『…………え』
『あれ、あんまり驚かないね』
『……いや、固まってるみたいだぞ』
『やぁーっぱ驚くよなぁ』
『そんな驚くことか?』

 …………驚かないほうがおかしいでしょ。
 と、彼はその後に呆れたようにため息をついて、そして――――。


Is the envy of each other


「……なんで静まってんすか。つーか今、池沢出てかなかったか?」
「あ、一護」
 やけに静かだ。
 飲み会だというのにも関わらず、まるでお通やのような雰囲気である。どうしたのかと首を傾げて部屋を見回せば、女性陣達が死屍累々といった体でがっくりとうなだれていた。
 ……いったい何があったというのだろう。別に酒に酔ったというわけでもなさそうだし。
 講義が六限まであったために、一護は最初参加する気はなかった。けれどこれも付き合いかと途中で合流しようとしたところ、ちょうど佳主馬が出て行くのと擦れ違ったのだ。
 ちょうど靴を脱いでいた時だったので、気がつけば彼は店を出て行くところだった。どこか鬼気迫るような様子で出て行ったために声はかけなかったのだが――――何があったのだろうか。
 訳が解らないとばかりに首を捻る一護のもとへ、苦笑した水色が近付く。
「お疲れ様、一護。まずは座りなよ」
「ああ、うん。……てか、なんでこんな微妙な空気なんだよ」
「うーん……なんていうか、やっぱりイケメンにはみんな夢を見るっていうか」
「はぁ?」
「まぁ、つまりはね……池沢、彼女さんから電話が来たから帰ったんだ」
「……ああ、あのベタ惚れの」
「く、黒崎さんも知ってたの!?」
 ぎょっとした声にはい? と見やればそこには二年先輩の女性が目を丸くして一護を見上げていた。
 「はい、まぁ」と頷けば彼女とその周りの女性達が皆一斉にうなだれ悔しそうな声をあげる。その様子を半ば呆然と見やり、一護は胡乱げな眼差しを水色に向けた。
「ぜったい、まだ誰とも付き合ってないと思ってたのに……!!」
「いったいどんな子なのよ……!」
「あーあ……」
「…………アイツなにやったんだ?」
「それがねぇ……」
 残念がる女性陣の声をBGMに、水色は事の顛末を一護へと語り始めた。



「……なるほど。それで池沢を狙ってたって子たちが、ああなってるわけか」
「そういうこと」
「あー、まぁアイツ確かに顔はいいしな」
「顔“は”って、一護」
「いや顔“も”いいけどよ。でもちょっと見てりゃ解るじゃねぇか、アイツが周りに興味ねぇの」
「世の中そう察しのいい人ってあんまりいないものなんだよ」
 肩を竦める水色の言葉にそれもそうかと同意する。
 特にああいうタイプは周りに興味がないぶん、情報も少なく誤解されるか夢を見られるかが多い。そう考えればこうなったのは自然の流れなのかもしれないが、佳主馬の彼女に対する並々ならぬ溺愛っぷりを知っている身としては同情せざるを得なかった。
 だから、やり玉にあげられてしまったという不運な女子の傍に向かうと、一護は受け取ったグラスに酒を注ぎながら隣へ腰を降ろした。
「よ、高坂」
「黒崎さん……」
 力無く、それでも微笑んで見せる彼女はサークルでも屈指の実力者だ。中学、高校と剣道部に所属し大会でも好成績を収めていた。
 一護が本格的に剣道をやり始めたのは大学に入ってからだったが、どうやら才能があったのか彼女の相手をするぐらいには上達している。同じ講義を何コマかとっていることもあってそれなりに話す仲にはなっていた。
 しかし、普段は明るい彼女が沈んだ表情をしているのは――やはり短い期間なりにも本気だったということなのだろう。
 彼女のグラスにも酒を注ぎ足すと、一護は自分のグラスを煽ってから小さな笑みを唇に乗せた。
「……中学一年の頃からの、初恋なんだってよ」
「え?」
「池沢。初めて会ったのが中一の夏で、確か出会って三日から五日で自覚したって言ってたな」
「三日……?」
「そ。しかも初恋。……家族や親戚以外で『誰か』に興味を持ったことがなくて、それまではほとんど友達らしい友達もいなかったって言ってたな。でもその人と出会って変わったんだと」
 たまたま話した会話の内容は水色もあまり知らなかったらしい。いつの間にか横に来ていた水色や、他の場所で飲んでいたチャドや啓吾、気がつけば周りのほとんどが一護たちの会話に聞き耳を立てている。それに気がつきつつも、一護は高坂に笑いかけながらぽつぽつと語りだした。


