嘘。
 その歪みを少しでも無くそうと、今日を嘘をつかない日に決めた。
 何より、これから多くの人を騙す大切で愛しい人のために。
 目の前の彼女も知っている。嘘をつくことの重要さと、重さを。
 だから。


「……だといって、目の前でアイシテルとか連呼しないでちょうだいね。まぁ今更だけど」
「哀ちゃん……そんなアッサリ……」
「あら、私も嘘は付いてないわよ。とっても素直に言ってるわ」
「絶対ちょっと違う……」

 しくしくと項垂れる快斗に構わずクッキーを口に運ぶ哀に、更に机に突っ伏す。ツレナイのはそれこそ今更だし、こうやってからかうことでコミュニケーションをとろうとしてくれていることは解っているのだけれども。
 ううう、と唸りながら冷たい木の感触の頬を摺り寄せていると不意に気配が動いた。
 そして小さな声が。本当に微かな声が聞こえる。


「…………でも、幸せそうな貴方達を見ているのは、嫌いじゃないわ」


 思わず勢い良く顔を上げて前を見るも、哀は至って平然とした様子で紅茶を飲んでいた。
 一瞬自分の幻聴かと思って――ふ、と頬を思わずだらしなく緩めてしまった。
 顔色は変わらないけれど、ほんの少し赤い耳。
 決して合わせようとしない視線。

「…………」
「……なに?」
「うん。俺、哀ちゃんなら新一といちゃいちゃしててもいいよ」
「あなたに了解を得る必要は無いわ」
「ぐっさー……」



 時計の針は午後九時を回っている。けれどきっと彼女は日付が変わるまで帰らないのだろう。新一が帰ってきたら二人で送りに行こう。
 哀も――彼女もたくさんの人に嘘をついていて。だからきっと。
 今日ぐらいは素直になってくれるはずだろうから。




 そしてまた明日から、大事なウソをついて大切な人を護る日々が続くのだ。

 それはきっと、三人で。






“ウソツキの日だからこそ、ほんとうを”