『最初は頼りなくて、なんか鈍そうでパッとしない人だと思ったんだよね』
『第一印象はあんまり良く無かったのか』
『そう。……しかもあの人、従姉妹の彼氏のフリして来たんだ。だから最初は男だと思ってたし』
『へー……ってはぁぁ!? 彼氏!? 男のフリ!?』
『その頃はまだ体も、まぁ言っちゃ悪いけど貧相で。それに髪も短くて名前も男の名前だったし、着てるものも男もので……どこからどう見ても貧弱そうな男の人にしか見えなかったんだよね。今思えば女の人だったんだから貧弱なのは当たり前なんだけど』
『それ、いつ知ったんだよ女の人って』
『その後、親戚の一人がこっそり調べた戸籍で』
『……そりゃまた……』
『無茶苦茶だと思ったよ。……でもそのお陰で俺はあの人に会えたから、従姉妹には感謝してる』
『……ホントベタ惚れなんだなぁ』
『俺の世界を変えた人だからね。……あの人がいなかったら俺は他人のことなんて知りたいと思わなかったかもしれない。人に深く関わろうとせずに生きていたかもしれない。そう考えたら、あの人は本当に凄いと思うよ』
『……凄ぇな、その人』
『当然。なにせ、俺が好きになった人だからね』
『はははっ! ……さすが池沢』
『でも、本当にそうなんだ。あの人に出会わなかったら、俺は小島や黒崎とも出会わなかったと思うし。一人の殻に閉じこもって周りなんて見ようともしなかっただろうね。……それに本当の“強さ”っていうのを、あの人に出会って初めて知った気がしたんだ』
『本当の強さ?』
『そう。あの人は美化しすぎだって笑うんだけど、少なくともあの頃の俺にそれを魅せつけたのは間違いなくあの人なんだよね。……自覚してからは自分でも笑っちゃうほど必死だった』
『池沢が必死……なんか想像できねぇな。例えば、どこが好きなんだよ?』
『……一番好きなのは目、かな』
『目?』
『そう。目っていうか、横顔? 普段はおどおどしてたりほややんってしてるんだけど、数学……ああ、数学の難問とかを解くのが得意なんだけど、それと相対すると顔が変わるんだよね。スッて引き締まって、まるで取り憑かれたようになるんだけど、その顔が綺麗なんだ。あとは一度決めたらやり抜くまで諦めないっていうか……いざっていう時は凄く強いんだよ。……チープだけど、本当に凄いとしか言えない人なんだ』
『……惚気るなぁ……』
『俺もこんなに喋ったの初めてかも』
『へぇー……あ、そういえば付き合えたのはいつなんだよ』
『高一。付き合うまで三年かかった』
『おおう……でも四つ年上なんだろ? 年の差とか』
『ああ、そこのところは全然大丈夫。俺はそんなの悔しいとは思ってもそれ以外は気にしないし、外見についてならたぶんあの人四十になっても変わらないと思うから』
『四十過ぎてもって……』
『年とか、そんなの正直どうでもいいんだよね。大事なのはあの人が笑っててくれることで、それが俺の傍で俺が幸せに出来るなら、何もいらない』
『……本当に、熱烈』
『当たり前だよ。……やっと手に入れたんだ、一生離す気なんてないね』
『目下の目標はお前の大学卒業?』
『……俺が年上だったら、黒崎みたいに出来たのに……』
『あーまぁ、でも俺のとこも結構揉めたぜ?』


「……って、あの池沢が惚気まくりでさ。ほんと驚いたなんのって」
 思い返しながら語る一護の笑みに、高坂もまた苦笑を返した。少し寂しそうに笑うその顔に気がつきながらも、一護は知らないふりをしてグラスを傾ける。
「……池沢くん、本当にその人のことが好きなんだね」
「そりゃあもう世界で一番ってくらいな。……だから高坂は凄いな」
「え?」
 突然の一護の言葉に、高坂は不思議そうに首を傾げた。そんな彼女へ一護はカラリとした笑みを向ける。
 たった今失恋したばかりの彼女にこんな話をするのはキツかっただろう。
 けれど高坂には、ちゃんと知っておいて欲しかったのだ。佳主馬が好きな人のことを。佳主馬がどんなに恋人を想っているのかを。
 悲しい思い出だけにするには――勿体無いと思うから。
「池沢は好きになったその人に、自分のことを好きになってもらえるように努力したんだってさ。勉強はもちろん体も鍛えて、妹がいるから兄貴として見本になれるようちゃんとして。家族を守れるようにって強くなろうとして……他人とも少しずつコミュニケーションをとれるように頑張って。そんな風に自分が変われたのは、全部彼女さんのお陰なんだってさ」
 だからさ、と一護は不思議そうな高坂の肩を引き寄せると、ぽんと頭を叩いた。
「だから俺達は、その人がいないと今の“池沢佳主馬”には会えなかったわけだな。そんで高坂が好きになったのは、彼女さんのためにいい男になろうって努力した“池沢佳主馬”なんだろ。……高坂には、男を見る目があるってことじゃねぇか」
 沈んでいた高坂が驚いたように目を瞠るのに、一護は隣の水色と目を見交わす。
 高坂が外見だけで好きになるような少女ではないと、一護は思っている。まだ短い付き合いだとしてもそれぐらいのことは解るのだ。だから高坂が佳主馬を好きになったのならば、それはちゃんと佳主馬の人柄も知ってのことだろう。
 だとするならば。

「惚れたやつのためにカッコよくなれる男はいい男だろ? ――――だから高坂は、ちゃんといい男を見る目があるってことだよ」

 くしゃくしゃと頭を撫でながら語る一護の言葉に、高坂は見開いていた目をそっと伏せると泣きそうな顔になりながらも、笑った。
「池沢はお前のためにかっこよくなってくれる男じゃなかったけど、それだけ見る目がいいなら高坂のためにかっこよくなってくれるようなやつも見つかるはずだって。男はあいつだけじゃねぇしな!」
「……黒崎さん……」
「だから今日はとことん落ち込んで、でも池沢の彼女馬鹿ーっ! とでも叫んだり騒いででもスッキリさせたら、明日からはまたいつもの高坂に戻れるといいよな。高坂は可愛いから、笑ってたほうが絶対いいって!」
「……うん。うん……ありがとう、黒崎さん」
「大丈夫だーって。高坂はいい女だから、きっといい男が見つかる。俺がもし男だったら、高坂のことぜってぇ気になったぜ?」
「ふふふ、ありがと。……私のために、格好良くなってくれる男の子、か。うん、そんな人が見つかるといいな」
 くすくすと笑う彼女の目には、うっすらと光るものがあった。一護はそれに気付かないふりをして手酌で酒をグラスに注ぐ。高坂のグラスにも注ぎ込めば、彼女はぐっとカシスオレンジを流し込んだ。
 一気に飲み干して前を見た高坂の顔には、もう悲しみの陰は薄い。そのことに安堵しながら一護は高坂のグラスへと自分のグラスを傾けて音を鳴らした。
「本当にありがとう、黒崎さん。……あの、一護ちゃんって呼んでいい?」
「ちゃん、なんて付けなくていいって。一護でいいぜ、俺も弥生って呼ぶから」
「うん!」
 今度こそ楽しげな笑みを浮かべた弥生に一護も笑う。隣の水色やチャドが薄く笑うのを横目で見て、一護は机の上のつまみに漸く手を伸ばした。
 正直、腹に何も入っていない状態で酒を入れるのはまずかったのだがそんなことも言ってられない。この貸しはそのうちに佳主馬に返してもらおう、と考えながら改めて酒宴に参加しようとして――目の前にどん、と腰を降ろした女性の先輩に目を瞬かせた。
「……先輩?」
 ジョッキのビールを片手に座り込んだのは二年上の女性部員だった。彼女はにっこりと笑みを浮かべると、一護のほうへ身を乗り出すようにしながら首を傾げた。
「ねーえ、黒崎」
「はい?」
「あんたは無いの? そういう話」
「…………へ?」
 一瞬何を言われているのか解らず、一護は間の抜けた声でぽかんと口を開いた。その様子を横から水色が眺め、軽くため息をついて肩を竦めた。チャドも同じような仕草で水色と目を見交わすが、詰め寄られる一護がそのことに気がつくわけがない。
「だーかーら、彼氏とか好きな人とか、好みのタイプとか色々あるじゃない。あんた美人だからモテてたでしょー? 今まで付き合った人数とかは?」
「あ、それあたしも気になる!」
「おおおお俺も気になる、かな!」
「アンタどもりすぎ……」
「今フリーなら俺もフリーだからさ、どう?」
「何が“どう”なのよ!」
 聞きつけた他の部員達がわらわらと群がってくるのを、水色・啓吾・チャドの三人は苦笑気味に見やった。この後起きるだろうことを考えれば、この場から離脱した方が良いことは確かだが――それと同じくらい面白そうなのは事実だ。
 集まってきた部員達を見渡しながら、一護は不思議そうに首を傾げた。
「付き合ってる人、いるの?」
「または好きな人でも!」
「…………付き合う、っていうか……」


 ――――旦那がいますけど。


 その言葉に騒がしかった場が、一瞬で静まり返った。
「……………………え?」
「え?」
「は?」
 事も無げに告げられた台詞に大半の人間は思考停止する。声を出せる人間も数人いたが、しかしそれ以上は何も出来ずに固まるだけだった。
 ただ一人、最初に一護へ話を振った女性だけがごくり、と唾を飲み込んで確認するように問いかける。
「…………黒崎、いま、なんて」
 引き攣った顔で再度問いかける彼女に、一護はきょとんとした様子で同じ言葉を繰り返した。
「え。だから、旦那がいますけど」
「「「「……ええええぇぇぇぇぇっっ!?」」」」
 静けさが一気に騒音へと変わる。数十人分の悲鳴のような驚愕の声に、一護は慌てて耳を塞いだ。ちなみに水色たちは既にしっかりと耳を覆っている。こうなることは予測済みだった。
「ちょ、黒崎あんたいつ結婚してたの!?」
「えーと……高校卒業してすぐだから、大学入る少し前? 四月に」
「だ、だん、な……」
「既婚者……」
「しかも新妻……」
「新婚さん……」
 密かに一護を狙っていた男性部員はさらさらと風化した。彼氏がいたとしても可笑しくはない、とは思っていたが既に結婚していたとはさすがに予想外すぎた。
「相手はどんな人なのよ!? 職業は!?」
「えっと、デスカンパニーって知ってます?」
「ああ、あの大手の?」
 先輩部員の勢いに、いささか引き気味な一護が答えた会社名に皆が反応する。
 そこは日本に住む者ならば必ず知っているだろう大手企業だ。様々なサービス、産業、事業を展開し海外にも進出しているその会社は、毎年エントリー数が膨大な数に昇ることでも有名である。
 この不況の中でも業績を伸ばし続けている、その会社に勤めているのなら平社員であっても凄い――と考えたその場の人々は次の言葉に更なる驚きに見舞われた。
「そこの部長」
「………はぁぁぁぁぁっっ!?」
「ぶ、ぶぶ部長!?」
 平然と答える一護に今度こそ女性部員も声が出ない。その代わり今まで呆然としていた隣の高坂が、引き攣った顔で首を傾げた。
「い、一護……それ、旦那さん幾つなの?」
「えーと、今年で二十七?」
 その年齢に周囲がどよめく。大手企業の部長にしては随分若い。部長、という言葉から四十、五十のオジさんを想像していた人間はもはや想像することを放棄し始めた。
「付き合ったのは……?」
「俺が高一の時」
「ってことは二十四……」
「それ下手したら犯罪なんじゃねぇの……」
 姦通さえしてなければ問題はないけど、と誰かがぽそりと呟いた言葉に一護は「あー、そういや犯罪かもなぁ。俺未成年だったし」と呟く。その発言に今度こそ周りの男性陣が絶望の声をあげて畳に突っ伏した。
「結婚式、綺麗でしたよー」
 茫然自失といった体で固まる場の中、水色が飄々と笑みを浮かべる。どうやら色々起こりすぎて何かを通り越したらしく、復活が早かった高坂はその言葉に水色へと目をやった。
「結婚式やったの?」
「うん。いやー凄かったの何のって。大量のゾンビと化した横恋慕連中と咽び泣くおじさん達に花婿が付きまとわれてそこらじゅうに屍の山ができるわ、一護のお父さんなんて式直前になって『やっぱりうちのお姫様はお前なんぞに渡さねぇぇ!!』って叫んだもんだから主役の花嫁にサマーソルトキック食らってボロボロの格好で式出たんだよー」
「…………随分とデンジャラスな式だったのね……」
「披露宴も凄かったけどな……」
「……ム……」
 明るく笑顔でのたまう水色はともかく、啓吾とチャドは顔を見合わせ引き攣った笑顔を浮かべた。
 式の最中だって大人しく済むはずもなく大人気ない大人達が続出し、一昔前のドラマのように花嫁を連れ出そうとする数名、誓いの言葉とキスを死に物狂いで邪魔しようとする男共とそれを捻じ伏せる女性陣の攻防。果てには花嫁である一護本人へ突撃をかまし、その花嫁に一瞬で叩き伏せられ教会から投げ飛ばされるなど……。
 本来なら厳粛である式だって大騒ぎだったというのに、披露宴なんてそれ以上だ。あの場からよく生還できたなぁ、とたまに啓吾はしみじみ思う。
 高坂に式次第を語る水色と、それに相槌やら反論を述べついでに惚気まで語る一護の姿に、やけ酒を煽る部員が続出する。それに追随して先ほどの佳主馬のショックが覚めやらぬ女性陣も酒を煽り、今年の新入生歓迎会は過去最高の泥酔者が出ることとなった。



『…………いいな』
『え?』
『男のほうが年上なら……さっさと自分のものに出来るのに』
 ぽつりと呟かれたその言葉は佳主馬らしなからぬもので、一護は目を丸くした。そんな彼女の表情に気がついたのか、佳主馬は目を眇めるといささか不機嫌そうな声で問う。
『……なに、その顔』
『や、その……池沢がそういうこと言うと思わなくて』
『ラブラブなんじゃないの?』
 首を傾げる水色の言葉に、佳主馬はそっとため息をつく。
『邪魔者が多い』
『あー……それはすっげぇ解る』
 しみじみ呟く一護の言葉に水色は苦笑する。うんうん、と頷く彼女を見やり佳主馬は肩を竦めて頬杖をついた。
『なんだかんだいっても俺が年下だからね。どうしてもあっちは“大人”でいようとするし……なかなか甘えてもくれないし、もどかしいっていうか』
 どこか苦笑気味な表情で紡がれる言葉に、一護が目を瞠ってから困ったように微笑む。
『……だよなぁ。あっちよりゃ子供かもしんねぇけど、それでももう少し頼ってくれてもいいのに、って思うことは多いかもしんねぇ』
『……黒崎、何歳差だっけ?』
『八歳差。そっちは四歳差だろ? 俺ほど離れてねぇじゃんか』
『でもそっちはあんたが年下でしょ。……結婚、か』
 深くため息をついて遠くを見やる彼に――――何となく親近感が沸いたのはこの時だろうか。
『……早すぎ、とか思わねぇの?』
『別に? 早く手に入れておきたいっていう気持ちは解るし……半端な気持ちじゃないなら問題ないでしょ』
 鋭く怜悧な眼差しには、嘲りも侮りも好奇も無かった。その冷然とした雰囲気がどこか夫に似ていて。
 紡がれた言葉はいとも容易く、少しばかり疲弊していた心を揺らす。
『……サンキュ』
『は?』
 何が? と怪訝そうに掛けられた問いにただ笑みだけを返した。
 ずっと傍にいた親友たちは全部知っていたからただ祝福してくれた。けれど夫の会社の人間は、特に女性社員はあまりよく思っていないことは知っていたのだ。小さな嫌がらせだって受けたこともある。
 自分達をよく知らない人間が事情を知った時、最初に見せるのは好奇か蔑視。
 そのどちらでもなく、ただ在るがままを受け入れる、その姿勢に好感を持ったのだ。
『なぁ池沢』
『なに?』
『アドレス、教えてくんね?』

 無言で突き出された携帯に、笑いながら赤外線画面を起動させた。



“無いものねだりと似通う性質”
今はまだ、誰も知らぬ接点